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街道歩き。。。東海道。。30回。。40日目

2018/05/22 15:27
。。。。。。2018(平成30)年5月9日(水)。。。。。晴れ。。。。

。。。。。。。。。水口宿〜石部宿(東口美しの松入り口まで)。。。。。。

。。。今回は東海道53次に決着をつける旅にするつもりである。愛犬には迷惑至極であろうと思うが前日の8日【火】夕より4泊5日のホテル住まいをお願いする。本人も長逗留は初めてであるが、飼い主も久しぶりの4日間の旅となる。家を出るときは小雨交じりであったがもうじき天候回復と判断して、いつものように小田原発7:04の(ひかり)に乗車、米原に向かう。ゴールデンウイークが過ぎたとはいえ、自由席もまだかなり混み出しているように思えた。米原8:48着、東海道本線9:01に乗り継ぎ、草津駅に9:45着、3分の間隔しかないが、草津線9:46発に急いで乗り継ぐ。此処までは予定通りである。貴生川駅に10:13着。コミ二ュティバス乗車までは40分待ちなので駅構内で休憩。駅前に出ても何もないからである。
。。。予定通りの10:55発のバスに乗り今日の出発点(県道岩上)までバスの乗降客となる。車内は小生と初老の男性が二人、スポット街道歩きの旅人と感じた。近江鉄道の水口城南駅、水口石橋駅付近を通過し見覚えのある新水口のホテル古城(14日には街道同志の後輩友人Yさんが泊る予定)の前を通り(県道岩上)に時間通り11:09に到着。10分ほど休憩し、いよいよ旅の歩行者に変身する。

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。。。。。。。。JR草津線,貴生川駅外観。駅前に降りてもバス停しかありません。。。。
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。。。。県道岩上のバス停の奥にある岩神社の鳥居。。うっそうとした樹林の中を登ると祠の代わりに大岩があるようだ。この地は昔から巨岩、大岩が多く才神として巨岩が飾られているようだ。上まで登るのは勘弁してもらい、鳥居の傍でこれからの旅の無事をお願いした。
。。。旧道をのんびりと歩き、岩上の集落がある処で地元の方から声がかかる。お歳の頃は古希くらいの人。”街道歩きかね〜、何処から来たの?”。。”江の島の近くからだよ”と答えると”根性あるね〜、おれもやりたいがなかなかその気にならないので、自分に腹立てているんだ"と云ったので”俺は今80だが、70の時から始めて今回の歩きで5街道を終わるのだよ、その気に早くならないといたずらに年をとるだけになるよ!”と発破をかけると10歳若い自分が情けないよとこぼしていた。雑談中に自転車で来た外国人の女性が話に加わってきた。"are.you.come.from”と聞くと”オランダ,カラデス”と日本語が返ってきた。格好つけたつもりだが(参いった、参いった)である。
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。。。。。30代くらいの女性である。街道歩きで前にも外人の方にあったが、日本をより良く体験したい方が多く感じられ、嬉しくなるもんだ。立ち話を終わり其々の街道に再スタートする。
近くにある野州川まで下れば摩崖仏も見れるが時間を気にして取りやめた。昔は松並木路であった旧道を進み、水口宿の東見附跡を通り宿場の中心部へと歩む。県道を通り越してまた旧道に入り、脇本陣跡、本陣跡のある中心部へと進む。本陣跡を過ぎると三筋の道となる。どの道も歴史の断片は残っているが真ん中の道を歩く。問屋場跡を過ぎ水口石橋駅の踏切を渡り、街道交流館に立ち寄りトイレ休憩。麺類が食べたくなり近くの食堂を教えてもらい、西野製麺所がやっているラーメン屋で昼食とする。メニューにある(冷やし味噌ラーメン)を注文。食事後の一呼吸中に店の大将が声をかけてきて"何処から来なすった”"今日は新幹線で東から来て草津線の貴部川駅からバスに乗り県道岩上から歩いてきたが、歩きの出だしは勿論お江戸日本橋からで今日で延べ40日目だよ"と言うとまた年を聞かれ、"ゴルフのスコアは百叩きの刑だが、80だよ"と答えると"なに俺と20も違うお父さんかよ”と驚き”負けたよ”と褒めてくれました。麺屋を13時半ころ出て近くの水口城櫓に行かず、宿場の西見附跡まで進み、五十鈴神社と一里塚後を散見、水口宿のはずれになる泉一里塚を過ぎ(横田の渡し場)跡の史跡に到着。しばし往時を偲ぶ大常夜灯と渡し船で渡る野州川を遠望。昔は橋がなく渡し船で三雲の地まで渡ったようだ。
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。。。。。。。。復元された水口宿の東見附跡。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。水口宿場の高札場跡。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。水口宿の宿場風情。。。。。
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。。。。。。。。。。水口石場駅傍で見かけた(からくり時計)。。。。。
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。。。。。。。。水口宿の(ひと.まち街道交流館)甲賀市の歴史を学べる観光情報館。。。。。
今は1国があり橋の横には歩行者専用の歩道もある。横田橋を渡り三雲駅前を右に曲がり(明治天皇聖跡の碑】の石垣で一休み。角にクリーニングの取次店があり、奥の屋敷から中年の女性が出てきて"此処は私有地なの!”と云われる。案にここで休むのはやめてくださいとの暗示である。街道歩き中何処でも地元の方は親切な方が多かったが、この時ばかりはやはり自分の敷地に踏み込まれた感じがあったようでこの言葉が出たようだ。少し自分の気持ちも荒れ、すぐに退却して先へと進む。まさか明治天皇聖跡の碑がこの家の敷地とは思わなかったことがこの状況になったと後悔している。
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。。。。。。(横田の渡し場跡)の史跡。。。。。しばし往時を偲ぶ。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。横田野渡しの大石燈籠。。。。。目立つように大きくしたのが判る。
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。。。。。。。。この野州川を往時は舟で渡ったわけだ。勿論当時は橋はなかった。。。。
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。。。。。。。。。。。三雲駅近くの明治天皇聖跡の碑。。。此処で私有地なので休憩できなかった。
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。。。。。。。。。石部宿の名店北島酒店と云うより酒造屋である。。。。
荒川橋を渡り草津線の三雲踏切を渡り、大沙川隧道を潜り反対側から弘法の杉を仰ぎ見る。夏美の里の案内板を左に見て、由良谷川隧道を抜け狭い石部宿の道を進み、北島酒店の先を左に曲がり、今宵の宿がある甲西駅方面へと進む。宿名は甲西アートホテルだが駅周辺を見渡しても判らず、駅の北側に抜け電話をかけようやく場所が判明。国道一号に出て右に曲がると関西では一流のスーパーマーケット平和堂があり先に進むと左にホテルが見え、17:50にチェックイン、かなり時間を要した。ひと風呂浴び、平和堂の敷地内にあるCOCO‘Sでハイボールとチーズハンバーグで今宵の夕食とした。今日は5時間ほど歩きとおしているので明日に備えて早めに就寝、就寝前に草津にあるM商学院(PMS)に電話を入れ、明日夕方に都合がつけばKaさんに会いたい旨を伝言するように依頼。勝手な頼みなので明日会えるかは不明なり。
。。。。。。。本日の歩行成果。。歩行数..23745歩。。歩行時間..3,49h。。距離..14,24k。。正味所要時間..5,35h
。。。。余談。。確かその昔は甲西駅(こうせい)はなかったはず。1981(昭和56)年、びわ湖国体に際して出来た新駅である。然し甲賀市役所もあり古い石部より新開発が進み、過っての石部宿がかすみ、甲西がメインの地になっているようだ。

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街道歩き。。東海道。。29回。。39日目

2018/05/01 11:07
。。。。。。。。。。。。2018(平成30)年4月17日【火】。。。。。。。晴れ

。。ホテル(新水口バス停】=近江白川バス停〜歌声橋〜大日川橋〜花枝神社〜今宿〜水口宿場入口〜今郷一里塚〜県道岩上バス停=貴生川駅(草津線)―草津―京都

。。。今日は今回の旅の最終日である。自宅に17時半には帰りたいので、歩きも少しはしょるようになるだろう。理由は動物病院のホテルに愛犬を迎えに行くためである。
。。実は昨日タクシーに乗る前に宿に電話を入れ、外で夕食に行くのは時間的にしんどいので、自分はおにぎり一個はあるが、出来たら何か少しおすそ分けしてもらえないかと尋ねると、”家族の夕飯のおかず類と小さい息子が好きな炊き込みご飯のおにぎりくらいは用意出来ますよ”と快良く応じてくれた。旅の親切さをしみじみ感じた。一回目に電話した時”何か困ったことがあるなら遠慮なくおっしゃってください”と心強い受け言葉が耳に残っていたので甘んじて夕食の券を話したのが本音の実情です。宿に着き電話応対してくれた若女将がフロントで待ち受けてくれていた。宿帳の記入の時、年齢欄に80と書くと”あら、うちのお父さんと同じだわ!でも元気さが全然違う、父は何にもしない、たまに買い物で出かけるくらいだ”とこぼしていたので”娘がしっかり者だから心配していないんだよ”と少し励ました。!大風呂は5〜6人は十分入れるのでの伸び伸びと入浴をして、部屋に戻ると、ドアをトントンと叩きこの家の夕食のおかず類を何品かお盆に乗せて持ってきてくれた。何ともありがたい接待である。今日は鈴鹿峠越えを含め約20キロ歩いたので、かなり疲労が濃く、明日の歩きの準備をチェックして、テレビを見ながら就寝に着く。勿論テレビはオフタイマーにしています。

。。。朝食は6:40からと云われているのデ、一番で食堂に行く。ご飯もお櫃に入れて用意され、和風旅館の朝食のセットと同じである。ホテルを7:15頃チェックアウト、新水口バス停で7:27発のバスに乗車。昨日の(土山西)のバス停の手前の(近江白川)下車、すぐに旧街道を歩きだす。歩きだしてすぐに歌声橋と云う場所に出た。
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。。。。。歌声橋。江戸時代当初は野州川(やす)を上流の松尾の渡しで渡っていたが、水害が多く明治13年にこの橋が出来て東海道の経路が変更されたと説明にあった。徒歩で川を渡らなくて済んだので鼻歌交じりで歩けたのでこの橋の名前が付けられたのだと解釈してます。
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。。。。。。橋上から見た野州川の風景、見た目には穏やかに見えるがたまに暴れ出したのだろう。。。。
橋を渡り昔の道の(松尾の渡し)方に行かず、左の経路変更になった東海道に進む。国道手前の角に国史跡垂水斉王頓宮の案内板があったが、ここで方向音痴となる。近くにいた地元の方に地図を見せながら方向を聞く。自分が古い旧街道を歩いていけば(松尾の渡し)を通り今いる場所に来れる事が判った。”東海道は黄色い塗装が道にしてあるから、間違わないように行きなさい”と云われ、礼をして次の歩きに入る。県道を渡ると街道風情に変わってきた。しばらく行くと左遠くに瀧樹神社の大鳥居が見えた。しばらく行くと歩いている街道沿いにまた瀧樹神社の鳥居が出てきた。この村の鎮守様なのだろう。次に地安寺を右に臨み、まっすぐ進むと長泉寺の先に一里塚が現れその先は大日川橋である。
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。。。。。。。旧街道沿いにあった瀧樹神社の鳥居。。。。。。
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。。。。。。。黄檗宗,地安寺の御影堂、山門も重厚である。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。落ち着いた街道風情だ。。。。
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。。。。。。。。大日川橋の傍にあった大日川掘割の碑。。。。。。。
大日川橋を渡り、反野畷沿いの松並木道へと進む。昔大日川の水害で市場村、大野村に被害があり、大野村が先に堤を築いたが、そのために市場村側の水害がひどくなり、市場側も排水路を完成させた。これが掘割である。松並木路を歩きだしたが、最初に松の大木があり、存在感は凄いが歩きながら松を数えて見ると5本しかない。がっかりである。
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。。。。掘割のお陰だ水害もなくしっかりとした茶畑に見える。。。。
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。。。。。期待した松並木路を撮る。残念だがたった5本しかない並木路である。これまで歩いた松並木はこんな惨めなところは何処にもなかった。がっかりを通り越し、あきれてしまった。
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。。。。。街道の開けた場所から野州川と遠く鈴鹿連山を望む。静かな風景なり。。。。。
。。街道に面して花枝神社の鳥居があり、その先の大野小学校の隣にある小公園で一休み。この大野村の街道には旅籠跡の石柱が多い。おそらく土山でも宿が多く大変な賑わいだったのだろうと推測する。長円寺の入り口に旅籠丸屋跡が空き家で現存してあったが、保存状態は極めて悪い。大野公民館の先に今回あてにした料理旅館(ますや)があったが、どうやら今は魚料理を中心とした仕出し屋のようだ。
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。。。。花枝神社の鳥居。本殿はどこにあるのか良くわからなかった。。。
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。。。。古き旅籠【丸屋】の家。保存状態は極めて悪い。これを見て気がついたのは土山宿には現在宿がないのが判る。たいして泊まる人も少なく馬鹿らしくなったのだろう。
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。。。。。現在の店は撮らずに看板だけ撮ってみた。期待した旅館だったのに!!。。。

。。。明治天皇聖跡の碑の先の国道を渡ると、正面に若王寺と云う寺が見えた。すぐにまた左折して旧道を進む。旅籠東屋跡を通り越し、大野西交差点出てきた。石灯篭があり信号近くの看板には(片山、今西)と書かれてある。此処で国道、県道を渡ると水口宿の入り口となる。
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。。。若王寺。かなり大きい大寺である。お伊勢参りの時は此処に寄る信徒が多いと聞いた。
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。。。。。。瓦屋根と藁ぶき屋根のコラボ。此処が旅籠東屋である。。
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。。。。。。この大野西交差点で国道、県道を渡ると水口宿への入り口になる。。
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。。。。。。。甲賀市水口、水口宿の入り口である。。
国道と県道を渡り、旧道に進み、坂道を登り、今郷一里塚跡に出る。傍には浄土寺と云う寺もある。この寺を左折すると国道で、高札場跡に出る。近くに(街道を行く)の著者司馬遼太郎の碑があるようだが判らずじまいで寄らなかった。彼は近江が好きらしいがどちらかと云うと中仙道沿いの(寝物語の里)が好きだったような印象である。高札場の先を右へと進むと、また風情ある街道に出てきた。県道を跨ぐと県道岩上バス停に出てきた。今日は早めに帰りたいので此処から11:50頃のバスに乗り貴生川駅に12時過ぎに到着。草津線に乗り換え、草津経由京都に13時過ぎに到着。.駅外の売店で少々手土産を買い、パスタ屋でスープで食べるパスタと久しぶりにビール生中を注文!14:58発の(ひかり)に乗り小田原経由藤沢へと向かう。
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。。。。。。。。今郷一里塚の榎の木(復元)江戸時代には桜が植えられていたと云う。。
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。。。。。。岩上バス停に向かう時に今日最後の街道風情に出会う。。。
。。本日の歩行成果。。歩行数...17744歩。。歩行時間...2,43h。。距離...10,64k。。正味所要時間..3,57h
。街道歩きも後三宿+京都三条大橋まで後52kあまり、もう山道はないので5月半ば頃には上洛を果たしたい。



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街道歩き。。東海道。。今回思いついたこと。

2018/04/29 12:32
。。。。。。鈴鹿峠を越えて。。。

。。。鈴鹿峠を越えて土山に入り感じたことはこの宿場には宿がないことである。旅に出る前に事前に調べておいたので大きな驚きはない。宿場の街道は関宿より長く,かっては旅籠が多数あったようだが、今は一軒も営業していない。今回の旅のために甲賀市の観光協会に電話して調べたが、当てにしていた土山の中心部にあった大安旅館は数年前に廃業、もう一軒の料理旅館(マスや)ももしかしたら交渉すればOKかもしれないと云われ、電話しては見たが、予想どおり宿泊の営業は終了したとの御断りの返事。そこで思ったことだが、旅館のホームページそのものは各旅館で作成したものと思うが、廃業と同時に消さないのが不可解である。市の行政も関知せずの構えなのだろうか?2004年に甲賀市に合併されており、その前は丸○○郡土山町だと思うが、合併による+思考にならなかったように感じる。なぜなら土山の宿は近辺の宿より大きく、観光の展開にも大きく開けそうな気がするだけに、廃業した旅館のホームページも放置しているのは行政がしっかりしていないからだとあえて感じてしまう。小生が水口にあるホテルまで足を延ばさなければならなかったから苦言を垂れているわけではない。折角行くのに宿がないのならバイバイになるのは当たり前である。良い面は不便さをカバーするコミ二ュティバスがしっかり運行されていることだ。
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。。。広重の関宿の関所風景。なぜ街道風情を絵にしなかったのだろう。??。。
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。。。。司馬江漢の描いた関の関所。明らかに紋が違う。どちらが正しいのかね〜。。。
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。。。。。。坂下宿。広重画。筆捨山が描かれているが、昔は岩山だったことが判る。。。。
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。。。。。。。司馬江漢の坂下宿の画。滝の写実観は凄い。。。。
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。。。。。。広重描く雨の土山の画。ちょうど鈴鹿峠を越えて近江に入る処の画であるが現実感がない。。
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。。司馬江漢の土山へ向かう峠の先になる道の画。雨はなく自分が歩いたときと同じ構図なので現実感あり。
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街道歩き。。。東海道。。29回。。38日目

2018/04/28 12:20
。。。。。。。。。2018(平成30)年4月16日(月)。。。。。。。晴れ

。。。亀山駅=関駅。。関宿〜市瀬〜沓掛〜坂下宿〜鈴鹿峠〜土山宿〜土山西バス停―水口ホテル古城

。。。。今日は長道中になるはずなので、ホテルの朝食を一番の6時40分から摂る。朝食をしっかり摂るのが街道歩きの鉄則だが、歳を捕るとそんなに沢山は腹に詰め込めないのが実情である。歩いているときにチョク、チョク食す方が自分は楽だし、すっきりできる。1時間に一本しかない関西本線柘植行きなのでホテルを早めにチェックアウト、途中のローソンで昼食、間食用のおにぎり、パン類、飲み物を補充。関宿から鈴鹿峠越えで土山宿までは食品類を買えるコンビニは全くないのを事前に調べておいたが、朝買った食料で何とかなるとは思っている。
旧道でも民家のある集落には飲み物の自販機はある。亀山8:03発の電車に乗る予定だが駅に着くとトイレに行きたくなり、結果1時間遅れの9:08発になってしまった。亀山から関方面に行くバスはないかと調べて見たが、やはりない。普通の旅人が関宿の宿場街道だけを体験したくて来る場合を考えると非常に不便であると感じるだろう。電車が1時間に一本なら、せめて地域バスなどを出す工夫が必要ではないかと思うのが自然であると思うが其処までの検討はされていないようだ。この宿場だけ見たいと云う人は帰ってから何人かに話すと結構いるのが判ったからです。
。。気を取り直し、次の9:08に乗り次駅の関に9:14到着。6分間の電車旅である。昨日の歩きの体験からチェックしてみると亀山江戸口門から関の東追分まで歩きだと何と2時間強はかかる訳だ。それだけに時間はチョク、チョク、チェックしながら歩くのが鉄則だと思う。宿場見学も普通の観光客と同じペースでやっていたら、鈴鹿峠越えはおそらく夕方になってしまい、山道をヘッドランプを頼りにして歩くようになってしまうだろう。それより土地感がない者が歩くと恥ずかしながら、街道歩きで遭難と云う笑えない事態もありうると思う。
。。。関駅から昨日の珈琲を飲んだ(山石)まで歩き、いよいよ後半の宿場散策と鈴鹿峠へのチャレンジだ。本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡を見ながら復元された高札場跡に来た。残念なのは(百六里庭)の2階に上がりそびれたことである。此処の2階からは上から見た宿場風情が見られ、撮影スポットとしても一番手の処だからである。
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。。。。。。。。復元された関宿の問屋場跡。。此処で商いが集中されたのだろう。
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。。。。復元された高札場跡、郵便局の前に設置とは粋な計らいに感じました。なんで?だってどちらも(昔も今も)情報の発信、着信の基地だもの。!!
天正20(1592)年から慶長5(1600)年までの8年間は関は幕府の天領で家康の宿泊所、御茶屋御殿等があったようだ。先を急ぐ。町家の前で花に水やりをしていた中年の女性としばし語らう。確か岐阜の高山の方からこの地に嫁いだようだが、来た時は宿場街道はまだ舗装ではなく砂利道だったようだが、宿場の立派さとスケールには驚いたと語ってくれました。一期一会だが語りついでに街道歩きの証拠写真を彼女の家をバックに一枚パチリして頂いた。
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。。。。。。。まだ疲れていないので、様になっているはずです。。。
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。。。。。。。。昨日関宿入りした東方向を撮る。背景に鈴鹿山系がないので、やや普通の画像だ。

先へ進むと歴史の道と彫られた大石の先に地蔵院が見え、赤い鐘楼の隣には明治天皇行在所の石柱も建っていた。西の追分に向かって歩いていると右側の山上に再開した関口ロッジが見えた。3年前に営業を終了したが代替わりで同じ名前でゲストハウスとして再開したようだ。昨日は泊りたかったと書いたが、山上までかなりあるように感じた。ダメ親爺曰く”泊まらなくてよかった!!”国道との合流点が(西の追分)である。
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。この地蔵院には日本最古の地蔵菩薩がある。関に暮らす人々、旅の人の信仰が厚かったようだ。
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。。3年前に廃業、今は代替わりしてゲストハウスとして再開。関口ロッジ遠望。
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。。。。西の追分。公園としてよく整備されている。公園の向こうが国道一号線である。

。。。いよいよ此処からが1国沿いに歩いたり、旧道を歩いたりしての鈴鹿峠に向かうで起点ある。先に進み市瀬橋で国道に分かれ旧道に入る。市瀬は小さな集落である。西願寺と云う寺の横に常夜灯があり、先の国道を渡りまた旧道となる。国道沿いの狭い道をとおり、前方に筆捨山が見え、近くに説明板がある。室町時代の画家狩野元信がこの山が中国の蓬莱山に似ているので描いたが、一日で終わらず、翌日に続きを描きだしたが雲が立ち込め風も出て,山容が刻々と変化するので、仕上げを断念して筆を捨てたと云う伝説が説明板に書かれていた。
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。。。。。。。。市瀬集落にある西願寺の常夜灯。。。。。。
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。。正面の三角の山が筆捨山ですが、中国の蓬莱山を見ていないのでイメージが湧きません。

国道に合流、また旧道へと進み沓掛の集落に到着。趣のある家並みが続いている。集落の中にある簡易郵便局を過ぎ「鈴鹿馬子唄会館」に出会う。あの”坂は照る照る、峠は雲る、あいの土山雨が降る”の唄が聞こえそうだ。会館上部の右には天文台、その上には「鈴鹿峠自然の家」がある。トイレもベンチもあるので門の鎖を潜り小休憩とする。すでに11:50、西の追分から一時間40分登りずめの歩きであった。
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。。。。。沓掛の集落の落ち着いた家並み。。。。。
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。。。”坂は照る照る、、、、”の鈴鹿馬子唄会館。。この左上には天文台。。
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。。鈴鹿峠自然の家。。昭和13年に建てられた坂下尋常小学校の校舎である。今日は誰もいないが夏休みには小.中.家族連れ等が此処に来て天文の研究や馬子唄体験などで賑わうようです。一休み中に一人くらい誰かが来るかと思いきや,誰も来なかった。単独行さま、さまである。三重、伊勢側最後の宿、坂下宿、鈴鹿峠入り口はまだまだ先である。
。。。では再出発。!!河原谷橋を渡る。此処からが最後の坂下宿の始まりのようだ。この宿東海道48番目の宿場である。室町の頃からあったようだ。本陣3、脇本陣1、旅籠48、があったようでこの山中では大きな宿場であったことは間違いない。現在は家も少ないが松屋本陣跡、大竹屋本陣跡、小竹屋脇本陣跡などの石柱があり大きい旅籠だったことが伺える。国道との合流点の手前に二人の男性の老人の像が東海道に向かって立っている。単純に写真を撮っただけなのでどういう謂われなのかよくわかりません。その隣に岩屋観音があり、たまたま車で来たご夫婦がペットボトルに霊水を詰めに来たようだ。この坂の横に旧道とは違う東海自然歩道があったが旧東海道とは違う。鈴鹿峠に行く近道らしいが、取り付き点でいきなり傾斜40度近い山道で無理をしたくないので1国沿いの旧道を進み、やっと片山神社入り口にたどり着く。此処からが本格的な山道になる。
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。。。。。。。。坂下宿.松屋本陣跡の碑。。。。。。。。
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。。。。。。。。二人の男性老人の像。。意味不明なり。。。
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。。。。。。。。片山神社入り口になる山道の様子。。
。。本格的な暗い山道を黙々と歩む。峠までは0,6kとあるがだんだんと急勾配になってきた。急な石段の上に片山神社があるが平成11年に火災で神楽殿を残して他は全焼。今は赤い貧相な社殿である。社殿まで登らずに下からの拝礼で我慢していただく。此処から一本ストックでなく、2本ストックに替える。4本足の歩行に近いので少しは楽である。灯篭が並んでいるところから急登になる。しばし急な山道を喘ぎながら登ると、上部で何か工事をしているのか金属音が聞こえる。7年前に肺がんを患い現在は普通人であるが右肺の下葉部が一枚ないのでやはり普通人よりは早く息切れが起きる。残念だが仕方がないことである。上を見ると国道の下り線の道の(裏底)の方を修理しているようだ。安全確保の工事だろうが山中で目の前で見るのは初めてだ。工事中の国道の腹底の下の階段を上り、開けた平らな場所に出た。芭蕉の句碑、馬の水呑み鉢が再現されていた。坂の傾斜も緩やかになり広いピークに出た。此処が鈴鹿峠である。かっては峠の茶屋もあったようだ。難所と云う言葉が頭にあったが登りきると意外にあっけなかった。
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。。。。。。いよいよ片山神社である。。暗い山道になってきた。。
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。。。。。。。。。。片山神社の横から傾斜が強まってくる。。。
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。。ここが片山神社本殿に上る階段である。。。下からの拝礼で勘弁してもらう。。
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。。。。。。。。山肌は今にも崩れそうで不気味である。。。
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。。。芭蕉の句碑。薄く文字はかすれ出していたので読みずらい。”ほっしんの、初にこゆる、鈴鹿山”おそらく初めて鈴鹿峠を越えた時に詠んだものだろう。
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。。。。。。。。鈴鹿峠の頂上につけられた道標。。。

。。鈴鹿峠の説明文を呼んでいるときに、後ろから熟年の男性が一人登ってきた。同好の士なので挨拶を交わし語り合う。東京の大崎の住人。一昨年リタイアして昨年後半から東海道にチャレンジし始めたようだ。20日の金曜に京都入りを計画しているようだ。庄野辺りから14日に歩きだしたようだ。約一週間泊りでの行動だ。羨ましい限りである。実はお互いに名を名のっていないが同好の士だけに話はよく通じる。一昨年リタイアだから自分より当然若い。ストックなしで歩いているのを見ると若さを感じる。一回り半下のようだ。自分の五街道の話をする。古希の平成20年から歩きだし、途中肺癌発症で一年ほど休み、医者に断り再開をして今回の東海道で五街道足破だと話すと、”10年間で5街道制覇ですか!”と驚いていたがその方は60代から始めているので自分よりもっと早くやれるはずだ!。お互いに街道歩きの証拠写真を鈴鹿峠の道標の近くで撮りあう。
。。お互いに其々のペースがあるので共連れ歩きはやめて単独行で進む。歩きだすと5分くらいで500mくらい先を歩いている。やはり若さだ!!伊勢と近江の境を過ぎるといきなり茶畑が広がる。土山は土山茶の産地である。雨と霧が多く日照時間も短くお茶の生産には絶好の立地らしい。大きな万人講常夜燈がある処に出てきた。傍にある東屋には竹製の杖が数本置いてある。近江から伊勢に行く人は此処で杖を借りて伊勢側の坂下宿で返し、伊勢から近江に行く人は坂下宿で杖を借り、近江側の東屋に返す。旅人への有難い配慮だ。この杖馬子唄保存会の方が手作りしているようだ。土山は今は甲賀市(こうか)の町である。坂を下り国道に出る。名残の松を目標に歩いているがどうも通り過ぎたようだ。国道は先にある地下道を潜らないと右側に行けないがまた老人の悪さであまり車の動きが少ない時をねらって右側の歩道に一気に突っ走って渡る。かなり危ないこともやっているのだ。国道から旧道に分かれるところに小休憩が出来るスポットがある。(ポケットパーク)と呼ぶらしい。先に行った同好の士も休憩中だ。彼もやや疲れが出たのか旧道への方向が判らず、自分のとこへ聞きに来た。自分の地図はかなり地域性を取り入れこんだ詳しいものなので、すぐに道が判り、また”お先に”と云ってスタートをした。彼は今日の宿は猪鼻の交差点から右方向にあるゴルフ場が経営するダイヤモンドホテルに予約を入れているようだ.猪鼻の交差点から山へ向かってかなり行くようだ。明日この交差点に戻り、水口宿、そして石部宿へと向かうのだろうと推測したが、水口まで16k。石部までは25kあるので水口泊りだろうと推測したが、若さがどう判断するかである。
。。さて自分の足のことに替える。旧道を進み名神の高速の高架を潜ると山中の一里塚の公演に出た。馬子唄の碑があり、それなりの風情を残している。先に進むと猪鼻の交差点で右に下り、まっすぐに行ってしまったがどうも雰囲気が違うので道を戻り、すぐに右の坂を登る。途中の家の軒下で仕事中のおばあちゃんに”此処は東海道ですか”と尋ねると”そうだよ、さっき下で見かけててっきりダイヤモンドホテルに行く人と思ったんだよ”と喋ってくれた。道は間違っていないことを確認出来一安心である。猪鼻の集落の急坂を登りまた国道に合流。すぐにまた旧道に入り下ると蟹ヶ坂の集落に出た。集落の東海道の道は目印の色は黄色に塗装されている。工場の建物を過ぎた頃、”何処から来たのよ”と地元の老人から声をかけられる。”今日は関からだけど、一昨日の出だしは江の島の方からだよ”と答えると年の割によくやるね、と感心されたのか,あきれたのかわからない答えが返ってきた。同年代の人と見受けたが足取りはしっかりしている。”気をつけてね”と声をかけサッサと先に行かれた。その先の海道橋を渡り田村神社の青銅の鳥居の前にぶつかる。その先を左折して国道に出て歩道橋を渡り、ようやくにして道の駅「あいの土山」に到着。時は17時である。
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。。。。此処が鈴鹿峠の伊勢と近江の境である。。。。
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鈴鹿峠の境でお互いに街道歩きの証拠写真を撮り合う。大分疲れてきたので二本ストックに支えられてるようだ
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。。。。。。近江側に出て万人講常夜灯を仰ぎ見る。。これからは近江の街道になる。。。。。
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。。。下の道路は国道一号である。いよいよ滋賀県甲賀市に入った。。。
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。。。。。国道途中のポケットパークにあった鈴鹿馬子唄の碑。。。。此処で同士に追いついた。
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。。。。。山中の一里塚跡。此処には馬子唄の碑と馬の像とそれを引く人の像が作られていた。
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。。。。猪鼻の集落にある旅籠(中屋跡)の碑と明治天皇行在所の碑があった。。
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。。。。。。。田村神社の傍にある高札場の説明板。。。。
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。。。。。。田村神社本殿に向かう海道橋。往時は木の橋、黄色で上手く再現されている。。
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。。。。。。。。田村神社の青銅の鳥居。実に重厚な感じがした。

。。道の駅の後ろから土山宿の街道が始まる。歩く前にホテルに電話をして遅くなる旨を連絡する。土山宿の街道説明文を読むと長さは2,5kとあり東海道の中では有数の長さだ。過って旅籠は多数あったようだが、今は一軒も営業していない。今回の旅のため甲賀市の観光協会に電話をかけ調べたが、当てにしていた大安旅館は数年前に廃業、もう一軒の料理旅館(ますや)も営業終了。結果先の宿の水口のホテル古城まで行かなければならないハメになったわけである。土山宿は狭い街道なので歴史観がありそうな処はなるべく見るように歩いた。ようやく街道の南土山の交差点に出てきて先の土山西バス停に18時頃到着。時刻表を見ると貴生川行きは18:24発だ。地域バスは当たり前に遅れてくるのが普通なので、宿に電話し、タクシーをバス停まで来てくれるよう連絡、答えはOKだが、驚いたことに此処土山にはタクシー会社はなく滋賀タクシーを振り向けると云う返事。実はタクシーもバスも18:24前後同時に来たので大失敗!タクシーをキャンセルする訳にもいかず、11k先のホテルまで乗車、大枚3680円である。バスなら全線250円なのだ。自己責任でタクシーにしたのだから仕方がないが本音畜生!!である。古城ホテルに19時頃チェックイン、大風呂に入り食事をとり早めに就寝。
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。。。。。。。。土山宿旧街道の入り口である。。
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。。。。此処は現代と過去が混じった普通の街道景観である。。
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。。。。。。扇屋伝承文化館。昔は(お六くし)を商いしていた(扇屋)と云う店。でもこの(くし)の発祥地は確か中仙道の藪原宿だと思うが、なぜ土山名物なのだろう?少し首をかしげた!!
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。。。。。。来見橋(くるみ)の先が土山宿の問屋場、本陣がある中心地だったようだ。。
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。。。。此処が土山本陣である。寛永11(1634)年、徳川家光公が上洛の時に建てられ、幕末には勝海舟も泊っているようだ。

。。。。本日の歩行成果...歩行数...33109歩。。歩行時間...5,14h。。距離...19,86k。。正味歩行時間..8,45h







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街道歩き。。。東海道。。29回。。37日目

2018/04/25 12:39
。。。。。。。。2018(平成30)年4月15日(日)。。。。。。。大雨、風。のち晴れ。。。。

。。。。。。。。。。。。。井田川駅〜亀山宿〜関宿=亀山。。。。。。。。。。

。。。。先月の27日以来19日ぶりの旅である。愛犬のホテル預けは昨日済ます。今日は天気予報通り早朝から大雨、突風である。どうしても小田原発7:04の(ひかり)に乗りたいので5時半大雨と突風の中玄関を出た。先月桑名で大雨の日に100円で買った傘をさして出かけるも、重いザックを背負っているので風にあおられ、傘もおじゃん寸前、小田急の駅傍で傘をたたみ一気に駅に駆け込む。これで予定通りの時間に行けそうである。藤沢駅の情報を見ると都内、千葉方面は電車の遅延が始まりだしているようだが、幸いにも遅れはなく小田原発7:04の【ひかり】で一気に名古屋へと向かう。関西本線快速に乗り継ぎ四日市で鈍行に乗り換え、井田川駅に10:06ようやく到着。最初のアプローチの藤沢から約4時間を要する。芭蕉のように日本橋からストレートに歩き各宿場を泊まりなら、江戸時代の旅の如くなるのだが、社会の事情、家庭の事情が邪魔をして思うようにならないのが現在の実情である。無人駅の待合室で歩きの準備をする、外は小雨がパラついている。雨やみ待ちと準備で10時半にようやく腰を上げる。駅前には日本武尊の像がスタートした自分を見送ってくれたような感じだ。井田川小学校の校庭には懐かしい二宮金次郎の像がまた見送りをしてくれた。すぐに1国を跨ぐ橋を渡り、狭い旧東海道の川合の集落をゆっくりと進む。先に進むと三重県内東海道中の最古の道標にぶつかる。いったん県道に出るがまた狭い街道を進んで(和田の一里塚)に出た。塚は復元されたものである。
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。。亀山はローソクの町で有名である。亀の甲羅に蝋燭を灯して歩いているデザインのマンホールである。。。
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。。。懐かしき二宮金次郎像。。都会ではほとんど見かけないが愛知、三重ではチョクチョク見かけた。。。
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。。。。。。。。。。和田の一里塚。。。。復元されたものである。。。。。。。
。。能褒野(のぼの)神社の鳥居がそびえているところに出てきた。ここら辺りが亀山宿の東の入り口になるようだ。茶屋街と呼ばれた処を通り江戸口門跡を右に曲がり(東町ふれあい広場)でトイレ休憩をする。この広場旧佐川邸の跡である。それらしき石垣が復元されていた。大手門を左に曲がり緩やかな坂道の旧道を歩む。
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。。。。。。。茶屋街と呼ばれた旧東海道。。何とはなしに花街の匂いを感じる風景だ。。。。
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。。。。。。。。此処が亀山宿の江戸口門跡である。。。。
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。。。。。。。。。緩やかな趣ある坂を下ると此処が遍照寺の山門である。。。。。。。。。
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。。。。坂を下ると今にも倒れそうな塀がある豪邸。。何とも不思議な光景である。。

遍照寺からの坂を下り広い道と交差した。人々が集まる場所で(たまり坂)と名ずけられている。この坂を登り多門櫓に到着。亀山神社に拝礼して多聞櫓に上り改修中だが内部をのぞいてみる。短時間の見学で櫓から離れ、京口門跡から先へと進む。下をのぞくと竜川が流れており、川沿いを一人の老人が歩いていていたが、なんとなく往時を偲ばせる雰囲気を感じた。静かな野村の集落の街道を歩きながら見た光景だけに余計に往時を感じさせたのかもしれない。野村の一里塚は榎でなく、樹齢400年の椋(むく)の木が聳えていた。椋は珍しく此処と佐山街道の一里塚に現存するだけだそうだ。昼寝観音のところで道が左右に分かれておりどっちが東海道だか困惑してしまい、アンチョコの地図を出すと左の坂道が街道である。
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。。。。。。。。。下から見上げるように見た亀山城の多門櫓。。。。。。
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。。。。。。。。竜川沿いを一人歩く初老の老人、昔の光景はこんなものだろう。。。。
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。。。。。。。野村の一里塚(百里目)樹齢400年の椋の木の塚である。。。。
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。。。。。。。。。。。静かなる野村の集落の街道風情。。。。。
坂を下りJR線の跨道橋を渡り鈴鹿川沿いの大岡寺畷を歩く。かなり長い桜並木の道である。今月初めまでは見事な景観であっただろうと想像がつく。約2キロにわたる桜並木だけに圧倒される風景だと思われる。神辺大橋の先で、東名阪の高速道路の高架を潜る。この高架の下の壁には広重のこの地を主体とした浮世絵が描かれていた。一服の清涼剤である。
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。。。。。。。。。。亀山宿を去り愈々関宿へに向かう道標なり。。。。。。。。
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。。大岡寺畷の鈴鹿川沿いの桜並木道、今は葉桜である。約2キロにわたる旧街道である。
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。。東名阪の高速の高架下に描かれている広重のこの周辺の浮世絵。。何とも街道保存には憎い試みだと感じました。
この浮世絵を散見しながら高架を潜ると景色はダイナミックに開け正面には鈴鹿山系、左には鈴鹿川、右には田園風景が広がりのんびりと川沿いの旧街道を歩む。関西本線の踏切の手前100mくらいは街道整備が終わってなく歩きにくい石ころの道である。踏切を渡り左の小野川橋を渡るといよいよ関宿の入り口である。1国を車が来ないうちに一気に右の旧道へと走り渡る。老人の一番危ない行動だ!!。宿場の東の追分の手前に(小万もたれ松の碑)がある前の公園で一休み。この碑は父である久留米藩士が殺されその仇討を打つた後に子万がこの松に持たれて、過去を振り返ったようである。
。。。さていよいよ関宿の宿場街道である。余計な感想文よりその風景を数葉入れたほうが無難であると思い少し写真のページにします。
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。。。。東の追分にある大鳥居。此処から伊勢神宮への道(伊勢別街道)にもつながる。。。。
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。。。。夕刻近い関の宿場街道。。このタイムトンネル約1,8キロ近い長い街道である。左右往時の町家、商家である。東海道唯一の国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
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。。。明日また此処を通るので続きは明日にします。これだけの古い景観がある宿場は自分が歩いた他の中仙道、甲州街道、奥州街道、日光道中でもお目にかかっていない。強いて言うと関宿の次は中仙道の奈良井宿の街道、だと思う。妻籠,馬籠もそれなりに感銘を受けたが、やや観光的雰囲気が強く感じてしまう。残念ながら甲州街道、日光道中、にはないが、強いて言うと奥州街道のゴール白河の古き町並みを駅に向かった街道に風情を感じた.(関のまちかど資料館)に寄るつもりだったが、16時閉館なので周辺地図だけをいただく。ゲストハウスの石垣屋も文献で読んだ若いライダーやバックパッカ―達の賑わいは感じられなかった。此処に食事持参で泊ろうかとも思ったが、客同士座敷でワイワイやりながら一晩中騒ぐのは、街道専門の自分には不向で、翌日の歩きに大影響を与えるのでやめにした。小一時間の宿場散策だったが十分に堪能した。今日は亀山に戻り予約したホテルに泊るので、電車の時間に合わせ、百五銀行の斜め前にある(山石)に寄り珈琲ブレイクとする。少し親父さんと旅談義をすると、5〜6年前にやめた関口ロッジが代替わりして今はやっているとのこと、ただゲストハウススタイルなので宿泊は食事つきではないらしい。簡単な喫茶スタイルのものぐらいはやってくれるようだが。?でも一人なのでそれを知っていれば泊まったと思う。残念である。時間運びのためには。
。。山石を去り駅に向かう。1時間に一本の17:03に乗るためである。亀山に7分ぐらいで到着。国道沿いの(ホテル,エコノ亀山)にチェックイン、ひと風呂浴びてホテルそばの居酒屋【いっぱち食堂】で生中ビールと赤霧島のお湯割で適宜食す。明日は最大の山場!鈴鹿峠越えだ。距離も長い。早めに寝ることが肝要。テレビはオフタイマー1時間にして9時半にはベッドイン。
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。。。。。。無人駅,関駅、3月31日までは有人駅だったが4月からは無人です。
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。。。寂しいよこの駅は!!乗客は自分と地元の若い女性2人だけ。。下りホームは誰もいません。

。。。。。。。。本日の歩行成果。。歩行数...22190歩。。歩行時間...3,28h。。。距離...13,31k。。正味所要時間...7,08h
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。。。亀山の宿泊したホテルです。駅から10分くらいです。もう一軒駅から5分のホテルあるはず。。
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街道歩き。。。東海道。。28回。。。36日目

2018/04/09 14:05
。。。。。。。。。。。。。。。2018(平成30)年3月27日(火)。。。。。。。晴れ。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。庄野宿〜亀山宿〜関宿。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。。今回の2泊3日の最後の旅の日である。昨日も庄野宿の高札場跡でストップ、その続きを今日始める。前回の3月初めも最後の日に大雨となり同じように中途半端に終わってしまった。ここのところ街道歩きに出かける時には、ファミリ―も友人も”無理するなよ”と必ず言われるようになった。それだけやはり体力が低下してきているのは自覚している。さてお陰さまで今日で本当の万年齢の傘寿になりましたので、元気を取り戻して頑張ります。表題の行程には今日はなりません。
。。ホテルを7時50分頃チェックアウトしてスタート。8:22発の亀山行きに乗車。昨日の加佐登駅に8:40下車。駅前にある地域振興バスの時間表を見ると8:50発の鈴鹿の平田町行きがあるのでバス停で待つ。しかし定刻に来ない!!。9時過ぎたのでタクシーを呼び8分ほど待って来たが、ほぼ同時刻にバスもやってきた。”畜生〜!!”と叫びたくなった。楽して行こうと思ったのが仇になった。そんなに遠くないのだから最初から素直に駅から歩けばよかったと後悔している。タクシーで庄野宿の川俣神社までお願いする。この神社、庄野地区だけで3か所あるので運転手さんにはっきりと伝言。庄野宿内に神社があるのは運転手さんも初めて知ったようだ。正確に指示しなかったら、違う場所の神社に連れて行かれるところだった。運転手さんも初めてと見え、逆にお礼を言われた。あとで調べると川俣神社は鈴鹿川の合流、分流地点で氾濫に昔は悩まされ、そういう川の近いところにこの名前の川俣神社が庄野、鈴鹿を含め6か所ほどあるのだ。だから川俣と云う名前になっているようだ。
川俣神社前で下車、すぐに神社の中にあるスタジイの木を見に行く。
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。。。。。この地で最初に見た川俣神社。鳥居から見てもしっかりとした造りの神社である。。。。。。。。
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。。。。。本殿の右横に位置したスタジイの木。樹齢300年で高さは11m。三重県の天然記念物として昭和44年に指定されている。。。。。島根県の松江にはもっと大きい木があるようだ。シイの木の一種である。
先に進むと庄野宿の西の標柱があり、此処で宿場は終わりのようだ。汲川原町と云うところで、県道と国道一号が交差している場所があり、国道に沿うような旧道に行きたいので近くに交番を見つけ、オマワリさんに地図を見せて教えてもらう。持っている地図の記載通り県道を潜り右に行くが登り口があったので、階段を上り広い道に出て左折。汲川原橋を渡るがどうも道が違う感じ、橋を渡り大きなガソリンスタンドで道を聞くと案の定違っており、国道と思った広い道は、まっすぐ行くと鈴鹿サーキットの方へ行ってしまう。渡ったばかりの橋へ向かい、また長い橋を渡り、ようやく国道一号にぶつかる。およそ30分強の時間損である。国道を左折、ようやく当初の旧東海道の道を歩くことが出来た。
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。。。。。。。。。。。庄野宿西の東海道の石柱。。此処で庄野の宿場は終わりである。。
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。。。。間違えて渡った汲川原橋から鈴鹿川の支流安楽川の中州地帯を摂る。素晴らしい景色である。。。

この旧道人を見かけない寂しい道だ。真福寺と云う寺を過ぎると神戸領傍示杭の先に女人堤防碑があるところに出た。説明板を読むと、此処汲川原村は鈴鹿川と安楽川の合流地点でたびたび水害に悩まされていて、築堤
の許可を仰ぐも藩は許さず、その村の女衆が6年間手作業で堤防を築いたが、女衆は処刑場に送られたが,、赦免が出て全員打ち首にならず救われた。女衆たちのたくましい行動で、この村も水害を免れるようになったがなんとこの碑は200年後の昭和32年に建立されたようで、なんとなく明治、大正、昭和初期と男尊女卑の慣例の感じがしてならない。黙々と歩き(中富田の一里塚)とまた川俣神社に出会う。
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。。。。。。。。。人を見掛けない寂しい旧街道である。。。。。。
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。。。。。。。汲川原村の水害を救った女衆たちの碑である。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。中富田の一里塚跡。。大きな常夜灯があった。。。。。。。。。
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。。。。。。。。次の橋を渡る手前の鈴鹿地区の川俣神社。此処でしばし休憩をする。。。。。。此処に着いたのは11時半ころ。歩行数は5986歩、距離は3,59キロ、歩行時間は0,57h、正味所要時間は約2時間かかり歩行時間の倍かかってしまったことになる。やはり道を間違えたことが全ての原因である。

安楽川に架かる和泉橋を渡り風情ある井田川の旧道を進み小田坂下のバス停の先の地福寺にたどり着く。間もなく井田川駅だが此処でも道を間違える。地福寺の坂を登りJRの跨線橋を渡ってしまった。地図で見ると本来は踏切を渡るのが旧道である。まあ〜何とか駅に着けるだろうと高をくくりながら歩き、前方から自転車に乗った若い学生が来たので道を聞くと”駅には行けます”と教えてくれた。しかしいきなり国道一号に出てしまい、いわゆる方向音痴状態になってしまう。国道沿いに広い駐車場のあるフアミマがあり店内に入り女性に道を尋ねる。どうも街道歩きで間違えてこの店に寄る人が多いようで、店から表に出てきてくれ、懇切丁寧に駅への道筋を教えてくれた。素直に歩きようやく井田川駅に到着した。
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。。。。。。。この寺から道を間違えて遠周りで駅に向かうことになってしまった。。。。。
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。。。。。。。。。だれ一人といない寂しい無人駅の井田川駅の下りホームです。。。。。。。
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。。。。。。。。下りホーム側から井田川駅の上りホーム全景を撮る。上りも誰もいません。。。。。。
駅が今日のゴールなので結果は、歩行数...9478歩。。歩行時間...1,31h。。距離...5,68k.。。正味所要時間...2,40h本当は次の亀山宿なのだが5,3キロ先で、今日は帰路の日で名古屋発の新幹線【ひかり】15:26に乗りたいので一応の街道歩きは中途半端だが此処で終わりにした。次回はこの井田川駅からの歩きを始める予定。庄野宿で45宿目なので、京都のゴールまで8宿を残したことになる。距離にして約88キロ、そして最後は各宿場間の距離が長く、鈴鹿峠越えをするので、体力も今までの倍以上使うだろう。
。。井田川駅から12:10発のJRのワンマン電車に乗り亀山に向かう。亀山で改めて3割引きの帰りの乗車券を購入。四日市から亀山までは全部無人駅なので切符の購入は出来ない。駅そばの喫茶店で昼飯でパスタを食べ13:24発の快速に乗り名古屋に向かう。名古屋14:35着。予定の新幹線に乗り一路帰途に就く。
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。。。。。。。駅前の鳥居越しに観た亀山駅。。寂しさを感じるでしょう。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。亀山駅から次に歩く亀山城方面を撮る。鳥居の先の右の店は閉鎖、ほかも閉鎖。昼食をした喫茶店が唯いつ営業中の店でありました。
。。。。。。。。ではまた4月中旬頃に!!。。。。。。。アディオス!!
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街道歩き。。。東海道。。28回。。35日目。。44宿、45宿

2018/04/07 15:27
。。。。。。。。。。。。。。。。2018(平成30)年3月26日(月)。。。。。。晴れ

。。。。。。。。。。。。。。。。四日市宿〜石薬師宿〜庄野宿。。。。。。。。。。。

。。。6時半からの朝食を摂り、一息入れてホテルを8時にチェックアウト。今日はかなり歩くと思うので早めにスタート。昨日のアーケードの商店街を通り、アーケードが交差する処に来た。桑名から来る東海道はこの地の諏訪神社から商店街を抜ける。同じようにアーケードである。この道が東海道である。
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。。。。。。。このアーケードの商店街が旧東海道である。確かこの先の滋賀県の草津にも同じ光景がある。中仙道を8年前に歩いた時に見た。
アーケードを抜け県道を国道一号線手前を右に横断、旧道に入る。道筋に近いところにあるコンビニ(ミニストップ)で昼食用のおにぎりと飲み物を補充。先に進むと小説家、丹羽文雄先生の生家跡である崇願寺に出た。
。。四日市は戦後石油化学コンビナートの立地となり工業港として発展するが、世に言う四日市公害問題が発生、多くの人が喘息患者となり、今なお闘病中の方も多い。小生の高校同期の女性の旦那がここ四日市のI産業のお偉いさんで公害対策とその対応に身を粉にして対処されていたことが思い出された。しかしその同期の女性とは同期会の集いでチョクチョク会うが、その公害問題には語ることはしません。気持ちはよくわかります。
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。。。。。。。。。。此処が丹羽文雄先生の生家である崇願寺である。幼稚園も併設されていた。。。。。。。。
東漸寺を過ぎ近鉄名古屋線の下を潜ると、今度は三重交通の【あすなろう鉄道】の赤堀駅があり愈々本格的な狭い道の歩きとなる。鉄道で気がつくことはここ三重県はJRの関西本線より近鉄を中心にし鉄道王国であり、私鉄のお陰で街が発展してきたので、JRはやや”ちじこんでいる”のが目に見えるようである。私鉄、特に近鉄様、様である。赤堀駅傍の鈴木薬局の建物は四日市で一番古い建造物で嘉永5年(1852)の創建らしい。しかし今現在のお屋敷も凄いが古建物がどれだかよくわからずに一応撮影してみた。
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。。。。。。。。この建物が往時の鈴木薬局だろう。左奥の二階の今の建物が営業中の鈴木薬局である。。。。
此処の旧街道は歩道部分が茶色に近いオレンジ色に塗られており、はっきりと区別されるような配慮はあるが交通量が多く、歩くのには車に遠慮しながらの状態である。でも旅人は歩かざるを得ないのである。鹿化川(かばけ川)を渡る鹿化橋から日永の街を歩く。狭い、怖い路を歩き天白橋を渡ると(日永の一里塚)跡に来た。江戸から100里、我も400キロ歩いたことになる。!!その先には(名残の一本松)が天高く聳えていた。伊勢蔵と云う味噌工場があり、国道一号と合流するところに出てきた。此処が伊勢参宮道との分岐点で右が東海道、左が伊勢参道である。此処日永追分には追分地蔵が祀られ、鳥居もある。傍には湧水があり、ポリタンクを一杯持参して水を汲みに来ている人がいる。小生が10分ほど休んでいる間にも5〜6人は来ていたと記憶している。最初にいた老年期を迎えた叔父さんは車にポリタンクが積んであり、汲んでは運びで一生懸命である。
。。そのうち目が合い話しかけてきた。”何処から来たのよ”と聞かれ”今回は昨日桑名から歩き始めたが、最初の出発地は日本橋だよ、住まいは江の島の近くだが”と答えるとやはり後期高齢者のひとり旅にはビックリしたようだ。”俺は石薬師から来たのだが、もし途中まででもよければ乗っけて行くよ”と云われ、実はこれから行くところが石薬師宿なので少し楽するか!と気は緩んだが、おじさんも小生の反応が今一なのを察してあんたは歩くのが目的だからどちらでもよいよ”と云われたので半心は同乗したいのだがやはり歩くことにした。気持ちが揺らいだのは叔父さん曰く”車で30分、歩いて二時間半”と云われたのが頭にこびりついたのが本当のところである。この追分で長休み(35分ほど)をしたので、おじさんが自分のところに来て”気をつけてね!”と別れのあいさつに来たので、”街道歩きの証拠写真を一枚とってよ””実は本当にお前さん一人で歩いているのかよ”と疑問符を投げかける悪友もいるので、お願いしたと云うと、”なるほど、わかるよその言葉は”と快くこの追分をバックに撮影してくれた。旅の出会いの最高の喜びでした。
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。。。。。。追分手前の(名残の一本松)。。昔この辺りから泊の集落まで、街道の両側の低い土手に松の木が並べられて植えられ、その最後の残りの一本である。
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。。。。。。。。日永の追分。右の石柱に(左いせ道)と彫られている。右は東海道と彫られている。左下に見えるのが湧水の屋方である。
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。。。。。。。。。。。出会いの叔父さんに撮ってもらった街道歩きの証拠写真。。。。。。。。
。。追分の道標(2代目道標)。。。「右京大阪みち」「左いせ参宮道」「すく江戸道」「嘉永三年己酉春二月桑名魚町尾張文助建之」土地から強く彫られている。
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。。。。。。。日永追分の鳥居の由来。伊勢参道と東海道を分けるところに鳥居がないのはおかしいと思い、この地の篤志家が此処に鳥居を作ったようだ。この写真が由来の文章です。
。。。歩けば2時間半と聞いてなるべくピッチを上げながら進む。桜がある道を歩き、【あすなろう鉄道】の終点駅内部(うつべ)を左に臨み、国道を進み、国道の左に見えた和菓子やの菊屋へ行く横断歩道を渡り、旧道に戻ったが、此処で右に曲がるのを左に行ってしまい,杖衝坂がある方向とは違うのにきずく。
道筋の表玄関先にいた老人に”この道は東海道ですか?”と尋ねると違いますとの答え。親切な方で家に戻り、これから行く予定の亀山、関、坂下等の宿場案内を持ってきて丁寧にご夫婦で道を教えてくれた。おまけに宿場案内も持っていきなさいと小生にくれた。ご内儀は私より一つ上の81歳、ご主人は”この方は私の大先輩だ”と云ったので年下のようだ。やはり歴史が好きでこの周辺はチョクチョク歩いているようだ。同好の志と小生を見てくれたようだ。追分から一時間ほどで又親切な方に会えて、出会いの素晴らしさを再認識した。教えてもらった道を素直に行くと何で間違えたのかと自省するほど簡単に予定の道にすすめた。いよいよ杖衝坂である。いきなりの急坂40度近い、突き当たりに小さな金刀比羅宮があり左折してさらに登ると、中腹に芭蕉の句碑と弘法井戸があり、芭蕉の句碑には”歩行【かち】ならば、杖つき坂を、落馬かな”と云う句がうっすらと読めた。この坂を芭蕉は馬に乗り、行こうとしたがあまりの急坂で落馬してしまった様子を句にしたためたようだ。短い坂だが登りきると平坦な道となり国道一号線が右下に並行していた。国道に合流し、地図で見た采女(うねめ)と云う名の喫茶店に疲れ休みに入る。昼時が近くランチ目当てに私の後から4〜5人が続々と入ってきた。勿論皆さんはランチタイムである。小生のような暇人ではない。自分は空腹ではないのでアイスコーヒーに留める。
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。。。。。。。。。。。杖衝坂の登り始めにあった小さな金刀比羅宮。。。。拝礼はしました。
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。。。。。。。。中腹にある史跡。芭蕉句碑と弘法井戸。。屋根つきのところに句碑と井戸がある。もしこの坂を芭蕉が登らなければこんな歴史遺産はなく単なる急坂で終わったのだと解釈。
。。。20分ほどの中休みをして再出発。うぬめの交差点から左折、国道に沿う旧道を歩き坂を下ると木田町大谷と云うところに出て国道の下の地下道を抜け、また国道の右に出た。どうやらこの辺りから鈴鹿市にはいったようだ。右前方を見ると狭い坂道が見えどうやら石薬師宿の入り口に来たようだ。左に石薬師宿の標柱があり、又一休み。万歩計を見ると四日市から10,6キロの地点である。日永の追分から2時間40分ほどかかっている。距離はガイド本で見た通りである。この地は歌人佐々木信綱が生まれたところである。この街道の入り口に此処からは(かるたの道)ですと書かれていた。信綱の和歌が旧道沿いの左右の民家の塀に50首貼られてあり、旅人が左右の歌を詠みながら歩くと云う粋な計らいである。なかなか味のある街道の気配りである。
坂を登りきると平坦地となり、小沢本陣跡、佐々木信綱記念館、天野記念館などが連続していた。この街は佐々木信綱と石薬師寺ですべてが表現できるような感じがする。
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。。。。。。。。。。石薬師宿入り口の標柱。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。小沢本陣跡の家方。。連子格子の側面がきめ細かい。。素晴らしい保存状態である。
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。。。。。。。。。。佐々木信綱記念館、玄関付近、入り口周辺も綺麗に整備されていた。。。。。。。。
。。。。。。かるたの道で見て、詠んだ信綱の歌を少し紹介します。
。。。。。。。”四日市の時雨蛤、日永の長餅の家土産まつと、父を待ちにき。。”
。。。。。。。”湯の宿の、つんつるてんのかし浴衣、谷の夜風が身にしみるなり”
。。。。。。。”蝉時雨、石薬師寺は広重の、画に見るがごとく、みどり深しも”
。。。佐々木記念館の手前に天野記念館がある。われわれ社会人になって最初にお世話になるのがタイムレコーダーである。天野修一さんも石薬師宿の生まれでタイムレコーダーの生みの親である。実は三重県の方とは始めて知りました。てっきり東急線の綱島駅?の近くに会社があるだけに今までは横浜の人だと思っていました。
街道歩きは知識を得ることが多く勉強になりますね。!街道に戻りしばらく行くと街道の雰囲気とやや異なる青い橋が現れた。瑠璃光橋と云います。この橋を渡るとこの宿のランドマークの石薬師寺である。
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。。。。。。。。。。。。。青い瑠璃光橋。。。。次の寺とはどうしても雰囲気がつながらない。。。。。
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。。。。。。。。。。。石薬師寺の裏山門。。。
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。。。。。。。。。表門から入ると古寺であるのがよくわかった。本堂に向かう左に青面金剛が邪鬼を踏みつけて構えている。この寺なら時代の創建で、当時は壮大な伽藍だったようだが今はこじんまりしているようだ。本堂まで踏み込まなかったので良くわかりません。
。。。寺の近くに天然記念物の蒲桜があるようで寄り道をする。。。。
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。。。。。。。。蒲桜の由来が描かれた看板。。。逆桜とも言われているようです。。。。。

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。。。。。。。。四方八方に枝が伸びており桜が咲いたら見事なもんだろうと推察できる。。。。。。
旧道に少し戸惑うが狭い道を下り集落を過ぎ、橋を渡ると石薬師一里塚に出た。塚から左の狭い道を下りJRのガードを潜ると水田が現れ、この中のあぜ道が東海道であり、トラックがビュンビュンと走る国道一号に合流。国道わきの歩道を通り、途中からまた田園地帯を歩き庄野町北交差点で右に曲がり坂を下ると庄野宿入り口の標柱に出会う。
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。。。。石薬師一里塚。田園の中にあるだけに郷愁を感じさせる塚である。往時の風情がぷんぷんと匂う感じ。
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。。。。。。。。。。。。田園の中にぽつんとある標識、誰も見かけることがない場所を歩いているのだ。。。。。
庄野宿に入り資料館を左に見て連子格子の家並を通り高札場跡まで歩く。時間は15時半、今日のゴールは予定では亀山宿の手前の井田川駅までの残り5キロだが今の歩速では一時間半はかかる。井田川に着くのは17時を過ぎると思う。薄暮から闇になるので、ヘッドランプは持っているが未知の土地では土地感がないのでうろうろするだけで時間を食うので、今日は庄野本陣跡で打ち上げとした。JR加佐登駅まで戻り、今日も四日市のホテルを予約してあるので、電車で戻る。此処加佐登駅は無人駅なので待合室にいた地元の人に尋ねると、乗車券は車内の車掌から買うようになっているのが判った。しばし待合室で休憩。天井を見上げると早くも燕が巣作りと子供の餌さがしで飛び回っていた。
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。。。。。。。。。。。庄野宿入り口の看板。。。。
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。。。。。。。。。庄野宿資料館。。この建物は小林家と云う元油問屋の建物である。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。この街も連子格子の街並みが続いている。短いが。。。。。。。。。。
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。。。。。。。JR加佐登駅。無人駅である。。。。。
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。。。。。。。。。。。。早くも燕が到来してきている。。。我が藤沢ではまだ見ていない.我が家近所の家に毎年来るのですぐわかるのだが?。。。巣は近くにあるが外敵がいないか様子見しているのだろう。
16:34発の電車で4駅先の四日市まで戻る。17分で到着。国道一号線にある(四日市スーパーホテル国道一号館)にのんびり歩き17:15にチェックイン。近鉄四日市駅周辺は極めてにぎやかだが、JR四日市駅周辺は寂しい限りである。こんなにも私鉄とJRでは差があるもんだと再認識した。やはり三重県は私鉄王国なのだ。今日は相当歩き疲れているので、外食は面倒なので、近くのコンビニで夕食らしきものを購入、ホテルの部屋で夕食をした。このホテルは天然温泉の大風呂があるが明日の早朝に入ることに変更、明日の行動計画を確認して早めに就寝。確か御在所岳の湯と書いてあった。
。。本日の歩行成果。。歩行数..27804歩。。距離..16,08k。。歩行時間..4,27h。。正味所要時間..7,28h。
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。。。。。広重の画。。風に飛ばされた菅笠を追いかける旅人。世界的に有名な画です。
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。。。。。広重作。。。世界的にも最も良く知られた画。突然の雨と風に街道を急ぐ旅人達。。。。


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街道歩き。。。東海道。。28回。。34日目。。43宿

2018/04/05 11:14
。。。。。。。。。。2018(平成30)年3月25日(日)。。。。。晴れ。。。。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。桑名宿〜四日市宿。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。。。3月5日以来の歩きである。前回の最終日3月5日(日)は全国的に荒れ模様で、西日本に位置する桑名もご多分にもれず大雨の半日でした。勿論街道歩きの目的は達成できず、桑名宿の中心部を傘をさしての半日行動で終わった。あの日は帰路の途中名古屋駅で昼食を摂った13時頃にようやく雨脚も弱くなってきた感じがしました。さて今回は出来る限り鈴鹿峠の登り口の関宿までは歩こうと云う思いの旅にしたいのが本音であるが?
。。。。。愛犬様を8時半にワンちゃんホテルに預けに行き、その足ですぐに藤沢駅に向かう。藤沢発9:02に乗車、小田原発10:04発の【ひかり】に乗り継ぎノンストップで名古屋まで運んでもらう。ようやく桜も咲きだし間もなく満開の予測もあり、春休みの時期だけに月始めとは打って変わって自由席も満杯に近い。いつもの2列席の富士山側は一杯、3列席の中ごろの通路側が開いていたので着席、以後は約一時間の睡眠時間にした。名古屋に11:17着、すぐに関西本線に乗り継ぎ桑名に11:59到着。15分ほど歩き準備をしてスタート。小田原駅で買ったおにぎりとお茶で何とか昼食をごまかせばよいと、昼だが食せずに出発。前回歩き終わりの最後の地点(吉津屋見附跡)まで飛ばす。前回の朝カラオケの喫茶店前に13時頃到着、これからが今日の街道歩きの本番である。県道を渡り歴史深そうな玩具屋の【いもや本店】を見届け、七曲見附跡に到着。此処で現旅人も小休憩を盗る。桑名駅から4975歩、2,98k地点だ。
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。。。近鉄桑名駅の隣にあるローカル線の始発駅、西桑名駅(三岐鉄道北勢線)。やはり寂しさを感じた。。
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。。。。。。。。。。吉津屋見附跡近くにある玩具屋(いもや本店)店は古いが現役の店だ!!
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。。。。。。。。十念寺。。。。
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。。。。。。。。。歩いているときに撮ったこの地の海抜表示。海抜1,3mでは7年前の大地震クラスが来れば四日市の海がこの場から離れているとはいえ大津波が来れば此処まで浸水の恐れがあると思う。。。
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。。。。矢田立場跡。。。火の見櫓も復元され、往時が偲ばれる風情が残っていた。。。。。。
此処で現旅人も休みたいが、座れそうなところがないので、その先の了順寺で再休憩。ウインドブレーカーなどを脱ぎ、歩きやすいように姿を変える。少し軽昼食を摂る。15分ほど休み旧道を歩きだす。安永と云う地域に入る。右に見える城南神社前を過ぎ国道の地下道を潜り町屋橋へと向かう。
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.。。。。。。了順寺本堂と鐘楼。山門を撮るのを忘れたが文献を見ると桑名城の山門を此処に移したとあった。それだけにかなりのお寺である。

旧道を進み町屋橋手前の常夜灯に出会う。左角には昔の茶屋の名残でもある料理旅館(寿司清)がる。店の裏の公園で小休憩古くはこの公園の先から町屋橋があったようだ。寿司清の玄関先に工事の車が3台止まっており、聞き耳を立てたつもりはないが、どうやらリフオームをするような会話だった。
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。。。。。。町屋橋手前の常夜灯。右に進めば津、松坂への道らしい。。。。。。
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。。。。。。。寿司清裏の公園にあった町屋橋周辺の案内板、右の方に昔の橋があったようだ。。。。。。
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。。。。今の町屋橋を渡り旧道を進む。やはり街道風情をこころなし感じる場所だ。
一休み後町屋橋を渡り山口誓子の句碑と縄生一里塚を左先方に臨み、近鉄朝日駅の踏切を渡る。。駅前右はTOSHIBA三重工場である。隆盛を誇ったあの東芝は赤字の経営で今いずこの感ありである。
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。。。。。。。。。近鉄朝日駅前の大東芝三重工場。でも中身を問われているだけに寂しい限りである。。。
四日市の地場産業は万古焼で土鍋のシェアは8割と初めて知った。どこの家庭にも必ずあるだろうあの土鍋である。先に進むと浄泉坊の鬼瓦が飾られている。山門にある鬼瓦には徳川の三つ葉葵の紋があり、参勤交代の大名は籠から降りて一礼して行った伝えられている。しばらく歩き左折するとアサヒタオルの工場に出会う。タオルの名前はよく聞くがこれもこの地の地場産業である。両側は水田で、その昔は追い剥ぎ、辻切り,乞食が出没した寂しい路だったようだ。伊勢湾岸自動車道路の高架を潜り朝明橋を渡ると四日市に入ったことになる。旧道を進み、富田一里塚跡を過ぎ時計を見ると17時である。商店街らしき通りを進み近鉄富田駅で今日の歩きは打ち止めにする。この先四日市中心部までは6キロほどあり、疲れた体に鞭打って歩けば19時過ぎになるだろう。次の機会にこの間は穴埋めしようと考えている。駅を17:11発に乗車4駅先の四日市に向かう。ホテルは駅傍にある四日市アーバンホテルである。

本日の歩行成果。。歩行数..17935歩。。距離..10,16k。。歩行時間..2,57h。。正味所要時間..5,18h

ホテルでひと風呂浴び、街に夕食に出かける。駅から続くアーケードの商店街の左右には居酒屋を中心に沢山
の飲食店があり、やや高そうな蕎麦懐石の店に入り、長居しない程度の酒と食事を摂る。ついでにザックの荷物を軽くするために明晩泊る(四日市スーパーホテル国道一号館)に不必要なものを預けに立ち寄る。
今宵の宿に戻り明日に備えて22時頃すぐさま就寝をする。グッド、ナイト!!




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街道歩き。。。東海道。。27回。。33日目

2018/03/21 16:18
。。。。。。。。。2018【H30】年3月5日(月)。。。雨後大降り。。。。。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。桑名宿〜四日市宿。。。。。。。。。。。。。。。

。。。。雨の予想はしていたが、6時頃目覚め外を見るとまだ雨は降っていない。でも全国的に雨予報なのでいずれは本格的な降雨になるだろう。1Fの朝食会場はリフオーム工事中のためホテルが弁当類(米飯+おかず)パン類、牛乳、珈琲、ヤクルト、ヨーグルト、など多数、多種類用意してあり好きなものを好きな分だけ獲って部屋に持ち帰り食べると云う苦肉の策をとっていた。でもリフオーム中なので仕方がないことである。6時半頃提供の朝食類を1Fにとりに行く。
。。。7時半ころ外を見ると7階の非常口の窓ガラスに白いガス状の雲が道路にゆっくりと広がり移動していくのが見え、いよいよ降り出す前兆である。今日は本来は計画では四日市宿まで行く予定であったが、桑名宿のはずれになる矢田立場跡から桑名を離れ町屋橋あたりまで歩いて早めに帰る予定に変更すした。
。。。7時50分頃ホテルをチェックアウト、八間通りを七里の渡し方向に歩きだす。雨は本降りの感じ、まさかこんなに降る予報ではなかったので、ウインドブレーカーなどは持ってきているが、傘は持参しなかったのでホテルで用意した100円の傘を購入。これで今日一日は過ごせるだろう。
。。。。。。まずはこの街のマンホールを紹介します。
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。。。。。。桑名は蛤で有名なので蛤君たちのマンホールです。いろいろあるが代表的なものを掲載。。。。。
。。。。次からのものは七里の渡しの関連した渡し船の様子などを掲載。。。。
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マンホールを興味深く観察しながら先に進み、海蔵寺に立ち寄る。此処には治水工事で亡くなった薩摩義士の墓所がある。河口付近は長良川,、揖斐川、木曽川が合流し、洪水が頻発していた。幕府は薩摩藩に河川工事を命じたが、工事難航の責任をとって平田奉行以下51人が割腹自殺。内24名の藩士がこの寺に供養された。
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。。。。。。。。。薩摩義士の墓所がある海蔵寺。。。。。。。
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。。。。。。。。薩摩義士24名の墓所。。。。。。。
海蔵寺を後にして先に進む。蛤の佃煮で有名な貝繁本店があり、その先には牛鍋で有名な柿安料亭の本店がある。関東では肉の柿安で有名だが柿安の本社、本店がこの地の七里の渡しの一角にあるとは始めて知りました。今では柿安ブランドは全国に知れている大企業である。
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。。。。。。。。。。。。高級料亭柿安本店。。。。。。。
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。。。。。。。。多門橋より七里の渡し方面を望む。この入り江には釣り舟などが多数駐船していた。。。。。
先に進むと家康の一の家臣本田忠勝像が堂々とすえられていた。関ケ原の戦いの後忠勝候を家康がこの地に配置し、桑名城の城主となった。柿安本社前の道を揖斐川沿いに歩き七里の渡し跡の傍にある幡龍櫓を外より散見。月曜なので今日は休館で中に入れなかった。
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。。。。。。。。。本田忠勝候の銅像。。気合の入ったデザインの像である。。。。。。
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.。。。。。。。。幡龍櫓。桑名の渡し場へと来る舟が沖でこの櫓を見ると天に昇る前の蹲くまった龍のように見えたらしい。
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。。。。。。。周辺が雨に煙り幡龍櫓の姿も往時の様子に近い雰囲気である。。。。。。。。
雨に煙る周辺の散策をして伊勢の国一の鳥居に出てきた。右に行くと本陣跡であり、現在の高級旅館料亭の(船津屋)に出た。
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。。。。。伊勢の国一の鳥居。。宮宿から船で着いた旅人を迎えるのがこの鳥居である。此処からお伊勢参りなどに歩きだしたのだろう。
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。。。。。大塚本陣跡が現在の高級旅館(船津屋)である。左隣も高級旅館(山月)である。。。。
雨も激しさを益々ましてきたので傍にあったカフェに飛び込む。しばし雨宿り休憩である。一の鳥居まで戻り旧東海道になる花街を通り、八間通りを横断すると、右に大きな青銅の鳥居前に出た。此処が春日神社である。街道は石畳み風に舗装されてある。そ先に進むと”歴史を語る公園”であり、川沿いの方に桑名城があった九華公園のようだ。城は今はないが堀川沿いに桑名城の城壁が残っている。公園の道は東海道53次を模して日本橋から京都三条大橋まで歩くミニチュアコースになっている。
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。。。。。。。。春日神社の青銅の大鳥居。この鳥居は桑名の町のランドマークになっているようだ。。。
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。。。。。。堀川沿いの桑名城壁の石垣である。城はないが城壁は残った。。。。。
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。。。。。。歴史を語る公園として東海道53次を模したミニチュアがある。この写真はお江戸日本橋である。途中には駿河の富士山とゴールには京の三条大橋もある。
。。。桑名宿は東海道の中で宿人口は4位、脇本陣数は小田原と並び1位、旅籠数は宮宿に次いで2位で伊勢参宮への宿場として大変な賑わいであり、とても大きな宿場だったようです。現在の街道の景観も立派に整備されているが、これだけ素晴らしい街にしては玄関の桑名駅がJR、近鉄とも何ともチンケで、見た目の存在感はない。少し残念である。公園の終わりで右折,石取会館のところが京町見附跡で其処を左折すると仏壇屋,墓石屋,葬儀屋、家具屋など木工品が多い店が沢山ある、不思議な通りであると感じました。先に進み吉津屋見附跡の手前で雨が激しさを増し、当初の町屋橋までの行程を断念、近くで営業中の喫茶店に飛び込む。後期高齢者の方たちの集い場所だ。入り口に近いところにサングラスをかけた格好良い老紳士が一人。カウンターには3人、珈琲を所望するとやっぱりバナナ半分、オレンジ半分、ヤクルト一本、バターロールパン2個のモーニングサービスである。何と大枚400円なり。雰囲気は珈琲を飲みながらカラオケが出来る店だ。まだ午前中、昼カラならぬ朝カラである。熟年の女将が珈琲を持ってきた時”何処から来たの?”の問いに対し、”江の島の方から”と答えると聞き耳をしている皆がビックリ仰天、”これから鎌倉方面に帰るんだって”とみんなに紹介。でも皆朝から一杯やりながらカラオケ三昧、結構毛だらけ猫灰だらけである。幸せな後期高齢者様の一節である。駅に向かう途中の寺町通りに寄り芭蕉がこの町で句会を開いた本統寺と云う寺に立ち寄る。境内に芭蕉句碑が池越しにあるが、字もかすれ読めません。説明板で判りました。
。。。。。”冬牡丹、千鳥よ雪の、ホトトギス”でありました。
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。。。。。。大雨で立ち寄った喫茶店。後期高齢者の朝カラ熱演中。。。。。。。
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。。。。。。芭蕉がこの寺で門人たちと句会を開いた模様。”冬牡丹、千鳥よ雪の、ほととぎす”
。。。11:31発の近鉄で名古屋へ、駅のパスタ屋で昼食を摂り、13:26発の新幹線【ひかり】に乗車、小田原経由で藤沢へ、無事自宅にご帰還できました。
。。。。。本日の歩行成果。。歩行数..8526歩。。。距離..5,96k。。。歩行時間..1,30h。。正味所要時間【現地)..4,19h

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街道歩き。。。東海道。。27回。。32日目

2018/03/19 17:11
。。。。。。。2013(平成30)年3月4日(日)。。。。。晴れ。。。。

。。。。。。元笠寺〜宮宿 ̄神宮前―名古屋―桑名(関西本線)。。。。。。。

..。。。。今日は七里の渡しが楽しみである。宮の渡しから桑名の渡しまではこの間七里(28k)渡し船でも4〜5時間かかる陸路は佐屋街道で4宿(岩塚宿、万場宿、神安宿、佐屋宿)約25kとなり、歩けば今の自分の足では2日掛かりだろう。昔の渡し船の代わりに、電車、列車で桑名まで行くルートを選ぶ。
。。。ホテルの朝食会場で団体の女性群に交じり7時から席に着く。歩行距離としては楽なスケジュールなので、チェックアウトをゆっくりと10時にした。旧道に出るのは元笠寺まで戻るのだが、昨日の感じでは徒歩はきついのでタクシーで楽をする。笠寺観音側の旧道から進み、名鉄の踏切を渡り、街道の確認で傍にある石柱を見る。
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。。。。。。。街道歩きの歩行者に判り易く道路にはグリーンの色を付けている。その場所に東海道の石柱がある。呼続(よびつぎ)と云う地名の町中を進み玉泉寺と云う寺を過ぎ左側にあった富部神社に入り今日の旅の無事を祈願する。次の左にあった寺、誓願寺は鳴海宿にあった寺の弟分だろう。湯浴地蔵のある鎌倉街道と交差するところを過ぎ、熊野三社に寄る。
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。。。。。。。。。これが呼続にある現在の東海道である。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。富部神社の赤い鳥居。。。奥には動物供養の長楽寺もある。。。。。。
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。。。。。。。。。。石柱がある処が鎌倉街道と交差するところである。現在では左折する道にしか見えません。
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。。熊野三社の鳥居。。。境内には松巨嶋【まつこじま】と彫られた手水鉢が置かれてある。この地を熱田方面から眺めると「松の大きな島」に見えたと伝えられている。海を見下ろす景勝地だったようだ。今は全くそんな感じはない。
東海道は長坂という坂道を山崎川に向かって下っていく。山崎橋を渡り住宅街を進んでいくと、大企業の社屋や工場のあり、松田橋で国道一号線を歩道橋で渡る。交差点の地は八丁畷公園になっており、ミニチュアの松田橋が復元されささやかな休憩場所になっている。一休みして熱田橋へと進むがパロマ本社のあるところから国道一号は東海道線を跨ぐ道路になっているが、歩行者は国道沿いにある横道だが先で工事がされており行き止まり、道を戻りパロマ本社工場地帯の道を抜け、名鉄堀田駅を右に見て、次に左折、文齋橋を渡り、右折花表町を通りまた左折、なんとなく神宮前駅方向に向かっているので、感で歩く。名鉄線の上にある歩道橋にエレベーターで昇り、熱田神宮側に降りるエレベータで下に降りる。間違いなく神宮前駅に到着。それにしても大きく遠回りしているので大分時間を食ったのには間違いない。しかし車優先での工事であり、歩行者に対する配慮がなく行政の落ち度である。”けしからん”!!。
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。。。歩道橋下の八丁畷公園にあるミニチュアの松田橋遺構。左の石柱は昔のもので復元。。この辺りは往時は田と田の間を通っていたので八丁畷と云われたようです。
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。。。。。。下から仰ぎ見た名鉄神宮前駅のビル。熱田神宮を控えているだけに駅も立派にしてある?。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。熱田神宮南門.。。。日曜のせいか観光客、地元の方と人の出入りは賑やかだった。
熱田神宮の東門から敷地内を横切り、南門を出て国道19号線に出て左折、南神宮前の広大な交差点に出て歩道橋を看板通りに歩き、19号線に出て斜めに横断する歩道橋を渡り、ようやくにして有名な料理屋(蓬莱軒)前に着地した。店前には豪華ランチ【ひつまぶし】を食すために10人ほどの客が並び順番待ちをしていた。ここまでくれば(七里の渡し)はすぐそばだ。宮の渡し(七里の渡し)に13時半頃到着。此処から船に乗り桑名の渡しまで4〜5時間かけて渡ったのである。陸路の幕府公認の脇海道の佐屋路を行くと4宿ほどの宿場を通り25kあるので当時の方でも2日がかりだろう。
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。。。。宮の渡し公園。。常夜灯が復元されて往時を偲ばせる雰囲気たっぷりである。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。此処が船着き場跡である。。。。。。。
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。。。。。。。。宮の渡しの入江である。波もなく静かで穏やかな入江である。入江を眺めながらしばし往時の旅人の様子を想像する。遠くの左右にある倉庫群が現代に引き戻されてしまう。しょうがないが!
15分ほど渡し場風景を諸所見る。また芭蕉は熱田にたびたび訪れ名古屋の門人たちと交流している。蕉風発祥の地と呼ばれる由縁である。妙安寺の石碑には”この海に、草鞋を捨てん、笠しぐれ”。575の句
”海暮れて,鴨の声、ほのかに白し”。557の句。。。この句を詠った頃から俳句は、575,557で詠うようになったらしい。
帰りがけに、すこし空腹を覚えたので、喫茶店に入る。コーヒーを所望すると、でかい、分厚いミックスサンド付きで出てきた。ボリュームたっぷりであるが、全部は食べられず、勘弁してもらう。”持っていきなよ”と云われたが。そういえば名古屋は珈琲のモーニングサービスで有名であるが、街の小さな喫茶店でも皆真似しているようだ。ただ有名店とはだいぶ見てくれ、味に差があると推測してしまった。此処は70以上のおばあさんのたまり場の感じでした。また斜め横断の歩道橋を渡り、神宮前駅へと進む。歩道橋を降りて国道に向かう途中にある(ほうろく地蔵)を横目に神宮前駅に15時頃到着。名鉄に乗り名古屋乗り換えで関西本線15:44発の鈍行に乗車、桑名駅に16:20到着。すぐに駅そばの(スーパーホテル桑名駅前)にチェックイン。
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。。。。。神宮前駅に向かう途中にあった道しるべの石柱、此処は東海道と美濃路の分岐点である。西向きの石柱に(東..江戸かいとう)。北..(なこやきそみち)と彫られていた。そして北.南に【京いせや七里の渡し】と彫られていた。
ひと風呂浴びて、ホテルで教わった蛤料理で有名な居酒屋(貝侍)で蛤三昧の夕食を摂る。桑名産の蛤は有名料亭に皆運ばれるのでこの店の物は中国、韓国産だと思うが、鮮度が勝負の食べ物だけにしっかりと仕入れをしているようだ。だから美味かったです。ホテルに20時頃戻り平昌オリンピックをテレビ観戦、二時間のオフタイムにして観たのでおそらく22時頃には就寝したと思う。
。。。。。。。。。。本日の歩行成果。。歩行数..9833歩。。距離..5,92k。。歩行時間..4,11h。。正味歩行時間..5,22h





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街道歩き。。。東海道。。。27回。。31日目

2018/03/16 15:55
。。。。。。2018(平成30)年3月3日(土)。。。。晴れ

。。。。。。藤川宿〜岡崎宿―中央競馬場前〜鳴海宿〜本笠寺〜JR笠寺(ワシントンホテル)

。。。。本年に入り1月14日〜16日にかけて御油宿から赤坂宿,藤川宿、岡崎宿、池鯉鮒宿、鳴海宿までの予定で2泊3日の街道歩きをしたが、やはり一カ月置きの歩きのせいかまた時前のトレーニングもなしで歩きだしたので、かなり変則な行動になってしまった。今回も藤川宿〜岡崎宿間を前回飛ばしてしまったのでこの間の街道風情を確認のため振り出しに戻ったような感もあるがこの藤川宿からスタートを切る。
。。。いつものように愛犬ジュン姫様を2日の夕方から3泊4日の予定でおなじみの動物病院併設のホテルに宿泊依頼をする。飼い主の主人がまたどこかに出かけるな〜と云う雰囲気を察知してか素直にホテルにチェックインしてくれた。街道歩きは本当は自己都合でやっている行動なので後ろ髪をひかれている思いはいつも通りである。飼い主の女主人が普通人なら面倒を見れるが、圧迫骨折の影響による歩行状態への影響もあり、万一犬と散歩中に転倒をされると、また入院となり自分の行動に大きく影響されるので、犬のホテル泊と自分の街道宿泊のダブルパンチであるが自己責任を肝に銘じ、やせ我慢してやらざるを得ないのである。。この東海道歩きを終わると江戸徳川幕府管領の五街道が終了するので、次には一泊二日位の行程で歩ける小街道をのんびりやろうと思っている。80の手習いであるが目標を持たない生活をしてしまうと、案外早く(旅立ち)になるような気もしているので、人生100年時代のムードに乗っかっていこうかと思っているところである。
。。さて今回の本題に進めていきたいと思います。いつものように小田原発7:04の(ひかり)に乗り、一気に豊橋に向かう。
小田原から一時間以内なのでかなり時間を有効に使うのには便利な時間帯の電車である。
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。。。新富士駅通過中で久しぶりに電線抜きの富士山が撮れた。雪も大分減ってきている。。北斎の富士に近い様相である。
。。豊橋7:59着で名鉄8:15に乗り継ぎ藤川に8:56着。藤沢からおおよそ2時間半である。無人駅のベンチで脚関節保護のサポーターを装着、歩きの準備に入る。9:10にスタート。旧街道の十王堂に進む。此処にある芭蕉の句碑に2カ月半ぶりの再会ある。”ここも三河、むらさき麦の、かきつばた”と句碑に刻まれている。(むらさき麦)は食用や、染色用に栽培され藤川宿の名産品だったが、一度寂れたが近年にまた復活したそうだ。小生は赤坂宿で芭蕉が詠まれた句を真似して”冬寒に、藤川を出でて、岡崎へ”と駄句を頭に浮かべて先に進むが御油、赤坂宿間の距離の4倍である。”夏の月、御油より出でて、赤坂や”のように30分で行ける距離ではない。
吉良道と東海道とに分かれる分岐点となり、名鉄の踏切を渡ると藤川の松並木路である。
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。。。。。。。。藤川宿の西見附にある十王堂の芭蕉の句碑。。
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。。。。。。。。。。。。藤川宿の街道の終わりにある松並木路。。。昔日を想像させる雰囲気あり。。。。。
約1キロにわたる松並木道であり90本ほどの黒松が植えられている街道である。気持ちが穏やかになるから不思議である。街道は派手な常夜灯を右に見て国道1号と合流する。右側に国道沿いに「HOTEL‘S」の看板があるが、私流に言わせると(ラブホ団地)である。
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。。。。。。。。。。松並木路と国道が合流するところにあった派手な常夜灯。。。。。。。。
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。。。。。L型に建てられたホテルだが6色の色で分けられて6棟がつながっている(ラブホ団地)。。。。。。
右の北側の高台には愛知産業大学が鎮座している。国道沿いにある愛知産業大の寮の手前から左の旧道に進む。美合新町の交差点の先に(じじろ公園)なる不思議な名前の公園がある。普通の公園であるが字名が祖父炉(じじろ)と書かれている。右に曲がり左に行くと太平橋を渡る。此処まで何と1,20hかかっている。一休み。距離は5,6キロだ。街道沿いに案山子が道案内係をやっていた。
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。。。。。。。。。。旧道沿いに会った案山子達の道案内である。これもジョークの一つだろう。。。。。。
10分ほど小休憩して先を急ぐ。国道を離れ右に渡り旧道を行くと秋葉山常夜灯と、大平一里塚が現れた。単調な旧道を進み、東名高速の下を潜り筋違橋を渡り常夜灯を過ぎると岡崎宿の入り口である。冠木門と二十七曲がりの標柱をたどり前回歩いた岡崎宿の裏道の若宮町、両町を通り、岡崎市役所を左に曲がり、前回宿泊した岡崎スーパーホテルを左に曲がり東岡崎駅に到着。歩行数。。10896歩....距離。。7,62k....歩行時間。。1,56h
正味所要時間。。3,10h
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。。。。。。。。。。。これは岡崎市の汚水のマンホール。岡崎城が彫られている。。。
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。。。。。。。。。。。。国指定史跡の大平一里塚。西側だけが残っている。。。。
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。。。。。。。。一里塚の反対側にある常夜灯。。親子でお参り中。またこの辺りは名奉行の大岡忠相が藩主で西大平藩を領したところである。
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。。。。岡崎宿の入り口の冠木門、また二十七曲がりの始まりのところ。少し東に離れるが家康の最初の妻築山御前の首塚がある八柱神社もあるが街道から離れるので寄らなかった。
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。。。。東岡崎駅近くの乙川沿いにある国重文の阿弥陀経がある滿性寺。。。重厚な感じがした。。。

。。東岡崎駅構内のロッテリアで軽昼食を摂り、12:48の名鉄に乗り前回の最終地中央競馬場前駅に13:20到着。この駅今日は競馬のレースがあるらしく臨時改札口に人の出入りがかなり見受けられた。また駅前は有名な桶狭間の古戦場跡があるのでせっかくなので信長と今川義元の歴史探訪をしてから街道歩きをすることにした。
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。。。。。。。当たり前の公園に見えるが此処が桶狭間の古戦場跡である。往時は山中の中で戦が行われたと思うが公園だけ見るとあまり昔日の状況が浮かんでこない。古戦場伝説地とも呼ばれている。
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。。。。。。。無念なり!。。。今川義元の墓碑である。ひっそりとたたずんでいる様な雰囲気なり。。。。
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。。。。。。。あとで500年記念に建てられた今川義元の墓碑。。。。。仏式の墓らしい。。
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。。。。。。高徳院の敷地の斜面には今川義元を菩提する雰囲気にした風景になっている。
。。。古戦場を一巡して街道歩きを再開する。国道を離れ旧道に、また国道に出て大将ヶ根駅と云うところから旧道に進む。井桁屋と云う店の前が有松駅である。有松は池鯉鮒宿と鳴海宿との間に間宿として開かれたが宿泊所はなかったようです。山間の村だったが尾張藩が集落をつくり、絞り染めを村の産業にして栄えたところである。
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。。。。。。。。有松駅傍にあった可愛いい交番。昔風のデザインである。。。。。。。

どうも大将ヶ根駅から旧道に行かず国道を歩いてしまったようだ。名古屋第二環状自動車道路にぶつかるが横断歩道がなく,階段がかなり上まである歩道橋を上ることになる。街道を歩いている中で嫌いなものは、歩道橋と地下通路である。どちらも道路には横断歩道がないところである。特に西日本に多く感じた。鳴海高校を左に臨み左京山駅が右に見えたので此処で道を間違えたことが判った。地図を確認すると旧東海道からは駅が左手に見えるのが正解である。結果有松、左京山間の旧道風情は飛ばしたことになる。時計を見ると早15時である。このままでは笠寺のホテルに着くのは夕闇になる頃になり、道の不案内の恐れあり左京山から一駅先の鳴海駅に電車で移動。言い訳ついでにこの間もあまり歴史観が少ないので約1,3キロの道をはしょることにした。鳴海駅15:20着。すぐに鳴海宿の街道に進む。駅東口から扇川を渡り旧道に進むが、駅前で犬に散歩中の熟年婦人に声をかけられ、街道歩きの状況を聞かれ、しばし旅の道連れ談義をする。やはり80の爺が歩いてるのが判り、ビックリしていた。同年と思ったが年下の75歳らしい。とても80に見えないと褒められ、街道へと足を運ぶ。
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。。。。。。。鳴海駅外観。名鉄の駅では一番あか抜けていると感じた。。。。
狭い旧道を通り誓願寺に立ち寄る。最古の芭蕉の供養塔がある寺である。次に蛤地蔵尊のある如意寺を横目に先へと進む。旧道は古さを感じる風情ある雰囲気がぷんぷんと匂う。右に東福院に行く細い道を登ると山上に公園があり鳴海城公園の看板がありこのあたりに城の一角があったようだ。せっかくなので鳴海城跡が保存されているところまで行ってみる。
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。。。旧街道の角にある和菓子屋「菊屋茂富」安政4年【1857】創業で140年営業していると云う。昔の建物そのままの感じである。
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。。。。。。誓願寺の入り口の石柱。この奥に最古の芭蕉供養塔がある。蕉門の弟子下里知足が建てたようだ。
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。。。。此処が鳴海城跡の史跡。今川方の猛将、岡部元信が桶狭間で義元が討たれた後も籠城して戦ったようだ。【説明板より)
街道を進むと鳴海宿の昔日に戻るような街道風情である。先に進むと鉾の木貝塚があったが奥まで行かないと見えないので説明板を見て素通りする。三王山の交差点に出てきた。右の山上には芭蕉存命中に建てられた千鳥塚があり、芭蕉直筆の句碑なので行きたい気持ちはあるが少し登らなければならないので断念した。
。。県道を渡り旧街道を進む。天白橋を渡り愈々笠寺観音も近くなってきた。笠寺観音に15:40着。朝から6時間半を費やしている。20分ほど広い境内をあちこち散策。
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。。。。。。。。旧街道の緩い坂を登ると笠寺観音の山門である。池越しに撮ってみた。。。。
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。。。。。。。。。西方にある笠寺観音山門。。。。。。夕方だがちらほら人影はある。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。笠寺観音本堂。6の付く日が「6の市」で賑う。そのためか赤い幟が沢山立っている。。
春雨塚には芭蕉の”笠寺や、もらぬ岩屋も、春の雨”が刻まれていた。この寺はその昔は荒れ放題の寺だったが藤原兼平の妻玉輝姫が雨ざらしの観音像に傘を被せたことがこの寺の名前の由来だそうで、今の寺を建てたのも藤原兼平夫婦である。
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。。。。本堂の端にあった「家康人質交換の碑」である。平成22年に建てられた新しいものである。織田家にとらえられた竹千代(家康)と今川家がとらえた信長の異母兄信広の人質交換が天文18【1549】年おこなわれたが、場所が特定できずこの場所ではないのは確かなようだが、この像はこの寺の有力者たちが建てたものだろう。。。。笠寺そのものは凄く立派である印象を受けた。
寺を一回りして名鉄元笠寺駅の地下通路を抜けJR笠寺駅に向かう。ホテルまで徒歩20分くらいと聞いたが疲労が濃くなるので歩行時間は30分以上かかった気がする。ホテルチェックイン前だがかなり空腹なので途中にあったうどん屋に入りうどんをすする。笠寺ワシントンホテルにどうにか17時頃に到着。

。。。。。。。。。。。。本日の歩行成果。。歩行数。。23737歩...距離。。14,24キロ..歩行時間。。3,41h
..正味所要時間。。7,53h

笠寺ワシントンホテルの印象。。。。この街道には桶狭間古戦場から笠寺までに宿はなくこのホテルしか存在しない。クラスはB級+だが温泉付きの大浴場があり、イベントホール「食堂、舞台付き」でこの日は土曜のせいもありまた雛祭りの日でもあり地元の家族連れが沢山来ていた。おそらく風呂&夕食を兼ねた日帰り族だと思う。食堂も300人以上は入れる感じで、この日は地元歌手3人のショ―もあり、要望に寄りお客とのデュエットが出来るカラオケタイムもあり、食事と一杯をやりながらの夜のひと時、なかなかの盛況でした。小生ひと風呂浴び19時頃に夕食を摂りに行き、一時間半ほど食い、飲み、その場の賑やかさを楽しみ21時半ころには部屋に戻り明日に備えて就寝とする。。。。。お休みなさい。










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JAZZ.LIVE。。。。。2018−2−11(SUN)

2018/02/13 12:32
。。。。先週の中ごろ友人よりJAZZ.LIVEのお誘いメールが入る。そういえば高校時代にグレンミラー物語の映画を見てジェームスチアートとジュンアリスンの夫婦愛の物語であるが、その中でグレンミラー楽団が演奏するスイング、ジャズに陶酔したことが想い出された。またその後に作られたベ二―グッドマン物語も含め二つの映画を何回も見るのに映画館に足を運んだ記憶がよみがえりました。W大のOB連が年に一回開催する(ナレオハワイアンズ稲門会}にはほぼ毎年行っているが、jazz.liveを見るのは15〜6年ぶりである。
。。。千代田線赤坂駅の出口5bで誘った友人TU氏と11時20分待ち合わせ。久しぶりの赤坂である。ライブの会場であるB、flatのあるビルの中のインド料理Sonargaon(ショナルガン)で(昼のお勧め)キ―マカレーとビールで一献、食後は珈琲とちょっと洒落たランチとする。勿論インド人の従業員が接待をしてくれました。会場は12時半だが入場するとすでに50人ほどのお客様が着席。バンドのメンバーもステージで演奏待ちのスタイルである。今日のライブは友人Yaさんの呼びかけで元W大のハイソにいたYaさんの従弟でトランペーターのITAさんが出ると云うことで一応ミュージック好きの小生と友人で喜んで参加。実は小生の友人が図らずも元読売新聞の政治部記者SAさんと幼稚園時代からの友達で又YAさんのご長男も同じ新聞の記者、トランペットのITAさんも同じ記者と云うことで、なんとなくサプライズになるような気もしていたと云うのが実感でした。呼び掛けてくれたYAさんご一家とも友好的関係が生まれ、楽しく半日を過ごすことが出来ありがとうございました。約2時間半ほどのライブでしたが、EM2JAZZ.ORCHESTRAの熱の入った演奏には大変満足しました。
。。。またスペシャルゲストの井手理夏さんの迫力あるボーカルに圧倒されました。そして演奏の間にEM2のバンド名の由来を話され、荏原南2がバンド名の意味だと紹介され、なかなかジョークのある方がいるのだと思いました。2の意味は2丁目と解釈しましたが正解ですよね?アンコールのサービスをプラスし楽しいライブに出会え、大変良き一日を過ごさせていただき、EM2のメンバーの方々、ゲストの井手理夏さん、50年前?にハイソにいたITAさん、そして呼びかけてくれたYAさん一家の皆様ありがとうございました。

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。。。。。。。。。。行きたくなったライブの案内パンフ。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。いよいよライブコンサートのスタート也。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。一番後ろでのトランぺット軍団、左奥の紳士がITAさんですよね?。。。。。。。
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。。。。。。。。確か1Stage,3曲目のLonely,Streetでのソロ演奏ですよね?!。。。。。。
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。。。。。。スペシャル、ゲスト,井手理夏さんの熱唱、熱演。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。熱演、熱唱中の井手シンガー。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。いよいよラストの演奏です。メンバーのみなさんお疲れさまでした。そしてありがとう!!。。。。

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街道歩き。。東海道。。26回。。30日目

2018/02/01 13:32
。。。。。。。2018(平成30)年1月16日8日(火)。。。。。。。晴れ

。。。。。。。。。。。。。。。。。池鯉鮒宿〜鳴海宿(11,0キロ)。。。。。。。。。。。

。。。。ホテル2Fロビーで朝食。此処は宿賃が安いせいか、パン主体の朝食である。そこそこに食事を済ませ8時15分頃チェックアウト。知立の駅前まで戻り右折、旧東海道に進む。交差点前にこの地の一流ホテル【クラウンパレス】がある。このホテルに今回の旅の出発前に予約を入れてはいたが、一泊のために1万円以上出す気にならなかったので旅の1日前にキャンセルをした。実物を見るとやはり格が上のホテルである。昨日は牛田駅から電車で知立に来てしまっているので、何となく自分に気が引け,吉良街道と交わる中町の交差点から牛田に向けて旧道を戻るように歩き、知立の東見附跡付近まで行ってみる。その先に踏み切りが見え名鉄三河線の踏切だ。地図を見直すと昨日途中で歩きをやめた富士病院までは此処から1,5キロくらいであることが判り、途中でやめたことが大失敗であることが判明。機会を見て再チャレンジをしたい。
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。。。。。。道の右に地区の公民館がありどうもこの辺りが東見附跡のようだ。。。。。。。。
。。。公民館から折り返し中心部へと逆戻り。左側には切干大根を作って直売してる店があり、その前には格式高そうな小松屋と云う鰻屋がある。中町の交差点に戻り目の前には歴史を感じさせる「茶蔵、山城屋」があlった。
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。。。。。。。。狭い旧道にあった切干大根直売所。。。どうも切干大根はこの地の名産品らしい。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。。東海道中町交差点にある「茶蔵、山城屋」である。。歴史観あり!
クランパレスホテルの裏に抜ける旧道は車一台がやっと通れる狭い道である。一方通行ではない。
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。。。。。。。。。。。。。県道の角にあった池鯉鮒銘菓【あんまき】の貫禄ある看板の(都築屋菓子舗)さん。。。。。
県道を渡り本陣跡、脇本陣跡を横目にして歩き、右折すると知立古城跡の公園があり、衝きあたりには了運寺と云う寺があり、また左に曲がり、大銀杏の樹の傍から地下道に降りてバイパスを潜り西見附跡に出た。
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.。。。。。この知立古城跡は知立神社の神主の居館だったが、桶狭間の戦いで落城している。。。。。。。

西見附跡の左には總持寺と云う寺がある。右に曲がれば此処の鎮守知立神社があるが遠目に鳥居を見て拝礼、お茶を濁す。逢妻橋を渡リ国道1号に合流、一里山の一里塚跡に出た。此処は江戸から80里、【320k】来たことになる。途中国道から右にそれて、工場の多い旧道を歩き、また国道を跨ぎ”めったくやしいの墓”と云う不思議なところに出ました。この墓は中津藩士の墓でなく洞隣寺の下働きの女性が医王寺の住職に恋をしたが、見向きもされず娘は憤死して墓石から火の玉が出て”めったくやしい”の声が出たそうである。この時代は妖怪の話が多い時だけに判るような気がするが、それだけでこの場所を有名にしたことが自分としては理解に苦しむ。
。。ところで池鯉鮒と云う由来が判らないので調べて見ると、名前のルーツは慈眼寺の傍にある御手洗池である。この池は殺生禁断の池で鯉や鮒が多く棲んでいたので池鯉鮒の名があったようで、宿名もこの名前になったようである。
また傍に(きしめん)のルーツと云われる(ひもかわうどん)発祥の地の杭がある。なるほど尾張【名古屋地区】に入ると麺物は大方(きしめん)である。

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。。。。。。。。。。。。。総持寺山門を見る。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。洞隣寺の境内の一角。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。写真では良くわからないがこれが(ひもかわうどん)発祥の杭である。。
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。。。。。。。。。。乗蓮寺。江戸前期の創建。境内の椎の木は樹齢850年の天然記念物である。。。。。
先に進み左側を見ると名鉄【富士松駅)が見えたが遠くから眺めるだけにした。まっすぐに行くと今川町交差点で旧道は国道1号線で分断されている。道路の向こう側に旧道が見えるが信号がないので何処を渡るのか迷ってしまう。でも信号がないのに何故か上下の車が交差点で左右に停まった。チャンスと思い、トラックの運転手に手を挙げ思い切って広い国1を横断してしまった。後で考えると随分と無茶をしたもんだ。冷や汗もんである。!!地図とガイドを横断してから見ると、今川町交差点の下りの左に鰻屋があり、その先に≪用悪水路≫と云う泥川がありその水路に沿って国道を潜り対岸の旧道に出るようになっている。山と渓谷社の2006年発行の初版には今川町の交差点には信号があったように書いてある。12年もたつと変化があるもんだと疑問もあるが反省もした。もし事故になっていたら新聞記事になっているはず。”刈谷市の国道一号線で街道歩きの高齢者【80歳】が無謀にも信号のない交差点で国道を横断、下り車線でトラックにひかれ重傷”!!と書かれたであろう。!?これは想像である。旧道を進むと右にパスコの(敷島製パン)の大工場が現れた。でもパンの匂いは全くしなかった。先に進み境橋を渡る。この橋で三河と尾張を分けている。伊勢湾岸道路の下を歩き、高架の道路を潜ると国道に再び出て豊明駅前に出てきた。何とも歩き旅人には複雑な迷路である。
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。。。。。。。。。。旧道に架かる境橋、下には境川が流れ、橋の手前が三河、向こうが尾張である。。。。。。
国道をまっすぐに行くと旧道が左に分かれる。分かれた処にラーメン屋があり昼食とする。確か11時半ころである。元気のよい中年のマスターが料理人に大きな声をかけている。聞いて見ると此処のしきたりになるのだろう。
”ただ今1分30秒過ぎ!!”次に”は〜い2分経過、いつちょう、上がり””と時間刻みでラーメン作りのパフォ−マンスを展開して従業員に支持をしている。なんかテレビの旅番組か何かで見た気がする。でも気持ちの良い雰囲気である。客は二人だけであったので30分ほどの昼食で終了12時過ぎには再出発となる。すぐ先が阿野の一里塚である。此処も知立の来光寺の一里塚と同じく両側に塚がある。知立の方が立派だが県指定の文化財、しかし阿野の塚は大分痛んでいるが国指定の文化財である。追記すると愛知県には一里塚が18あったようだが現存するのは5か所のみ、そして両側にあるのが知立と此処だけで大変に珍しい史跡である。
先に進み明治天皇行在所聖跡を過ぎ、名鉄(前後駅前)である。右奥を見ると西運寺、その先の常夜灯から右奥を見ると(前後神明社)が見えた。前後とはいったい何なのだ??調べて見ると桶狭間の今川勢が敗退し、狼狽のあまり相前後して逃げまどったという説から来ているらしい。のちの江戸時代に何かの書に書かれたことが今の前後につながっているのだろうと思う。

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。。。。。。。。。。。上は阿野の一里塚左側の塚。。。。。。。下は右側の塚、後ろは国道一号線。。。
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。。。。。。。。旧道から遠望した前後神明社。。。。この地の鎮守様であろう。。。
落合橋を渡り黙々と先へと歩む。この辺りは鉄道【名鉄】と旧東海道と国道一号線が3列に並んでいる場所で、藤川宿手前の谷間と同じ構造である。館交差点で国道と合流し、名鉄の跨線橋を潜ると(中央競馬場前駅)である。旧道と国道を分けるところに「桶狭間古戦場跡」の信号看板が上を見上げるとある。高徳院の看板も左にあり、境内には今川義元の仏式墓所があり、その先の古戦場跡には今川義元の墓碑がある。次回の歩きスタートの時にお参りをする予定。今日は本当は鳴海宿までが目的であり、あと3,8キロだが今の自分の実足では1,5hかかりそうで予定している名古屋発新幹線【光】15:26発に乗れないのである。時間を気にしているのは3泊4日の愛犬さんのお迎えに行けなくなる恐れがあるからです。我が孫娘犬もホテル4日ではかなりストレスがたまっているように感じています。
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。。。。旧道から見えた「桶狭間古戦場跡」の信号看板と高徳院の看板。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。名鉄「中央競馬場前駅」。。。競馬のある時は臨時改札口解放。。普段は無人駅です。。
ホームに上がると電車待ちの学生がいっぱいいた。遅れているようだ。約15分遅れで電車が来たので乗車。名古屋に早めの14時半頃着。手土産少々購入して駅内待合室でしばし休憩。15:26発の(ひかり)は一気に小田原にいくので有難い。小田原16:36着。東海道線に乗り換え藤沢に17:40頃到着。タクシーで我が家近くの犬ホテルに直行、迎えに行くとあにはからんや、”よく帰ってきたな〜”と云わんばかりに大喜び。今年の干支は戌年、怒らせないように面倒見ましょう。
。。。。。。。。。。。。。。。本日の歩行成果
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。歩行数..17733歩。。距離..12,41k。。歩行時間..2,52h。。正味所要時間..4,53h

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。。。2018,1,14.。往き。新幹線新富士駅辺りからの麗峰富士山。。。素晴らしい晴れです。
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。。。2018、1,16.。。復【帰り】新幹線新富士駅辺りから。。。。16時16分頃。。この日もよい天気でした。
。。。。。。。。。行きも帰りも積雪量は同じでした。。。。。


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街道歩き。。東海道。。26回。。29日目

2018/01/29 18:40
。。。。。。2018(平成30)年1月15日(月)。。。。。。晴れ

。。。。。。。。。。。。。岡崎宿 ̄池鯉鮒宿(ちりゅう)。。知立とも書く現在は。。。。。。

。。。。。。朝食を摂りに一階ロビーに行くと、沢山の方が食事をしていた。昨日こんなにたくさんの方が宿泊されていたんだと少々ビックリ!!もっともこのホテル人気があるのは多少は承知していた。キ―はなくドアーにあるナンバーに自分の暗証番号を打ち込むと解錠します。出るときにフロントには寄らないで済みます。バイキングスタイルの朝食だが和、洋共種類多くセットされている。特にこの日使っている野菜の産地が何処、何処ですと表示されており宿泊者に安心感を与えている。よく一流ホテルのレストランでは表示されているケースでは見かけるが、こういうビジネス系では始めて見たと思います。
。。8時半にホテルを出発。伝馬町の交差点に向かって歩く。この時間にザックを担いで歩いているのは小生だけ。大半が出勤途上のサラリーマンである。少し恥ずかしい気もした。交差点を左折すると通りには岡崎宿の歴史観を残す歴史プロムナードの石彫が1メートル置きに置かれておりなかなか面白い趣向である。伝馬町が岡崎宿の中心部だったことがよくわかる。大津屋本陣跡の交差点を左に曲がり、二十七曲がりの最後の地区を歩いているつもりだが、なんとなく彷徨い歩いている感じがする。本当は藤川から岡崎に入り冠木門のある二十七曲がりの初めから歩いていないので、彷徨い歩きになっているのだと自戒する。昨日時間切れ【日没のため】なので藤川から岡崎間を歩いていない証拠である。次回再確認の予定。二十七曲がりは敵を欺く目的もあって作られたので、400年前にタイムスリップしたら今頃田舎侍の自分は一発で殺されていただろう。!?
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。。。。。。。伝馬町歴史プロムナードで見かけた馬で本陣に向かう武将姿の石像。。。。。。
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。。。。(作法触れ)と云う石像もあり、参勤交代で武将が通るときには町民が路端に座り深く頭を垂れる姿が彫られている。今にも”下に〜、下に〜”と声が聞こえそうである。
良くわからない二十七曲がりを歩き籠田公園辺りで岡崎城二代目城主の田中吉政像に出会う。
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。。。。。この田中吉政公がこの岡崎の城下町を整備した方であるが、家康の陰が濃い町では影が薄いようだ。チョット可哀想!?。。。。。
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。。。。。。。。。東惣門の傍の厚生通りから、岡崎城方面を遠望。通りはよく整備されている。。。。。。
中心部で大分時間を食っていたがようやく岡崎公園に出てきた。岡崎城の大手門を潜り城へと足を運ぶ。三河武士のやかた、家康館の前を通り、家康公産湯の井戸前を過ぎ、城の裏門に到着。
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。。。。。。。。。。。。岡崎城、大手門。。。。。。。。。
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。裏門から天守閣を望む。手前に座っている像は左が竹千代丸(家康公幼時の頃の名)右は往年の家康公。。
正面に回り天守閣入り口を潜り、城を見る。街道歩きがメインなので城内部には入らなかった。
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。。。。。。。。松の木越しに見る岡崎城天守閣、右の鳥居は龍城神社。。家康公が江戸移封後田中吉政公が此処の城主となる。
約30分ほど城内を見学し、裏の神橋を渡り、中岡崎方面へと進む。狭い道を通り八丁味噌で有名な(まるや)さんの前を抜け,矢作橋を渡り旧道に入る。渡り終える橋のたもとに日吉丸出会いの像が掲げられている。
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。。ご存じ日吉丸とは幼少のころの秀吉公です。蜂須賀小六が日吉丸に出会ったのがこの橋だとは知らなかった。。
橋を渡り旧道をとにかく黙々と歩く。右に勝蓮寺と云う寺があり、説明を読むと家康の最初の子供信康にゆかりの多い寺でその遺品が沢山保存されているようだ。信康は武田方と内通していたようで信長の命令で家康が自ら殺害したと云う嫌な話がある。しばらく歩くと誓願寺と云う寺に出た。隣には保育園があった。この寺は浄瑠璃姫【この地の長者の娘)と義経にまつわる伝説が伝わる寺だが、正面の扉を開けると中の壁には地獄の様子が描かれており、浄瑠璃姫伝説とどうつながるのか良くわからず、理解に苦しんだ。
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。。。上は誓願時を正面から見る。左隣はこの寺がやっている保育園。下の写真は扉を開けると正面に菩薩と閻魔様達がいらっしゃった。。。。
先に進むとこの旧道は国道1号に合流する。此処が暮戸の交差点であるが付近にはあまり見るものは少なそうだ。国道沿いにあった牛丼屋(すき家)に立ち寄り牛鍋セットを食す。コンビニで調達する昼弁当とは大違いである。40分ほど滞在して13時頃から再出発。国道を右に離れ旧道を進むと熊野神社の一里塚の傍に予科練の碑があった。この近くに岡崎航空基地が昭和19年に出来て、特攻、人間魚雷の訓練が行われ、終戦まじかに特攻要員として飛び立ち二度と帰還がなかったようです。予科練は霞ケ浦が有名だが全国に19か所あり此処がそのうちの一つである。
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。。。。。。。。。此処が岡崎航空隊の予科練の碑である。。二度とあってはならない戦争の犠牲者の碑である。
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。。。。予科練の碑の裏手で写真を撮ると広大な田畑であったがこの近くに岡崎航空基地があったのだろう。
かなり先まで歩くと明治川神社に出た。不思議な名前である。水不足で困っていた農民が多く、幕府に開発の嘆願書を出して矢作川から水を引く工事をし、荒れ地だった西三河の地を豊かな農耕地帯にし、その功労者たちが祭られている神社である。更に進むと安城の松並木が始まる。
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。。。。。。。明治川神社。かなり大きな神社であった。。。。。
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。。。。。。。安城の松並木である。江戸時代の松は27本くらいは残っているようだ。これから知立に行くまでは3か所位松並木の街道が残っていたと記憶している。
街道から左に外れれば崇福寺の三猿に会えるが寄らなかった。石田橋を渡り、次に猿渡川橋を渡る。此処が安城市と知立市の市境である。坂を登ると右に来光寺公園があり、その先の御鍬神社に出た。
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。。。。。。。。。。御鍬神社。。。。。安城と知立の間の街道沿いはおおかた農耕の地であり江戸時代に近隣の8つの村が連合して伊勢から御鍬神を勧請したと云うことである。豊作を願う神社である。。。
左手に牢門の立派な浄教寺があり、その先が来光寺の一里塚である。街道の両側に塚があるのは珍しい。この塚は榎でなく松である。先に進むとまた500mほどの松並木が続く。西教寺を過ぎ時計を見ると15時半を過ぎていたので、今回はこの先にある富士病院の交差点で打ち上げとする。今回も予定のゴールが出来ず終了である。気持ちは複雑、そして中途半端であることを自覚、反省。
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。。。。。。。。。街道の左側の一里塚である。。。。。。
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。。。。。。。。今日最後に休んだ街道筋にある富士病院、地方にしてはかなり大きな総合病院である。。。
病院前で一休みし、名鉄牛田駅に向かう。国道を横断する地下道を抜け、牛田駅に到着。下りの名古屋行きに乗車、一駅先の知立駅に向かう.知立駅16時半着。今宵の宿、【アイリスイン知立】と云うホテルに17時頃
チェックイン。
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。。。。。無人駅の牛田駅。客は小生と女性の二人のみ。。。
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。。。。。。知立駅です。此処は有人駅でした。。。。。。。
夕食のためホテルで周辺地図をもらい調べて見るとほとんどが居酒屋!!酒はそれほど飲みたくはないので街をひとめぐりして、ホテルそばにある吉寿司と云う店に入る。カウンターのみの店である。奥にはこの地の有力者らしき客が4人がご歓談中。自分もカウンターに座り前で握る板前さんを独り占めの恰好でこの街の話題、自分の街道歩きの雑談などを交え一時間ほど、ビール一本と3千円ほどの握りを握ってもらい今宵の夕食とする。此処でも80だと云うと全然それには見えないとお褒めをいただく。頭は薄いので何時もハットのままでいるし、話し方も関東弁なので若く見えるのだろう。
。。。。。。。。。。。本日の歩行成果。。歩行数..22146歩。。距離..15,50キロ。。歩行時間..3,37H
........................正味所要時間..8,35H






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祝ブログ開設一周年!!

2018/01/26 12:35
。。。。。2日前の24日にbiglobeからブログ開設一周年のお祝いメールが入りました。2017,1,27にbiglobeで初めてブログを投稿しました。自分の投稿ブログの訪問者の回数は2223軒だそうです。投稿数は自分なりに調べて見ると49〜50回?です。前のブロガリ【JCOM系】を含めると相当の数になりますが、データ―の引っ越しに失敗したので判りません。biglobeでの投稿をこれからも続けますので訪問してくれた仲間の方これからもよろしくご支援ください。。。。。。。。。by.zurich........2018.1.26
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街道歩き。。東海道。。26回。。28日目

2018/01/26 12:11
。。。。。。。2018【H30】年1月14日(日)。。。。。

。。。。。。。。。。。。。御油(ごゆ)宿〜赤坂宿〜藤川宿〜岡崎宿(17,1k)。。。。。。。。。

。。。。昨年秋の11月2日に御油宿まで到着。12月にも2回ほど歩く予定で出来れば桑名宿まではこなそうと考えていたが、やはり12月は師走の名の通り、無職の身でも何かと用事が入り、街道歩きは出来ずに終わる。今回は何と73日ぶりの再開となる。日照時間が短い季節なので出来るだけ日照時間を有効に使いたいので、再スタートの御油駅に9時前に着きたいので、愛犬を前日の13日の夕方にいつもの動物病院のホテルに宿泊をお願いに上がる。最近では珍しい3泊4日なので、本音愛犬様に後ろめたい気にはなっている。
。。。さて本題である。我が家を5時半(日の出一時間強前)に出発藤沢駅6:08の下りに乗車、小田原から7:04発の【ひかり】に乗車、一気に豊橋まで向かう。7:59に到着、すぐに名鉄名古屋本線に乗車途中の乗り換え駅で鈍行に乗り替え御油駅8:30に到着。(自分の予定表より30分早くに到着)この先しばらくコンビニがないので駅そばのミニストップで飲み物&パンなどを補給、ついでに珈琲ブレイクをして、9:10分頃スタート、折角早く着いたのに結果は当初の予定通りに戻ってしまった。
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。。。。。。。。名鉄,御油駅。。無人駅です。。。。。
久しぶりの御油宿であるが勝手知ったる道を松並木入口までのんびり歩く。途中前回寄らなかった遊女の墓(飯盛り女の墓)がある東林寺に寄り参拝をする。
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。。。。。。。。。。東林寺。。墓は本堂奥の墓所にあるが其処まで行かずに、本堂前でお参り。
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。。。。。。。。。。御油の松並木.600メートルの終わりの位置で撮影。。。。。


御油の松並木は約600mほど続いており、街道歩きのムードを掻き立てる。赤坂宿の東見附跡に着き付近の風景を楽しむ。近くにある関川神社に寄り芭蕉の句碑を散見。”夏の月、御油よりいでて、赤坂や”。。月を眺めながら歩くと御油から赤坂まではあっという間に来てしまうことを句にしたようだ。先に進み赤坂紅里の問屋場跡に復元された高札場があり、赤坂宿の由来などの看板もあり、それなりに昔日を偲ぶ雰囲気を残している。
街道そのものはあまり昔日感はないが江戸時代からの旅籠【大橋家】が3年前の2015年3月に廃業しておりその姿を拝むことが出来ず残念である。現在はその場所を資料館にするようで昔の建物を復元するように建築中である。機会があれば完成の頃寄ってみたい気はする。
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。。。。。。。。。。。問屋場跡にある復元された高札場と赤坂宿の説明された看板。。。。
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。。。。。。。建築中の覆いがしてあるがこれが元の(大橋家)であり、おそらく建物は元のように復元されて資料館になるのだろうと推測している。
先に行くと休憩所【よらまんかい】があるが小生は”寄らない”で通過、朝まだ10時頃なので、しかも小正月の日曜なので店はあるが開いている様子はない。
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。。。。。。。文献に寄ると4年前の2014年に出来た休憩処らしい。街道歩き好き人間たちのためだろう。

。。。長沢の標柱のみの一里塚跡を過ぎ、長沢小の角に長沢城と御殿場跡の説明板があり一号線を超えた高台を遠望するもその雰囲気は判らずじまい。黙々と先に進む。観音堂跡に沿う道はなかなか風情のある雰囲気を残している。
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。。。。。。。。なかなか雰囲気ある長沢の街道である。。。。。。
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。。。。。。。観音堂へ進む道もなかなか風情ある雰囲気を残している。
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。。。。。。祠はないが歴史を感じさせる観音堂跡である。。。
観音堂を過ぎると旧道は国道一号と合流する。国道の左に沿うように歩道がある。これが平成の東海道である。歴史観が全くない道を歩くと距離もばかに長く感じられるのは、つまらない道歩きがそういう感覚になってくるのだろう。黙々と歩きようやくにして旧道に入る本宿(ほんじゅく)の冠木門に到着。ホッとする。しばし休憩の後本宿の街道に進む。法蔵寺を左に臨み本陣跡のある富田病院を過ぎ右に本宿の駅が見える交差点にに到着。
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。。。。。。国道一号と旧東海道ががわかれるところが本宿である。復元された冠木門が白々しい。。。。。
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。。。法蔵寺山門と本堂。徳川家康が幼少期に過ごした所と云われている。また三方が原や長篠の戦で戦死した家康家臣の墓があり、幕末の寵児近藤勇の首塚がある。前に中仙道にチャレンジした時板橋宿の手前の滝川に近藤勇の墓があり,首級は京都に胴体は板橋に埋葬とあったが、京都でさらし首になったものを同志がこの寺に移したと云うことが判りました。。。残念ながら寺の境内には寄りませんせんでした。
空腹を覚え駅入り口の角にある【はむらや】と云う食堂に入り、麺類が食べたくなり、聞くと【かけうどん】なら作れると答えが来た。なるほどメニューには飯ものしかない。出てきた(かけうどん)我が家で自分で作る料理よりもっとみすぼらしい。うす味のつゆにうどんが浮かんでいるだけ。がっかり!?しかも大枚600円なり。
少し疲れを感じたので電車で一部区間に乗り、街道歩きのズルを考えたが、時刻表を見ると上手くズル計画が出来ず、反省をして旧道を歩くことにした。旧道と国道を交互に歩き名鉄山中駅の手前から細い道に進み,身隠山の石柱から左に進み(山中八幡宮)に立ち寄る。
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。。。。山中八幡宮。うっそうとした杜の角にあり階段の奥には気味悪い鳩ヶ窟があり、三河の百姓一揆に負けた家康一行がこの宮の窟に隠れ難を逃れたと云うことで有名らしい。家康ゆかりの神社である。
八幡宮から旧道に戻り藤川宿の東棒鼻に出る。街道の右の高台には名鉄舞木検査場に電車がずらりと並び検査されているようだ。
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。。。。東棒鼻で同じ街道歩き同志の名古屋から来た方と、街道歩きの証拠写真をお互いに撮り合った。寒い日なのでかなり重装備な姿である。お陰さまでどう見ても80には見えないとお褒めるをいただく。メルシ―である。。。
藤川宿の旧道を本陣跡、脇本陣跡を横目で見ながら、藤川小学校の角にある西棒鼻を右に曲がり無人駅の藤川駅に到着。
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。。。。。。。。。。藤川宿の街道風情。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。藤川宿の高札場のある処。。。。。
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。。。。。。。。。。。。藤川宿の西棒鼻。。。いろいろと説明がされていました。実は藤川宿はあまり期待していなかったがどうも此処が一番昔日を感じる宿でした。
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。。。。。。西棒鼻の筋向いにある十王堂。。。。此処にも芭蕉の句碑がある。”ここも三河、むらさき麦の、かきつばた”の句を残している。。。。。
この先には藤川の松並木があり、吉良道と別れ東岡崎に向かうのだがすでに16時に近く、距離も7キロ近くあるので藤川駅から二駅先の東岡崎に向かう。少しはしょった一日になったが機会を見て繋ぐつもりである。
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。。。。。名鉄無人駅.藤川駅。此処から二駅先の東岡崎に向かう。何ともさびしい駅である。乗ったのは我一人であった。。。。

東岡崎に16:20着。駅から西に歩き乙川を渡り、今宵の宿スーパーホテルに向かう。一息入れ、天然温泉の大風呂【中風呂?】につかり、18時過ぎに食事を摂りに伝馬町通りにあるウナギ屋【乙川】に出向く。熱燗と(上うな丼)を注文。どうもこの日の最後の客に自分はなるようで、熱燗は熱過ぎで飲みずらく、ウナギも皮はバリバリと音がするくらい焼き過ぎで、ウナギの良さが全く感じられず、半分残して終わりにした。どうも焼くき方が失敗したものがどんぶりに一部載せられた感じが強く、折角の夕食が文句の一言ぐらい言いたいが旅の出先でトラブルを起こすのも嫌で我慢して宿に戻る。この店岡崎の中では歴史ある老舗の一軒であるだけに残念。!!実にいやな今日の終わり方であった。早めに就寝、明日に備える。
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。。。。。。名鉄東岡崎駅。名鉄の中でも此処岡崎はメインの駅だが申し訳ないがダサイ!!?駅ビルの店も今いち、駅全体のデザインも古すぎ。
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。。。。。。乙川に架かる明代橋より岡崎公園方面を撮る。物凄く良い雰囲気を感じた。。
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。。。。。。。。。。。明代橋より今宵の宿(東岡崎スーパーホテル)を望む。。。。。。。
。。。。。。。。。。本日の歩行成果。。歩行数...27399歩。。距離...19,17キロ。。歩行時間...4,35H
......................正味所要時間...7,30H



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大雪の日

2018/01/24 15:30
。。。。22日は関東地区全般に大雪の予報。朝【6時頃】目覚めて窓の外を見ると、我が地区にはまだ白いものは降っていない。愛犬様にはこれから雪になるから朝散歩は中止と告げてある。本人了解したのか朝の食事が終わると,定位置の主人の椅子に飛び上がり休憩に入る。予報では夕方からが一番強い降りと報道されたが、あにはからんや、9時半頃からじゃん、ジャンと降り出してきた。
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。。。。。。。我が家2階から道祖神辺りを写す。かなり積る予感。。。。。
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。。。。。。。家前の公園の様子。横殴りに雪は降り続けている。。。。明朝が気になる。。
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。。。。。。主人の椅子を占領してのんびり構えています。。。。。。

肉眼では30分くらいであっという間に10センチくらい積もりだしたようにに感じた。今日は一日確定申告の準備と街道歩きの元原稿作りに徹しようと思ったが、つい各地の様子をテレビで見るほうが多かった感じである。娘の家族の様子も気になり後で聞くと、新宿に勤めてている孫娘は会社の判断が早かったようで夕方6時頃には帰宅した様子、大学生の孫息子も今はまだ2年なので横浜キャンパス通いなので早めに帰宅したようだ。
。。。翌朝23日は家前の公園では近所の親子が【かまくら】作りに精を出していた。子供は初めての大雪体験だろう。お父さんの手伝いを一生懸命にやっており、ふと40年前の我が家の事を思い出した。同じような状況があった気がした。この日はブログの投稿を忘れたので、今日の公園の状況を写してお茶を濁す。
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。。。。。。。。丸一日経過するとあの大雪が嘘のように感じます。。。いつもの道祖神風景です。
でも明日からまた30年ぶりの大寒波の予報、特に日本海側は大きな被害も予想されそうです。日本海側の県民の皆様充分に気をつけてください。

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いつもと同じの3ヶ日。

2018/01/09 13:15
。。。現役時代の今から40年前くらいから【S53年頃】同じパターンで過ごす癖になってしまったと記憶している。30歳前半辺りまでは年末の休日からスキー、登山に行くことが習慣だったが、歳を重ねることにテレビの前に陣取るようになってしまった。勿論年初のお得意先へのあいさつ回り、&初荷の応援があり、万一遭難になったらと考えるようになったと思う。付け加えるとニューイヤー駅伝、大学箱根駅伝で三が日が終わるので一献傾けながらテレビ観戦するのが癖になり,酔太郎に徹するようになった。
。。。元旦
朝6時起床。愛犬様との散歩である。日の出はこの時分は遅く、6:50くらいである。散歩は6時半ころから、日の出を過ぎ、太陽が上空にとサン,サンと輝きだす頃の7時過ぎに帰宅。まずは愛犬の朝食。次にお雑煮のおつゆの準備と調理、次におせちの真似ごと程度の重箱詰め。時は8時を回り始めた。いよいよ8時半のスタートである。自分は酒で一人乾杯。勿論神さんにも真似ごとの乾杯もします。この実業団駅伝自分の住む藤沢からはプレス工業がエントリーしている。毎年暮れの東日本駅伝でギリギリだが決勝進出を10年続けられるように実力が付いてきたチームである。でもこの駅伝昨年26年ぶりに復活優勝した旭化成が今年も2連覇を狙っている。奇遇と云うか、定めと云うか宗兄弟が活躍したように、双子の兄弟の市田兄弟の活躍で昨年優勝している。なんか運命の星の下に新しい双子兄弟がいるように感じるから不思議である。我が藤沢のチ−ムは残念ながら23位に終わる。毎年目標は20位以内を掲げているが、力不足、でも大分20位ラインが見え始めているような気がした。来年に期待乞う。!!37チーム中36位に入った九州佐賀の【ひらまつ病院)、院長のインタービューで”地域を元気付けるのは駅伝である”ことに目覚めたと語っていた。正にテレビドラマの(陸王)の足袋屋、(こはぜや)の如くだ。なんか実業団駅伝も新顔の参加チームがこれからも出てくるような予感もして面白くなってきた。
。。。。附記
ニューイヤー駅伝の後は初詣である。娘家族4人が迎えに来て、愛犬様も同乗して(鵠沼伏見稲荷神社)に出向く。16時頃神社に到着。約100人以上が列をなしている。これでは拝礼するのに一時間はかかると判断し、久しぶりに鵠沼の海方向の住宅街を愛犬と散歩。一時間後に神社に戻ると家族一行がようやく鳥居の前に来て
どうやらこれから参拝になるようだ。愛犬も一緒に参拝し、帰宅の途に着く。久しぶりに家族7人が我が家で正月の軽い宴を催して21時頃に散会とした。お疲れさまでした。


。。。。。2日。。。。箱根駅伝往路。。。。。
この日は大好きな箱根駅伝である。前日と違い8時スタートなので愛犬散歩は薄暗い6時から始める。8時スタート。おつまみ付きで焼酎一刻者をそばに置き観戦。食事は食いたい時にする。今年の予測は出雲駅伝勝者の神大、全日本大学駅伝の東海、そして常勝の青山。往路の見所は高校2年の秋からS45年間住んでいた遊行寺坂下の風景である。大鋸【だいぎり】と云う町名に居た。パナソニックが藤沢の事業所(テレビ、冷蔵庫,換気扇、扇風機の3事業部)が撤退してからは遊行寺坂が往路、復路とも中継撮影スポットになってきた。過ってはパナソニックの事業所周辺が中継ポイントであったS20年5月の横浜大空襲で戦災孤死にならなかったおかげでこの駅伝を楽しめています。青山を何としても突き落としたい東洋が案の定トップである。1,4,5区は一年生、この3区が勝負ところと踏んだのだろう。補欠だった4年生を投入、見事一度も青山にトップを譲らずに往路優勝を果たした。我がW大も予想以上の走りで3位に入り二日目が面白くなってきた。青山の原監督のインタービューで復路7区8区はピクニックランになるので大丈夫だと思っていると云う言葉が印象に残っている。

。。。。。。3日。。。。。箱根駅伝復路
トップの東洋がまずはスタート。36秒差の本命青山がすぐに追いかける。大平台を過ぎたころには追い越すと自分なりに予測。案の定一気に追い越しを図った。グイ、グイと離して7区にバトンタッチ。監督の予想通り、ピクニックランで8区ではエースが走り戸塚では6分以上の差がつきどうやら独走態勢に入ったようだ。鶴見でアンカーにつなぎゴールでは大会新記録で4年連続4度目の総合優勝。ご立派すぎる。それにしても優勝経験豊富な駒大,順大が予選落ち、優勝候補の神大がシード落ちと波乱の駅伝であったように感ずる。唯あまり話題にならなかったW大が途中東海、法政、日体大に抜かれ、下手をすると10位まで転落かと思ったがアンカーの4年生で箱根初出場で3校をゴール近くで抜き返し総合3位をキープしたのにはいささか涙腺が緩みました。でも城西、拓大、中央学院がシード圏内にとどまったのも立派である。
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昨日の緊急地震速報は何なんですか?

2018/01/06 12:01
作日11時過ぎに一休み中に緊急地震速報がいつもより激しくなりだし、そばにいた家内の携帯にも激しくなり速報の二重奏に愛犬様もビックリ。!!テレビをつけると震源地は茨城で震度は5強と表示されており、アナウンスは”強い搖れに注意して下さい”と叫んでいるが、いっこうに来る気配はないし、なんだろうと首をかしげてしまった。二分ほど様子を見てからテレビ画面を見るとどこかの集まりの様子が写り、皆自分の携帯をのぞいている情景が移り首をかしげているようでした。案の定震度3の地震が北陸で起こり両方合わせた震度になった速報であったことが判り、過去の東日本大震災の後に何回か誤報速報が流されてきたのを思い出した。台風など空の速報は精度が高いが、火山噴火、地震予知は災害大国、地震大国の日本は予知制度が極めて未熟としか言いようがない。自然の災害の予知研究が極めて難しいのがよくわかるが、今回の地震速報は機械的なものだが何となく人為的なものも加わっているようなのが気にかかるところです。暮れの新幹線(のぞみ)の台車破損の発見と同じように見えてくる。これもセンターと運転手の判断で見かたの違いで判ったわけである。もしかしたら新幹線53年目の大事故になるところだったと思うと寒気がしてくる。
。。。。また3〜30年の間に南海トラフ等大地震が予測されているが、非常持ち出し袋など、水の取り換えなど期限付きの保存物なども商売としては有効だが、身を守らんとする我々には何の効果も見られないが、自然災害とはこんなものだろうとあきらめ始めているのが現実です。
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「いずも」空母化!?!?

2017/12/28 13:13
。。。。。。昨日朝日の朝刊の一面に「いずも」空母化検討と云うタイトルの記事を目にした。小生も昨年秋初頭に友人からの誘いがあり、「いずも」の乗艦体験をさせていただいた。その頃はまだ今年のようなトランプVS金日恩のミサイル攻防戦はまだなかった記憶だが、なんとなく北の対日攻撃が激しくなり、すこしきな臭い感じを受けていたが、昨日の記事が自分の体験乗艦から一年強で空母化検討が始まったのにはいささか驚いたのが実感である。記事によると2015年「いずも」就役以来空母化検討はされていたようだ。時あたかも憲法改正論が一段と激しくなりそうな時期であり、まさにタイミングよく検討化記事が出たもんだと唖然とした。
。。。。。。体験乗艦の時も見学終了の頃、隊員とお別れ雑談が出来る状態があり、”この船は護衛艦と云う名前だが、本来は空母を前提とした造船だったのだろう”といじわる質問をするも”いや、護衛艦です”の一点張りで大笑いしたことが思い出された。当時は隊員にも質問があっても”護衛艦だと云い通せ”と云う指令があったと思う。
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。。。。。。。。。白波を蹴立てて勇壮なる護衛艦「いずも」。。。。。。。。。。。
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。。。。乗艦記念写真。甲板上のごく一部の場所で100人位が乗船見学をした。。。。。

またこの記事に寄ると最新鋭戦闘機F35Bを搭載する検討にも入っているようだ。この戦闘機は垂直着陸可能であり、離艦する時は水平離艦で行くと思うが、現実の搭載機数はかなりの数のF35Bを搭載出来るような気がする。現時点では専守防衛を掲げているので、尖閣諸島などの離島防衛に活用する(防衛型空母)を名目とする案が検討されているようだ。いずれにしても現実のアジア情勢、世界情勢はいつ何か起きてもおかしくない時代であり、何とも寒々としたニュースである。
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