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THE,21st。。NA,LEOPARTY,in,GPH新高輪、「飛天」

2017/07/21 12:32
。。。。四日前の17日(海の日)は毎年行われる、稲門会のナレオ、パーティーである。早いものでもう21回を迎えるようになりました。現役時代に同じ営業の仕事をしている、一応3年後輩がこのパーティーの実行委員長であり、何かと触れ合いの多い呑み助の仲間の一人なので、この会には常連として参加している。
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。。今年もボニージャックスを招きまたハイソのOBバンドも加え盛大なパーティーになった感じがします。

。。参加した仲間は元会社のOB4人である。4人とも21回開催のうちほぼ半分は参加しているメンバーである。今年も実行委員長の配慮もありほぼ真ん中の13テーブルである。仲間の一人の友人が私の隣で、ウクレレの某バンドのリーダ―らしくいろいろと教えてくれるのでまた見ごたえが増えたようにも感じました。この方逗子の小坪にお住まいで、小生もあの地区は昔はよく行ったところだけに、話がマッチングして大変にうれしかったです。そういえば参加している我々4人以外の知り合いも結構見かけた。2カ月前に懇談したWOWOWの元会長にもまたお会いでき、前回の宴の参加の御礼はさせていただいた。高齢とはいえ相変わらずの元気さでした。
宴も半ばになりいよいよ今日のゲストボニージャックス&ハイソOBバンドの出番である。
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。。。。。。。。ボニー―ジャックス4人の面々です。。。。相変わらず素晴らしいハーモニーです。。。
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。。。。。。。。ハイソサエティーOBバンドの現在の古(フル)メンバーです。。昭和60年代、70年代の方たちです。
ボニーの歌のバックバンドで(Side、By、Side.)。。(On,The,Sunny,SIde,Of、The,Sreet)など小気味よいジャズのリズムを生で久しぶりで聞くことができました。
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。。。。。どこかの会場で演奏中のハイソサエティーOBバンドの連中です。どうも演奏会はやっているようなので探してみようと思っています。社会人になったころの会社の後輩(大学も)がハイソの演奏会を聞きたがっているので。
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。。。。浅井慎平さんも時間が少なくなり1曲だけボーカルで歌を披露、本当は歌がうまいのでもっと聞きたかったし、本人も歌いたかったと思います。
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そろそろお開きタイムが近づいてきているようだ。W大現役のハワイ民族舞踊研究会の女子メンバーによるフラ。
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。。。。。。。。。総合司会の露木茂氏。毎年ご苦労様です。またどこかで会いましょう。。。。
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。。。実行委員長の最後の御礼挨拶。。実は彼の奥様は昨年8月に逝去され当初は大分堪えていましたが,今日のあいさつもいつもより長く、かなり後遺症も減り、来年も盛大にやりたい意思を皆さんに伝えていました。これからも精一杯頑張ってほしいと思います。
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街道歩き。。。東海道。。24回。。24日目

2017/07/20 12:47
。。。。。。。。。。。。7月8日(土)。。。。。。。晴れ。。。

。。。舞坂宿(西端、弁天島)〜新居宿。。。舞坂宿の西端から3,9キロ。東端から5,9キロ。。

。。いよいよ今回の歩きの最後の日である。二日半のうち一番見ごたえがある新居宿だ。何故かと云うと、関所の建物が解体修理はしたが当時のまま現存しているのは此処だけである。最後の歩きは最初の日より実測では短い3,9キロであるが、こまめに水補給がポイントと思う。舞坂宿の東端からだと5,9キロだが昨日少し先の弁天島まで稼いだので一番短い距離になるのです。
。。昨日チェックインの時、朝食時間の時間を聞かれ7時に予約した。朝食は7時、7時半、8時、8時半と4部に分かれているシステムをとっている。東南アジア系の客が多いのでこのシステムをとっているようだ。もう一つ驚いたのは、経営破たんのホテルを引き継いだとはいえ、部屋に入る扉が昔のカギ式でオートロックでないのにはビックリ仰天であった。
。。朝食を7時半に終えて、すぐアウトできる状態だが昨日と同じ8時半に出発。
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。。。このビルがThe,Ocean,hotlです。見た目には素晴らしいリゾートホテルです。。。。。。。。
。。国道の右側の歩道を歩き先ずは中浜名橋になる。この橋を渡ると湖西市になる。横に長い浜松市とお別れである。
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国道の左側に津波避難塔が見えるがこの場所が日本のど真ん中になるようだ。「日本のど真ん中」の標柱があるが幅広い国道を横断しなければならないのでやめにした。古橋屋と云う釣りの民宿を左に臨み、西浜名橋に到着。歩いてからまだ25分だが暑さに負けて橋のたもとで一休み&水補給。10分ほど休み再出発。この橋は車道と歩行者自転車専用道路と別れて作られている。この歩行者専用の橋が元の西浜名橋で車専用の橋は新しいものである。元の橋は文献では昭和4年建設とあるから今年で88年目になる。
どうも疲れと暑さで写真撮りにさぼりが出て、この橋も撮らずじまいである。橋を渡り右に浜名湖競艇場の看板が見え、右前方に競艇場の建物が見えだした。大橋屋と云う釣り道具屋さん前で又一休み。歩いてからちょうど1時間ちょっとである。その先にブリダ―がやっているドッグホテルがあり関心があるので良く見ると1泊食事付きで1400円だ。おまけにドッグランも奥にあるらしい。つい我が家の傍の動物病院兼ホテルと比較をしてしまった。何となく用足しがしたくなり、新居町駅でトイレに向かうも改札前にはない。ホームに入らなければだめなので駅員に断り許可してもらった。
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。。。。。。。。これがJR東海道線の新居町駅です。さっぱりした感じで、ピンとこない駅です。
トイレ休憩で又一休み。心のうちでは今日は距離が短く午前中には関所見学なども含め早じまいできると踏んでいるので休みが増えていると思います。
。。。。駅から関所に向かう。浜名橋を渡ると橋の欄干沿いに広重の浮世絵が10枚ほど石板に張られてあり、旅人にとっては昔の風情を感じさせてくれる。沿道の建物も江戸時代をイメージしたものが多くなってきた。
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。。。。。広重の新居宿からの渡り船の風景です。。。。。
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.。。。荒井宿に渡りこれから関所に向かう一行の様子だと思う。これも広重の絵です。。。
。。。。。。橋を渡ると目の前に新居宿の関所が現れた。外側の柵もしっかりと整備されている。しかも面番所は当時のまま現存、保存されている。
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。。。。関所を前面から全景を映す。中に入り正面を右に回るとお取調べの役人が待っている。
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。。。。。。此処が面番所であり、手前からお偉いさんが並んでおり、此処で(入り鉄砲)と(出女)を特に御調べになったようだ。
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。。。。。。此処は勝手口であるが出女改めは本当はちゃんとした部屋があったようだが復元できてないので此処に飾られている。この女性が江戸から出てきた女の素性を徹底的に調べたようだ。出女調べの部屋もこれから復元する予定があるようだ。
。。。関所の内外を一回りして関所の大御門を通り宿場の中に向かう。
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。。。。。。。。。。。。関所入口の大御門。。。。。。
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。。。。。。。。。大御門の手前にある高札場。。見事な復元である。。。
。。。関所の内外を一回りして大御門を抜けて宿場の中へと進む。旅籠の「紀伊国屋」の見学チケットは関所に入るときに貰ったが、芸者置屋(小松楼)を先に見学。
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。。。。。。。。芸者置屋全景。。。残念ながら江戸時代のものでなく大正期から戦後の昭和22年ころまで営業していたようである。最盛期にはこの地区に芸者置屋が11軒もあったようだ。
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。。。。。。。小松楼の2階。宴会場に使われていたようだ。。。
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。。。。。。。。。。。。小松楼の2階に上がる階段。やはり大正、昭和の戦前の匂いがするようだ。。。。
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。。。。。この小松楼を管理、運営をしているNPOの方に案内していただいた。目の前の階段で2階に上がり良き時代は大宴会の始まりである。小生の風袋を見て"もしかして街道を歩いている方?"と問われそうだと答えるとその方もたまに電車に乗り東征をして東海道を西下しているらしい。”此処は日本のど真ん中だから、上りも下りも上手く日帰りできるので便利です"と云われていた。やはり同好の志と思われ親近感がわいてきました。お歳は同じかと思ったが昭和16年生まれで自分が13年だと判ると"まいった!!"と最敬礼してくれた.旅の触れ合いの一齣です。置屋見学の後に今度は旅籠の(紀伊国屋)に赴く。
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。。。。。。。現在の紀伊国屋の一風景です。
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。。。。。。。。。。。。これは案内パンフからの転写ですが正に往時はこのような雰囲気だと思います。。
この辺りには20数軒の旅籠が建ち並んでいたようで紀伊国屋は元禄16(1703)年に紀州藩御用宿に指定され、昭和30年まで250年もの間旅館業を営んできたのである。
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。。。。。。。。。。。。。。。宿の雪隠(せっちん)。何もない方が前で後ろの手すり見たいのは座って袴を被せる場所と後で知識を得ました。
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。。。。。。。。風呂桶と風呂場の広さに少しびっくりしました。。。。。。。。
一通り新居関所、新居宿場を見物したので、今日は此処で街道歩きをストップすることにした。浜名橋を渡り、左側の薬屋さんの軒下を見ると子燕がピーチク鳴いている。そばに近づきズームでパチリ!
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。。。。。。。。。まるでチビ燕3羽がご苦労さんと見送ってくれてるような雰囲気である。お返しに次はこの宿場から歩くからと独り言を言い、バイバイをする。
。。。本日の歩行成果。。歩行数...10063歩。。。歩行時間...1,42H。。距離...7,04キロ。。正味所要時間..3,25H
11:55に駅に着いたので早めの電車で浜松経由新幹線で小田原乗り継ぎ藤沢へと帰路を採るる。
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。。。東海道本線快速浜松行。初めて乗った普通車のボックス席。。乗車している女性もやはりチャイニーズでした。

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街道歩き。。東海道。。23回。。23日目

2017/07/18 15:06
。。。。。。。。。。。。。7月7日【金】。。。。七夕。。。。。晴れ。。。。。。。

。。。。。。。。浜松宿〜舞坂宿(弁天島)。。。(11,1キロ)。。。。。。。。。。。

。。。。昨日6日は天竜川駅から午後12時半からの行動だったが、今日は暑さの影響もあり長丁場になる可能性が予測される。朝食を早めに済ませ、ホテルを8時半に出発。予定より30分早める。連尺の交差点を左に曲がり旧東海道(国道257)に進むも全く街道風情なし、淡々と前に進むだけである。あらかじめ調べておいた佐藤本陣跡、梅が屋本陣跡、など6か所ある本陣跡も目印らしきものが少ないせいか、ほとんど目に入らず、東海道本線が走る高架のところまで来てしまった。
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。。。。この高架橋の近くに掘留ポッポ公園があり其処に蒸気機関車などが展示されているようだがよらなかった。
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。。。。これが東海道本線が走る高架橋である。右は浜松方面、左は舞阪方面である。。。。。
この高架を潜り今度は東海新幹線の高架橋を潜り、鎧橋と云うところに到着。ちょうど1時間なので水補給と小休止をする。
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。。。。鎧橋の場所。平安時代末期比叡山の僧兵に攻められこの小さな橋を土地の武士が鎧を着て守ったことからこの橋の名前がある。双方で死者が千人あまりだったようだ。
一里塚跡(65里)を過ぎ、(二つ御堂)前に出る、自分の歩いている左側には明治天皇野立所の碑がある。
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。。。。。。二つ御堂。左奥の大木の下に八幡神社が見える。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。自分がいるところが明治天皇野立所の碑。。。。。。。。。。。。。。

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。。。。。。。。。この辺りは東海道の松並木であったようだ。写真では残る一本だけ。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。この町可美の鎮守様、諏訪神社。。。。。。。。。。。

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。。。。。。。。この看板は営業中の喫茶店の入り口にあったものです。。。。。。。。。。。
更に足を進めると熊野神社を過ぎて左のひっ込んだところに喫茶店があり、(営業中)の看板がドアの下にコソッと置いてあったので、コ―ヒーが飲みたくなり、暑いのでこの店に飛び込む。カウンターの右端に呼び鈴があり振って鳴らすと、"は〜い"と云って奥から熟年女性が出てきて、すぐに対応してくれエアコンもオンにして、小気味よく接してくれた。珈琲を頼むと"暑いから冷やしたスイカとか水羊羹もあるからサービスするので食べてよ"と云ってくれ水羊羹を所望する。ありがたきサービス精神である。それと折角寄ってくれたので少し話もしたい気持ちになったような気がする。この女性どうも子供、大人を問わず英会話の教室を開いているようだ。かなりインテリジェンスな方である。カウンターにある小冊子を見ると、東海道五十三次をペン画で書かれたスケッチブックだった。一ページを開くと何と藤沢の遊行寺から始まっている。横浜の戸塚あたりの方のようで、その昔歩く途中でこの店に立ち寄ったらしく,後刻このスケッチブックを送ってくれたようだ。粋な計らいである。脱帽!!個人話を交えているうちに、小生がW大卒と判り、11年生まれの兄が同じ大学で、よく校歌とか応援歌を歌って教えてくれたのが思い出されたようだ。残念ながらこの人のお兄さん4年を卒業して早逝したようで、ついでに”今はあの頃のようなバンカラはいないよね〜”と述懐していました。話しこむうちに長い休憩になってしまった。この高塚の喫茶店の名前は(モンテレゾール)と云って英会話もやっているようなので先程の写真を載せました。
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。。。。。。。。。。。。。喫茶店の英会話の先生です。長時間おつきあいありがとうございました。

喫茶店にお暇して20分ほど歩くと(名物舟そば)の看板が目につき正午すぎたのでこの(遠州庵)と云う蕎麦やに入る。周辺には店が少ないので店内はかなり混んでいる。"舟そばってなんですか?”と聞くと手打ちのざるそばらしいので注文、出てきたのは舟型の器にこぎれいに蕎麦が盛りつけてあるだけ!!食べて見るとこれは手打ちの味ではない。はっきり言ってたいしてうまくない。悪口を言うのは良くないが(名物に美味いものなし)とはよく言ったものである。蕎麦好きであるだけに家で乾麺を上手く茹でてざるそばを食べるほうがよっぽど美味い。自分の前に客が来たが、半分残して早々に店を出る。嫌な客の印象を残してしまったと思う。街道は広い国道から静かな県道(316号)となる。此処が旧東海道になるようだ。篠原の一里塚(66里)を過ぎて黙々と前進あるのみだが、この地区寺社が多いがあまり興味を抱くほどでない。馬群(まごうり)と云う町を通り西本徳寺を過ぎ交差点を渡ると右角に春日神社がある。昭和7年の社殿造営らしいが拝殿は古るそうである。
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。。。。。。。。。春日神社本堂。。。拝殿前には狛犬ならぬ雄と雌の鹿が迎えてくれる。。。
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。。。。。拝殿は古そうだが裏に見えた本殿は鮮やかに真っ赤に塗られており対照的な構図である。。。
この神社の先を右に行くと東海道本線の舞坂駅であるが立ち寄らず。その先の舞坂の壮観な松並木に向かう。ようやくにして街道風情に浸れる場所に来たようだ。単調な道を歩き続けたので一気に歴史が戻ったような感じである。
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。。。。。。。。舞坂の松並木街道。約700m続く。松の木は300本あると云う。。。。。。。。。
進行方向右の緑地帯には十二支の石像が50メートル置き位に飾られていた。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。辰の石像です。裏には辰の刻が印字されている。。。。。
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。。。。。。。。。。。。街道の常夜灯もマッチしている。。。。。。
。。国道一号と交差するところに小公園があり(浪小僧)と云う少年の像があり何ともユーモラスである。。
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。。。地元の漁師の字引網に真っ黒な小僧が引っかており、殺そうとすると、"海が荒れたときには海の底で太鼓を鳴らして知らせる"と云って命乞いをしたと云う伝説がある。
この像を見ると何ともユーモラスに感じるし、近隣の雰囲気ものんびりしているから不思議である。交差点を渡り旧道を進むと(見付石垣)と云うところに出た。此処が舞坂宿の東端になるらしい。間もなく浜名湖である。
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。。。。。。。。。。。この見附石垣から舞坂宿が始まる。。。見附とは見張り所にあたり、大名が通行の時に人馬の出入りを監視し治安の維持にあたったようです。
細い道の左右には(のり)〈しらす〉の看板がある魚やが目につくようになった。舞坂宿は江戸から30番目の宿、この西には問屋場、本陣などがあったようだが、本陣跡は標柱のみであった。

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。。。。上は脇本陣(茗荷屋)の正門前である.下は内部の座敷である。平成9年に復元され一般公開しているが、16時が閉館なので入り口からさっと覗くだけに留める。
東海道が突き当たったところが船着き場であり、中雁木(なかがんげ)と呼ばれた場所で、雁木は北、中、南と三か所あり北は大名、幕府役人、公家。中は武家用。南は渡荷場(とかば)と云い庶民、および荷物用だったとある。
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。。。。。。舞坂漁港。。上の橋は浜名湖バイバスです。。。此処が南雁木だろうと思います。。。。。。。。
舞坂宿は三方海に面していて津波や高波の被害が多かったため、石垣や土堤を築いて宿囲(シュクかこい)を構築していた。浜名湖は中世までは陸続きであったが明応7年の大地震と津波で今切口が生じて陸が切れて外海とつながり淡水湖でなくなったようです。宝永4年(1707)のの地震で更に広がったようです。
時間も16時になろうとしてきたので足を速める。弁天橋を渡り、弁天神社を散見、そして今宵の宿The,Ocean(ジ、オーシャン)にチェックイン(16時半ころ)
。。。。。本日の歩行成果。。。歩行数。。20950歩..距離。。14,21キロ..歩行時間。。2,86h..正味所要時間。。7,53H。。実測では11,1キロだが暑さと疲れで3キロくらいオーバーしてしまうようだ。
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。。。。。。。。。弁天橋を渡る。。。左奥は弁天島のホテル群の一角。。。。。。。。
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。。。。。。。。弁天島の弁天神社。此処には正岡子規も来ており一句残している。。。。。。。。
チェックインして10階の海側の部屋に入る。少し荷物を整理し、明日も天気良好と判断。荷物を軽くするために宅急便で送る用意をする。17時半ころ4階の大浴場に行く。何人かが来ているが、風貌が少し違う。言葉から判断するとやはりチャイナである。脱衣室から風呂場への扉は開けはなしであり、シャワーの使い方も乱暴であり、全くマナーが悪い。とんでもないホテルを予約してしまい後悔している。風呂から上がり、宅急便の荷物用の空箱を調達に行き、部屋に戻るときにエレベーターが2階で停まりドアが開くと其処は夕食会場、ものすごくうるさい。やはりチャイナの人達が大声でしゃべりながらの夕食をしている。うるさい!!朝食のみの予約でよかった。夕食は外に出かける。
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。。。。。。。。。。。。。部屋から浜名湖を撮影。。。。赤い鳥居が湖を守っているかのようだ。。。。。。
18時過ぎにホテルを出る。1階の入り口に団体の大型バスが2台到着。バスナンバーを見ると成田である。またまたチャイナ50人ほどがチェックイン。
ホテルで近辺の店が出ている地図をもらったが、ホテルの方針だと思うが夕食もホテルで取らせる魂胆があるので居酒屋系の店しか地図には載っていない。当てずッぽに駅の北口に歩きだすと、後ろから地元の叔父さんが夕方の散歩らしいので"どこか美味いもの食べさせる店はないですか?"と尋ねると自分の帰りのルートにウナギで有名な今井亭があるので案内してくれた。実は其処を目的にしていたところなのでもっけの幸いである。5分ほど川沿いを同行すると店の傍に到着。店に入りカウンターに座り、上うな重を注文、着た甲斐あり、予想通りのうまさである。
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。。。。。。。。自分の坐ったカウンターの前のいけすには車エビが100匹ほど注文待で休んでいた。。。。
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。。。。。。。帰りに月夜がきれいなので撮ってみたがピンボケである。。。。。。
。。。翌日宅急便のお願いにフロントに行き中年の従業員と話してみると、7年ほど前までは○○荘だったが経営破たんとなり、中国資本が買い取り現在のホテルになったらしい.方針としてチャイナ、コリアなど東南アジア系のトラベラー、ツアーに関しては基本的に優先して予約を取るのがトップ方針であるようだ。道理で朝食時間のトップの7時から半数以上はチャイナ系の人たちだった気がした。
。。。。さていよいよ明日は今回の最後の街道歩きだ。早めに寝て明日に備えよう。?!?!


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街道歩き。。。東海道。。22回。。22日目

2017/07/14 12:03
。。。。。。。。。。。。。。。。。7月6日(木)。。。。晴れ。。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。天竜川駅 ̄浜松宿。。。。。。。。。。。。

。。。5月6日以降はなかなか街道歩きが出来ずらいスケ―ジュールになってしまった。5/17は旧吉田茂邸見学、5/24は(横浜みなとみらい)、ロイヤルパークホテル四季亭での旧M電器産業の元副社長との懇親懇談会、5/31は米寿、半寿、傘寿の合同お祝い会、6月に入り入梅、6/17高校同期の集い、6/24柳家後ん太郎一門会の"あきない落語会”観賞とまあ過密スケジュールとなり、街道歩きどころではなくなってしまった。いよいよ7月となり暑さはますます上がり始めたとはいえ、あまり歩きの時期をずらすと気持ちが萎えてしまうので、梅雨の合間の天候の恵まれた日をチェックして、6日から8日まで二日半行程で歩くことにした。
。。。7月6日(土)愛犬ジュン様を近くのドッグホテルに午前9時に預け、急いで帰宅、すぐさま行動に移す。藤沢9:56のアクティーに乗るつもりで家を出たが、湘南新宿ラインはまたも新宿、高崎間でアクシデントにより遅れており、幸いにも30分遅れた鈍行が来て小田原乗り継ぎの新幹線(こだま)10:36に間に合った。これで予定通りになった。怪我の功名である。1時間ほどで掛川につき乗り継ぎの普通車に乗り天竜川駅に12:11に無事到着。いよいよ本番の街道歩きである。まずは昼の腹拵らいだが、この駅近くには飲食店はなく、旧東海道の交差点まで10分ほど歩き(かどや)と云う餃子専門店に入るも昼食時なので席は満杯、でも1席あったのですぐさま着席、餃子をやめて焼きそばを注文13時には街道歩きに行動が移せた。この店何とジュビロ磐田の選手たち、また街道見物の有名人などが訪れ結構有名なようです。
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。。。。(かどや)の前が六所神社である。お宮の松と云う樹齢260年、樹高17mの巨木があったが昭和54年の台風で倒木となってしまった。
30分ほどで浜松アリーナが右に現れた。1時間で一休みの計画だったがあまりの暑さなので30分で一休みに計画変更をした。そこですぐに此処で一休みにした。道の右にはシソ巻きで有名な和菓子や六軒京本舗がある。
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。。。。。。。。。。。この建物が浜松アリーナ。。。。。
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。。。。。。。。。。。。シソ巻きで有名な和菓子や(六軒京本舗)。幕末頃からの店らしいです。。。。。
先に進むと子安神社の交差点に出たが此処は複雑な場所で信号のある歩道はないので地下道を通らなければならない。街道歩きで一番いやなパターンである。蒲新明宮鳥居を右に臨み単調な街道を黙々と歩く。天神町を過ぎ鎧橋を渡るとアクトタワーが近くから見えるようになってきた。馬込橋の西側が東番所であり、此処から浜松宿が始まると文献には書かれていた。本陣6軒,旅籠94軒と遠江、駿河の中では最大の宿場であり、本陣が6軒あるのは此処と箱根だけだそうだ。馬込川を渡ると市内の広い道になった。見返りの松のあるところから交差点に進むとアクトタワーが眼前に聳えたっていた。
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。。。アクトタワー。。高さ212,77m、、地上45階建て。オフィス、ホテル、ショッピング、レストランなどが集結している複合施設であり、浜松市のランドマークだろう。音楽都市なのでハーモニカをモチーフにしているようだ。
。。。。先に進むと街道の傍に夢告地蔵が祭られていた。
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。。。。。。この地蔵は安政5(1858)年に大流行したコレラで亡くなった人達を供養するのに建てられたそうです。

先に進むと高架上を走る遠鉄の鉄橋を潜り田町に入る。今宵の宿は(くれたけインセントラル)であるがホテルロビーで大きいザックだけを預け、浜松城見学散策に出かける。時間は15時ころである。
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。。。。。。家康が浜松城から駿府城に移るときにこの松(植え替えた現在の松です)のところで浜松城を見返ったと云うことである。。。

。。。ホテル前の少し坂になった道をまっすぐに向かう。すぐに連尺の交差点である。左に曲がるのが旧東海道、右に曲がるのが浜松城に向かう道。バス停を見つけ、城方面に行くバスに飛び乗る。二つ目の浜松城公園前で下車、すぐに城に向かう。公園内の道にも家康の歴史点描とか、現在のドラマ(女城主、直虎)にまつわる案内板が目につく。天守閣への坂道を登り天守門を潜るがその前に若き日の家康像に拝顔。
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。。。。。石垣の先が天守門である。天守門は復元であるが石垣の石は当時のままだそうだ。。。。。。。。。
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。。。。。。。。天守門に入る前に右下の樹幹から見えた(若き日の家康像)である。29歳から17年間浜松城に在城していたと云うから30代そこそこの若き日だろう。
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。。。。。。天守門を潜ると裏側はこの風景となる。。。。。。。。。
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。。。堂々たる浜松城天守閣である。昭和33年に復元、天守門は平成25〜26年にかけて復元何と140年ぶりのことらしい。
。。櫓にいた係の女性から”天守閣は16時20分が入場締め切りの時間よ"と云われ急ぎ天守に向かう。一人300円と書いてあるので受付に行くと顔を見るなり"60歳以上は無料です"と云われホッとすると同時に、やはり年相応の自分に改めて目覚め、そして自覚する。がっかりそして笑い入場すると中国から来た団体の渦の中に巻き込まれるが、人混みの中を潜りぬけ3階の天守閣へと進む。楼上から外の景色を散見し、家康が命からがら逃げてきたと云う(三方が原)の方を遠望し、往時の敗戦将軍の家康の自画像を思い出した。自画像は家康が本当に描かせ、以後の戦いに臨み発奮の材料にしたようだ。この時の相手の武田信玄は向かうところ敵なしの凄腕であったと思います。
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。。。。。三方が原古戦場は左奥先の山の向こう側あたりらしいです。方角説明書によると。。。。。。。
。。。。17時を過ぎたので城を後にして歩いてホテルに向かう。17時半チェックイン。。
。。。。本日の歩行数。。17697歩....距離。。12,38キロ..歩行時間。。2,54H..正味所要時間。。5,10H
...........今日の東海道の距離としては4,5キロだが、城めぐりを含めると3倍の距離となってしまいます。
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。。泊まった(くれたけイン浜松セントラル)です。。パンフレットより転写。この日も空き部屋なしのようでした。
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。。。夕食に町に出かけました。”浜松に来たからにはやはりウナギだよね〜”と独り言を言ってこの店「八百徳」に入る。この店浜松ではベスト5に入る店のようだ。無理して上と生B―で大枚4500円強でした。
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世相というのかな〜?

2017/07/01 15:49
。。。ここのところ北朝鮮の動きが少し静かなようだが、ひと月前には日米韓に向けて弾道ミサイル発射させては活発な刺激を展開していました。特に今の三代目の労働党委員長金正恩になってから動きが激しくなってきたように感じます。
。。。日本国は敗戦後米国の基地化が進み、日本中に駐在の米軍基地があるだけにもし戦が勃発したら、まず日本国が最初の標的になると思う。
。。。小生の住んでいる藤沢には関連基地はないが、最近の市の広報に「弾道ミサイル落下時の行動について」と云う注意の記事が掲載されていた。だが隣の大和市には有名な厚木航空基地があり、その隣の座間市には米軍の陸上基地が自衛隊と同居して存在し、三浦半島の中央部横須賀には米軍の海軍基地がある。もし、不幸にして基地のない藤沢市の北東部に落下したら、相当なダメージを受けることが予測される。
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。。。。これが市の広報に掲載された「弾道ミサイル落下時の行動について」と云う注意記事である。

。。。高校同期の友人に日本海軍の海軍少将の子息がおり、その遺族として水公会のメンバーであり、その縁から海上自衛隊の体験航海に数回参加、さらに昨年秋には護衛艦(いずも)の体験乗艦をさせていただいたが、今は米国空母の燃料補給と万一の時には集団的自衛活動も行うように朝鮮半島近くの海域に待機航海中であるようだ。
。。。この藤沢市の広報も正に世相を反映したものと理解しているが、緊急情報が発令されたら、1、(屋外にいる場合は頑丈な建物や地下に避難しよう。)。2、(建物がない場合は地面に伏せて頭部を守ろう。)。3、(屋内にいる場合は窓から離れて移動しよう。)と注意事項にあるが、自分の居住地には頑丈な建物や地下はなく、注意事項として広報として伝達した気持ちは判るが、なんとなく戦前の竹ヤリ防衛と同じようなもので何の救いも感じられない。現在ではこれが精一杯の注意事項なのだろうが、内閣府から各自治体に指令されているとしたらあまりにも幼稚っぽいと思った。
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光陰矢のごとし。。今日で水無月も終わりか〜

2017/06/30 15:51
。。。。。今年もあっという間に今日で前半期も終了ですね。マラソンで言うと30キロ地点を過ぎたところかな〜?嫌35キロを過ぎたようなのが実感である。手帳に前半の出来事は記してあるがブログにも納めてておこうと思う。前半を振り返ってみると
。。。。。1月(睦月)。。。1月2日深夜、外戚の義姉(83歳)が急逝。びっくり仰天である。しかもで先の伊豆山中の湯ヶ島の会員制ホテルである。外地のため不審死になるので、当該地域の警察の検死があるためすぐには戻れない。しかも正月のため葬儀はすぐにはできない。
。。。。一週間後の1月9〜10日Z家の葬儀。。1月21日(土)高校同期会、マチネー会、代々木倶楽部
。。。1月22日(日)湘南、あ、うんの会(飲み会)。。家内の圧迫骨折の術後の病院通い同行。リハ&診断、5回。MRI診断1回。

。。。2月(如月)。。。病院同行、リハ&X線、5回。。2月15日(水)YLEC。OB会、準備打ち合わせ、大船ホテルメッツ。。。2月18日(土)。マチネー会(高校同期会)。代々木倶楽部。

。。。3月(弥生)。。。3月1日((水)。YLEC,OB会最終打ち合わせ、20回の節目になるが参加者激減の昨今であるため、思い切って解散することを決定。会員には後日案内を郵送。。。3月4日(土)。家内のデイ、サービス参加の打ち合わせと契約に調印。。。3月8日(水)。いちえ会、ゴルフコンペ。小田原、湯本CC。。。3月10日(金)。家内デイサービス体験訪問、同行。。。3月11日(土)。家内デイサービス本番スタート。。。3月17日(金)。広菱会(三菱)。。新宿、天狗。。。3月23日(木)。彼岸の墓参。横浜保土ヶ谷。。。。同行通院。リハ&診断3回

。。。4月(うつき)。。4月8日(土)。。お釈迦様の日。Z家百箇日法要、納骨式、逗子、妙光寺。。。4月15日(土)
。。。。マチネー会(同期会)、代々木倶楽部。。。4月26日(水)。いちえ会、ゴルフコンペ、富士ヘルスCC、間違って優勝、ハンデのご褒美です。。。4月29日(土)。紅白合唱歌合戦、墨田、トリフォニ―フォール、六男ZIG,ZAG(団長、三枝成彰さん)と神楽坂女声合唱団(団長,コシノジュンコさん)との対戦、いい勝負でした。司会は白組、辰美琢朗さん、紅組、竹下景子さん。

。。。5月(皐月)。。。街道歩き、掛川宿〜袋井宿〜見附宿〜浜松天竜、5月4,5,6の2日半での旅。
。。。。5月14日〜15日、同期会有志旅行会、千石原、箱根甲子園H。。5月24日(水)。九心会、横浜ランドマーク、ロイヤル、パークホテル、四季亭にて、WOWOW、元会長をお招きして。。。5月31(水)。米寿、半寿、傘寿のお祝い会、東新宿,山野愛子邸に手。。病院同行、リハ、1回、整形診察1回

。。。6月(水無月)。。6月14日(水)。いちえ会、ゴルフコンペ、足柄森林CC、右足甲美の魚の目激痛のため12ホールで棄権、初めての体験、当日の幹事に徹する。。6月17日(土)。マチネー会(同期会)代々木倶楽部、10月に合同の(傘寿を祝う会)をやる打ち合わせを兼ねる。。6月24日(土)。広菱会、柳家権太楼一門会、落語鑑賞、水天宮、日本橋劇場、飲み会は錦糸町の(土風炉)今回は連れ合い同行。。6月28日(水)家内、ペインクリニック、ブロック注射の実施日、同行通院。。6月29日(木)4月に藤沢さいか屋に出店したニトリに行き始めての買い物、6F全部、7F半分のスペース、かなり気合が入っているようだ。

。。さて明日から文月(7月)。後半は光陰矢のごとしにならないようにじっくり活動を緻密に進めたいものであ〜る。
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柳家権太楼一門会。。落語鑑賞

2017/06/26 17:58
。。。。。一昨日の24日は年一回ある柳家権太楼一門会の(あきない落語会)に行ってきました。第19回の催ですが、記憶では第16回の2013年からこの一門会に毎年お邪魔しています。
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。。。。。。今回の案内状です。。。。。
今回も毎年3〜4回程度顔を合わせる仲間の会(半世紀前の会社の仲間の会、またの名を広菱会)のメンバーたちとの落語観賞会です。今回は圧迫骨折の術後一年近く経過し、体調もかなり良くなり、長時間の鑑賞にも耐えられそうと判断して(連れ合い)を参加させタ。半世紀前のことも覚えているのでこの会に参加するのを楽しみにしていただけに、同行させて良かったと思った。
。。。。。この一門会に参加できたきっかけは、zurichがS35〜46年まで東京の電気代理店、H無線の三菱専売部にいた頃三菱電機のMさんと電気店の外回り、また丸の内での会議などでお世話になったが、その妹さんの息子さんが権太楼師匠の一番弟子で、H18年真打ちに昇進「三代目柳家甚語楼)を襲名、H25年年末のひびや落語会(二人会)のライブラリーからPC上でのお付き合いとなり、以来一門会に参加、無欠席の客となりました。
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。。。。。甚語楼師匠H4、W大の法卒で何とZURICHの32年後輩であり、S37年卒のバレー部のマネージャーのTU氏(スリーダイヤの会の飲み会幹事)の30年後輩でした。縁は異なもの味なものですね!

。。。さて本題の一門会は12時開演で、七人で七題であり、しっかりと4時間の好演でした。トリは勿論権太楼大師匠であり、演目はご存知"芝浜"でした。いつ聴いてもしんみりとする人情物であり、師匠の語りには引き込まれていきそうで、涙が出そうになりました。昔からの超有名な話だけに聞き惚れました。
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。。。。おとぼけ顔の権太楼師匠。。オン年70の古希。ワイより10歳若い!違いは2013年に紫綬褒章を受章、人間国宝級の芸である。ノンポリの小生とは大違い!何故か自分の孫と同じ明治学院大学卒の大先輩である。孫は今二年生です。白金台通いは来年からです。来年あたりには大先輩の芸を見せてやろうと思っている。これも縁は異なものです。
。。。。あっという間の4時間でした。いよいよ今度は我々が主役の一杯会である。錦糸町まで戻り、江東楽天地のビルの三階にある居酒屋、(土風炉)に出向く。
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。。。。。。。。。日本橋劇場の場所です。日本橋公会堂の3階が劇場です。
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。。。。お開きの後に劇場前で記念写真、二人いる女性の右の女性がこの会を発足させる気にさせた故Y賀さんの奥様、しっかりとカバーしてくれています.故人先輩よ安心してください。
。。。。唯小生の連れ合いがストック付きの足なので上下のエレベーターがある場所から地下鉄に乗るので皆と別れ現地で落ち合うようにしたが、錦糸町の地下のエレベーター入口の傍で仲間は待っていてくれた。"ありがたや"です。16時半から19時まで和気あいあいと飲み、喰らいながら楽しませてくれました。最後に連れ合いが"次会も参加させてください"とのたまう。全員OKです。"ありがとうございます"と夫が御礼。”ではこれにて今ブログの終了なり。”





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歴史の料亭「田中家」

2017/06/08 12:45
。。。。昨年5月に機会があって、神奈川宿の料亭「田中家」で会食をすることが出来た。前回もブログに投稿したが、その時のブログのブロバイダーが本年1月31日でサービスが終了となり、現在のブログのbiglobeにデータ―を移せなかったので当時を思い出して書き直してみました。この料亭江戸時代から続く横浜で唯一の料亭で今も(ハマの料亭の灯り)を守り続けている。
。。創業は1863(文永3)年と云うから今年で154年となる。広重の「東海道五十三次」に描かれている腰かけ茶屋(さくらや)が前身であるようです。のちに旅籠料理屋「田中家」になったと文献に記されていました。宿場も最盛期には1300件ほどの料理屋があったようで、ものすごく賑わっていたことが想像できる。幕末横浜港の開港により諸外国の領事館が置かれ特に田中家の近くにある本覚寺には米国領事館が置かれ、ハリス領事をはじめとする多くの外国人が、この田中家を迎賓館として接待に利用したことが繁盛の始まりであるようだ。その頃田中家には竜馬亡き後、竜馬の妻お竜さんが仲居として働き、英語が話せるので外国人客に好まれたようです。
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。。安藤広重が描いた神奈川宿。一番上の赤い着物の女性が立っているところが田中家の前身(さくらや)
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。。。。。。現在の田中家の門前の様子。
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竜馬の妻おりょうさん。なかなかの美人なり、おまけに英語が話せるので外人に人気があったのはよくわかる。

。。。。会食会で仲間8人が11時半に集合。早速に部屋に上がり食事をご馳走になる。
。。勝海舟、西郷隆盛による会談で、江戸無血開城となり、江戸時代は終了となり、明治時代には時の初代総理、伊藤博文、高杉晋作、また夏目漱石、菊池寛等文壇の名士たちも利用したようだ。この日の我々庶民も横浜を中心に神奈川県全域を家電の営業で守備していたお陰でこの店の存在も知り、また今回のような体験を出来る訳である。
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。。。。この急な階段の頂上の右が田中家である。明治の頃は階段下はまだ海であったようだ。
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。。。。。階段上から見た風景なり。下は海であった。。此処から500メートル先が今の横浜駅
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。。。。。。。会食会の一風景。。。
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。。。。。。此処の店の五代目女将、平塚あけみさんが料亭の歴史物語を語ってくれた。。
。。女将さんはこの店の由来、また料亭を続ける決心をした想いなどを熱心に語ってくれたが、本来は夜席では各部屋を回り、料亭の由来などを語っているようだが、今回は昼席にも現れ、我々に熱ポック語ってくれた。
ハマッ子の女将なので、語りはかなり荒っぽいが、ポンポンと威勢が良いので聞いていても気持ちがよい。曰く"これだけ横浜の歴史を料亭と云う見地から世にPRしても今の知事の黒岩も市長の林も知らんぷりんである"とかなり憤慨していたことが脳裏に残っている。
。。田中家創業の晝間家の子孫として生まれてきたわけだが,キップの良さは何となくお竜さんに似てるような錯覚を起こした。店の後継者の兄が事故で急逝したため、結果自分が継ぐことになったが、今では”この店を可愛がっててくれた歴史上の人達とか、現在を理解してくれる人達に守られているような気がする。"と語っていた。
。。PRの記事によると、地元の小中高大生を招いて料亭体験や懐石料理の体験で「食育」の場として展開しているようで頭が下がります。
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。。。。。。。。。。。女将さんを囲んでの記念写真です。
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米寿、半寿、傘寿

2017/06/04 12:08
。。。。。。。。5月31日(水)。。。。。。。

。。。。小生の連れ合いの姉妹の長女が今年8月で満年齢の米寿(88)を迎える。そして妹「4女、小生の連れ合い」が昨年の12月で満年齢の傘寿(80)を迎えたが、自分も来春3月で満年齢の傘寿(80)であるが、今年で数えの傘寿でもあるので3人まとめてお祝い事を娘と孫娘、孫息子の3人でやってくれることになった。義姉は生まれた月日が昭和4年であるが(終戦の日)に誕生、妹の小生の家内は逆に開戦の日に誕生、不思議なことだがいつも口喧嘩をやるが最後には仲良く収まる。開戦して終戦するからまことに不思議である。
。。お祝い事は数えでやるのが鉄則ではないが、老齢になると満でお祝いを予定すると、意に反してその方が満年齢前に旅立ってしまうと云うハプニングがありうるので前倒しの数えでやるのがベターである。

。。。。1週間ほど前に同じ生年月日の誕生の友人とPCによる傘寿問答ををやったばかりだが、当家も夫婦そろって半寿、傘寿であるので義姉も含めて前倒しのお祝いである。この日は東新宿にある山野愛子邸にある(がんこ)と云う店でお祝いをしてくれることになった。店を指定したのも実は傘寿の自分なので勝手な傘寿である。
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。。。。これが東新宿にある山野愛子邸である。詳しいことはわからないが、世界的にも有名だった美容家の山野愛子さんが半生を過ごした屋敷である。中に入ると全く静寂な雰囲気である。下界の騒音はほとんど聞こえない。
。。。(がんこ)と云う店、銀座の一丁目と四丁目の店は行ったことはあるが、新宿は初めてである。新宿界隈は若い時(昭和35年から46年ころ)は自分の庭みたいな感覚でほっつき歩いただけに懐かしい。特に今の歌舞伎町界隈には足を運ぶのをいまいち躊躇するが、当時もおなじ雰囲気があったにせよコマ劇場、ミラノ座等を中心に非常に明るく賑やかな雰囲気だけが記憶に残っている。
。。。。義姉とは新宿駅で11時半待ち合わせなので藤沢を10:11の快速で新宿に向かう。ロマンスカーでも新宿まで60分、快速でも64分無駄な金(特急券)を使う必要はない。この日の場所は大久保一丁目であるが、ビルが林立して想像以上の変貌であるのに驚きである。全く方向感覚がくるってしまう。タクシー2台に分乗して何とか目的の場所に到着。しかしこの屋敷は全く違う静寂な中にたたずんでいる。

。。。。。以下はお祝い席の写真数葉
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。。。。。。。。。屋敷入口にて、米寿と孫娘、孫息子。。。。。
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。。。。。。今日はお祝い事での会食なのでと予約の時話してあるので黄色のお帽子と(ちゃんちゃんこ)を用意してくれた。
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。。。。。。。。今日の料理はお祝い用の懐石料理である。。。。。。。。
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。。。。。。。上は半寿と娘。。半寿とは半の字を分解すると八、十、一となるからです。下は半寿と孫たち。

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。。。。。全員集合。。。おめでとうございました。。。店は(おめで鯛)をプレゼントしてくれた。。気がきく〜
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。。。。。帰りは仲良しの道祖神がお見送り。”また、来てね!"。。なお数えの傘寿も黄色の衣装を着せてもらったが自分のカメラのカードにはないので省略。。。。
今日は全員お疲れさまでした。3人まとめてのお祝い事は先ず今後はないと思います。


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横浜ランドマーク、ロイヤルパークホテル、四季亭にて

2017/06/01 18:30
。。。2017年5月24日(水)。。。。。晴れ

。。。一年に2回春と秋に平成7年から14年までにリタイアした会社の元役員9人が集まり,友好と生存確認をする会として、九心会と云う名前で集まり、飲みながら、食べながら戯言(たわごと)戯事(ざれごと)を語り合う会である。勿論戯言ばかりでなく、前向きな動議をたまにはしているつもりである。?今日は訳あって、此処ランドマークのホテルの料亭で開催をすることになった。
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。。。。。。ランドマーク、横浜ロイヤルパークホテル、ここの
68階が日本料理の店、「四季亭」である。
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。。。下の写真はこの日の案内状です。
会のメンバーはリタイアしてから、現在は、一人目は[W大のオープンカレッジで昭和史などを学び、さらに自分に磨きをかけ"自分史"に挑戦中、1年に1回は晴れの舞台でカラオケの字幕なしの音声で歌を披露し素晴らしき衣装で夫婦そろって出演、万雷の拍手を受けている方」。。二人目は「絵画に目覚め水彩画に没頭している画伯?」。。三人目は「介護のことならなんでもござれと今だ週3回お手伝いをしているお方、我々も面倒見てください」。。四人目は「囲碁に徹し、老齢段持ちになろうと努力している人」。。五人目は「街道歩き馬鹿で、今年中には江戸5街道の完歩が実現しそうな狂人」。。六人目は「稲穂の名誉にかけてもハワイアンコンサートでグランドプリンスH新高輪の(飛天の間)を満席にする化け物プロデューサー(ハーパーちゃん)」。。七人目は「線上のカメラマンとして、写真展で数回入選、入賞。今では大賞も撮れるほど腕を上げた方」。。八人目は「このグループで一番小柄で大酒豪、60にしての手習いでウクレレを始め、よくばって絵画の方にも手を出した人」。。。。一人足りないが、平成25年4月にに早逝。九人目のSKさん、この方、現横須賀市長Y氏を30代で当選させた選挙事務局の親分、小泉純一郎元首相と同じ県立高校のたしか2年先輩だった人でリタイアして12年、発症して2年で旅立ちをした。極めて残念である。現役の頃はS三兄弟の三男坊で弁が立った男でした。。。。。以上久しぶりに自己&他人紹介を勝手気ままにやらせていただきました。

この日は平成15年に会を発足させてから14年目26回目の開催である。特に節目ではないが昔皆がお世話になった超大物様をお招きしようと総意がまとまったので、一カ月前よりコンタクトを取り本日に決定をさせていただいた。案内状にはメンバーは11時半集合。ゲストさんには11時45分にご案内、会食会スタートは12時からとした。zurichは出迎い担当でホテル1階ロビーで待機したが、68階会場の線上カメラマンからテレありご本人到着の連絡あり、どうも裏門入学であったようだ。邪推かな?。
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。。会場68階辺りから見た(みなとみらい)の風景。今日は快晴である。。インターコンチネンタルホテルが馬鹿に小さく見える。このホテルもよく合同の株主総会に使用したことが思い出される
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。。。。。。日本丸メモリアルパーク沿いの風景を68階より写す。。。
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。。。。。。。いよいよ宴の始まりである。。。

今日のゲストさんはzurichの高校同期のフジMHDとフジテレビのchairmanのH氏が一番尊敬している日本を代表する企業の元のvice-presidentであり、のちに倒産寸前の民間の衛星放送の会社を立て直したトップの方です。
ご本人は横浜を離れて35年と云ってますが。この会のメンバーのうち4〜5人は毎年のイベントの会場で顔を合わせているので、久しぶりの感じはないが形を作った会食会となるとやはりやや緊張を背負ってのスタートであった。近況報告をメンバーひとり、ひとりが短時間でやったが、冒頭にzurichがメンバーを勝手に紹介した通りの話で終始したようになりました。?
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。。。。。。。。配膳される前にメンバーが近況報告の場面です。。
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。。。。。。。。。こうゆう集合写真を撮るのもお互いに久しぶりである。。
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。。。。。せっかくの会食会の環境なのでゲストさんと記念に二人一緒の写真を撮ったが、このブログではzurichのだけに留めます。

お招きのゲストさんは小生今年で二回目になる紅白合唱合戦(司会は紅組、竹下景子さん。白組、辰美琢朗さん)を錦糸町にあるトリフォ二―ホールでやることが判り、先月(4.29)に見に出かけた。ゲストさんは現在六本木男声合唱団ZIG.ZAGに所属して、バス担当で、団長は作曲家&指揮者でも著名な三枝成彰さん。その日の対戦相手は神楽坂女声合唱団で団長は世界で活躍のコシノ.ジュンコさん。両チーム激戦の合唱合戦でした。このコンサート紅組7チーム。白組7チームの14チームでの対抗戦である。六男ZIG.ZAGでゲストさんは最前列で歌唄中だったようですがどうも自分の目違いで発見できず失礼をしました。(それでもオペラグラス持参で行ったのに残念でした)
。。余談を加えましたが今日のゲストさんは経営力とは別にいろいろの分野で活躍をなさっています。ゲストさんの話の中で"自分は今は5年区切りで人生の歩みを考えて前に進もうと思っている"と話され非常に印象に残り、個人的にも高齢の一人として”さもありなん"と云う気になりかけました。
。。お忙しい中我々の会にご列席をいただき九心会一同大変感激をしました。ゲスト様にはこれからもますますのご活躍とご健勝をご祈念いたします。
。。。。。。以下は思い出の{みなとみらい}の風景です。

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。。。。。。。。。。。。。。歴史が浸み込んでいる赤レンガ倉庫。。
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。。。。。。。。よこはまコスモワールド、大観覧車。。。。
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。。。。。。。横浜港のもう一つのランドマーク、ベイブリッジを望む。。






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横浜大空襲の日(Bombing,of,Yokohama)

2017/05/29 16:32
今日は72年前の横浜大空襲の日である。戦争の惨禍の思い出もだんだん薄れがちなのが最近の流れのようだが、直近では北朝鮮のミサイル発射に関心が高く過去のことより今の事態に直面してしまうのが現実だろう。
。。。しかし改めて72年前を思い出してみることにした。自分は当時家族と横浜の戸部にいた。戸部国民学校の2年生になったばかりである。実はこの大空襲の1カ月前に祖父、母の計らいで、我が家の養女になる叔母の親せきが藤沢の鵠沼にあり、そこへ自分だけ俗に言う縁故疎開をさせてくれた。当時横浜は3年生以上は強制疎開であり、皆と行きたい思いがあっても出来なかった。と云う訳で直接横浜大空襲の体験はないわけである。
。。。しかし疎開前は毎日、毎晩のように"空襲警報発令"の声を聞き親と一緒に防空壕に急いで避難した記憶は今でも鮮明に覚えている。住まいは今の掃部山公園の東側に位置する戸部通りの坂を下ったところにいた。ご存じ横浜開港の立役者井伊掃部頭直弼の銅像があるところです。自宅の後ろの畑に手作りの防空壕があるが今考えると爆弾が落ちたら一発でおじゃんである。実は掃部山の土手に三か所横穴式の防空壕がつくられ、中は三か所に行けるように通路も作られていた。
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。。全体を映したつもりだったが正門の学校名だけになってしまった。これが戦時下の戸部国民学校である。
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。。。。戸部3−50、この位置の左の美容院のビルのところが間違いなく住んでいた場所である。
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。。。。。井伊掃部守直弼の銅像である。戦時中は国の資源不足で軍に放出され、記憶では銅像はなかった。今の銅像は戦後復元されたものである。
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。。。。井伊直弼翁もランドマークを眺められようとは正にサプライズである。。
。。。”空襲警報発令”と同時に裏山の防空壕に逃げ込むのである。日中の空襲の場合は祖父が私のお守り役である。母と叔母二人の三人は一家を支える為に、母は大倉山の衣類工場へ、叔母の姉は伊勢佐木町の松屋百貨店へ、妹は不二家のレストランに働きに出ていたので、日中は学校か家にいるときは祖父がお守り役と云うわけだ。
。。。焼夷弾による空襲は何度も経験しているが、夜の空襲の場合は上空から落とされた焼夷弾により家前の坂から火の川が流れてくるような光景を何度も見ているので、夜間の緊急避難が一番怖かったのを覚えている。でも大空襲の直接の経験はないので、後から親たちから聞いたことしか話せないのである。
。。5月29日の大空襲で幸いにも祖父他4人は怪我もなく生存できたが、戸部の町は全滅で、家もなく伊勢山皇大神宮の方に避難したようであるが、道中黒焦げの死体を荼毘にふしている光景をあちこちで見たようでやはり恐ろしさを実感したようです。しかし自分が大人になりだしたころにはあまり空襲のことは話をしてくれなくなったが、いまさら喋るのが嫌になってきたようだ。
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。。。。。。。。避難したであろうと思う伊勢山皇大神宮の本殿。。
母方の親が藤沢でそれなりの生活をしていたので、我がzurich一家は祖母の計らいで片瀬東海岸にある某医者の別荘の離れに住むことが出来た。確か横浜の家は完全全滅なので家から持ち出したものは、祖母と父のお位牌くらいだったと思う。正に着のみ着のままである。この片瀬の家で8月15日の終戦を迎えたのである。でも6月初めから終戦までの間にも、この静かな片瀬にも時折米軍戦闘機による機銃掃射に2回くらい出くわした
事がある。片瀬小学校2年生の時である。下校の途中で”ダッ,ダッ,ダッ”と嫌な音に気がつき友達のお屋敷の庭に飛び込んだ思い出がある。(友達のお屋敷は伊勢佐木町で羊カンで有名な和菓子家(みのや)であった)確か吉田さんと云う家だと記憶している。長々と書きましたが何故か自分は強運で空襲の難を逃れ、社会人になってからのタクシーでの転倒事故でも全身打撲だけで助かり、展示会の撤収作業中に左手中指の第一関節からの切断も半年で元の指に復元、また平成23年東北大震災の年に発症した肺癌も術後も快調に推移して5年生存率100%クリアで、現在、齢数えの八十路の今がある。
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旧吉田邸見学

2017/05/28 16:53
。。。。。5月17日(水)。。晴れ時々曇り。。。。

。。。。前から約束していた大磯の旧吉田邸に出かける。孫息子が大学の法学部に入り今年で2年生だが、日本国憲法の公布に携わった、昭和の偉人の邸宅であり,その人の生きざまを少しでも知ることが出来ると思い、孫とその母親【小生の娘】、家内と4人を引き連れて湘南大磯に出かけた。孫も今日は授業がない日なので快く車で出かけられた。免許は今春捕りたてだが、2回ほど同乗したことがあるので、運転もまずまずの腕に感じているので安心して全員同乗。湘南の海岸の134号線で、平塚の箱根駅伝第3中継所から国道1号に入り吉田邸に11時半頃到着。平成27年6月に東海道を歩き始めた頃再建中の吉田邸に寄ってみたが、本邸はサンルームは出来たようだが、屋敷全体はまだ半分も出来ていなかったと記憶している。
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。。。平成27年6月24日に再建中の吉田邸、兜門を撮影。この門は焼失しなかったが、老朽化が激しく屋根のかやぶきなどの手直しをやっていた。
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。。。。。。。現在の修復された兜門。

今日は月半ばの水曜に関わらず戦時中に生まれたであろうと推測される年代(昭和元年〜17年ころ)の方々(男、女)が多く、団体で来ていた。バスで来ているグループも見かけた。勿論戦後生まれの方も同じように多くみられた。
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。。。。。。復元された吉田邸全景。。。。。
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。。。。。庭園で休息中の見学者たち。。。。。
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。。。。。。。。。小生の愚妻です。脊柱管狭窄症も術後9カ月たつが自力歩行はまず大丈夫です。

吉田茂邸で思い出したのは日本国新憲法が昭和21年11月3日に公布され、翌年22年5月3日に憲法が発効され、その日かどうか定かでないが、皇居前でパレードがあり、厳しかった祖父に連れられ皇居前に行った記憶がある。祖父は明治30年ころから昭和の初めまで30年ほど横浜の巡査をしており山下町の外人の取り締まりなどをやっていたと子ども心に聞いたことがある。お国のための人間である。小生当時藤沢の片瀬小の4年生であったが、祖父の気持ちはまだガキである小生に世の中の動きを勉強させるような気概があったと思っている。父親が出てこないのは昭和16年に早逝したからである。
。。現在自分が孫息子を吉田邸を見学させようと云う思いも、どうも自分の祖父が71歳の頃、憲法発布の日に皇居前に連れて行ってくれたのも,主旨は違うが発想は同じである。やはりDNAはこういうことだろうと思った。
孫息子はM学院大の法学部2年であり、吉田茂翁と日本国憲法の関連について少しは判らせようと云う思いであった。知って損はないと思うし、湘南地区に住んでいたお陰である。焼失前の吉田邸は平成10年ころはまだ11歳であったのでまだ連れて行く思いにはなっていなかった。残念なのは外孫なのである。
。。。もう一つ思い出がある。昭和62年ころである。その頃大坂の今のP社の前身M電器産業の地区販社は神奈川に3社あり、自分は湘南地区の会社の一応役員であったので県下三社の合同株主総会をこの吉田邸で実施させてもらったことがある。なぜ吉田邸で?と思う方が多いと思うが、県下三社とも東京のオーナー、大阪のM社が大株主であり、毎年持ち回りで会場を決めていた慣習があり、株主も満足されることを配慮しての場所の設定をしていたのである。この年は弊社が当番であったので、小生の案もあり、この場所を決めたと云う流れになったのである。
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。。。。。此処は吉田邸の食堂で宰相は毎日西方に見える富士山を眺めながら食事をした場所である。先の窓から正面に富士山を見られる。また手前の背後には蒋介石から送られた金屏風があった。我々の総会の時には勿論あったが、平成21年3月26日の火災で焼失してしまったのである。26日は自分の誕生日の前日であり、なんか因縁を感じててしまう。我々会社幹部は恥じらいながらこのテーブルを囲んで株主総会に臨んだのである。昭和62年6月の吉日のことである。
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。。。。上は吉田茂翁が愛したウナギ屋。国よし。一番高いのは確か一人前15000円なり。自分も食したことあり、ただ出てくるまでに最低一時間は要する。
。。。下は翁が同じく愛したはんぺんの井上蒲鉾店である。確かに此処のは美味い。同じ井上でも鎌倉の味より数段美味いと思う。
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。。。。。。。吉田邸の丘の上にある吉田茂の銅像。はるかアメリカの日米通商条約調印のサンフランシスコの方を見ている。右下のおのこが我の孫なり。

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街道歩き。。。東海道。。(21回。21日目)

2017/05/18 16:47
。。。。。。5月6日【土】。。。。。。。晴れ時々曇り。。。。

。。。。。。。。。見附宿〜天竜〜浜松宿。。。。。。。。

。。。。この日は今回最後の歩きとなる。3日に家にいる時、夕方の天気予報では6日は本州全体が西から天候悪化、突風、大雨、落雷などの予測で大荒れになるように報じられていた。したがって自分も今日が天候安定なら浜松宿まで行くつもりではいるが、実測では16,4キロあり、途中で天候急変も考えられるので、上空の雲の動きを携帯の予報を確認しながら、行動を決めるつもりでいる。

。。。今日の出発は早めにしたいので、6時半に簡単な朝食を済ませ7時半にホテルを出発。旧東海道を歩きだす。パークホテルを右に見て坂を下り、今度は坂を登る。
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。。。。昨夜宿泊したIWATAステーションホテル、小さいホテルだが過ごしやすかった。。
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。。。坂を登ると歴史が古そうな酒店があった。高校生の自転車登校の姿あり。。
黙々と歩くが後ろから来た若い旅人にあっという間に追い越される。県道と合流するところに(くろん坊様)と云う小さな祠があり写真に収める。説明版を読むとインド人旅僧が殺されて金品を奪われ、土地の人が(くろん坊様)手厚く葬ったとある。
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。。。。。。。小さな(くろん坊様)の祠。地元の人が大事に祀つているのがよくわかる。。
この辺りは工場が多い。代表的なところは高砂香料の工場だ。宮の一色一里塚を過ぎると左に屋根つきの常夜灯が現れた。ちょうど一時間なので此処で一休みとする。
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。。。。。。。。。この常夜灯は龍の彫り物があり竜灯と呼ばれている。
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。。。。。これが竜の彫り物である。。。
。。。。この先の松向寺を過ぎ更に進むと県道と別れ浜松信金を右に見て旧道を進む。静かな住宅街だ。左には明治天皇御座所碑があり、長森立場跡に到着。此処は(長森こうやく)が有名で旅人は必ず(こうやく)を購入して疲れをとつたようだ。この場所から右折していよいよ天竜川橋に向かう。県道261号線の青い鉄橋が天竜川橋だが歩道が両サイドに無く、車は大型車が多くとても歩行で渡る気がしない。右にそれて国道1号線に架かっている橋が新天竜川橋であり、車専用と歩行者、自転車専用の幅広い橋があり安心して渡る事が出来る。
然し右にある下りの車専用の橋は4車線で大、小の車がビュン、ビュンと飛ばしておりなんとも恐ろしさを感じる。
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。。青い鉄橋、車専用の261号線の天竜川橋である。全長1163m、幅3,6m。
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。。。歩行者専用の右側が国道1号線の新天竜川橋。車は飛ばして橋を横断中。
橋を渡り終える頃、後ろから自転車3台で外人が追いついてきて小生に声をかけてきた。"ワタシタチ,これからハママッニイキマス,ミチヲオシエテクダサイ””この下の261号線を指さし浜松までまっすぐに行くのだよ”と教える。橋を渡り下に降りるとポケットパークがあり一休みできる。彼らと片言英語【小生)と、片言日本語(外人)でやり取りをする。
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。。。。一枚街道歩きの証拠写真を撮ってもらう。。。
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。。。。。。。。彼たち二人と記念写真を撮る。。。。。。。
。。小生無理して喋る。"are,you,come,from?"..."India"と応答、ついでに‟エイゴ、ジヨウズデスネ"とおほめの言葉。そして"why,are,you,in,japan?"と聞くと"ワタシタチ、ヤマハノ、カイシャ二、ケンシュウデキテイマス”と答えてくれ、”Oh,I'm,understand"と答えました。片言英語と片言日本語のしばしのやり取りだが何となく恥の欠き捨ての面白いひと時でした。彼らは私を入れてスマホで自撮りである。5〜6枚撮っていたと思う。自分のはデジコンなので自撮りは難しい。彼らと別れ、橋から左に下り旧東海道に戻る。すぐに六所神社となり拝礼。
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。。。。。天竜側から見た青い鉄橋。天竜川橋。足下の川も往時は人足による川越でなく舟であったようだ。それだけ深い川である。
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。。。六所神社全景。道にある説明版によると此処が(江戸より60里)(京より60里)と書いてあり距離ではこの辺りが「どまん中」になるようだ。”どまん中”なので(中の町)...(中野町)の名称の由来があるようだ。
神社に拝礼後中野町の狭い通りを歩く。今までの道と異なり新旧が同居している雰囲気のある道だ。持ち帰り専門の餃子や【かめや】とか、ものすごく格式を感じるウナギ屋(中川)と云う店がドンと構えている。道の左に石垣内科と云う大きい病院があり道路脇の案内版を読むと、なんと嵐山光三郎さんがこの家の息子として誕生し、大人になってから、独特な文筆家として名をはせ、ここの生まれと始めて知りました。
。。高札場跡の前にある松林寺には3代将軍家光の命で建立された薬師堂や石灯篭がある。その先には天竜川の治水事業で全財産を投入して世に尽くした(金原名善)の生家がある。無料で一般公開しているが、長居をしそうなので玄関から屋内を遠望する程度に留めた。
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。。。。家光公の命で建立された松林寺の薬師堂。。。。。
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。。。。浜松の偉人。金原明善生家.築200年の建物也。。
薬師町に入ると松並木が残っておりかすかながら往時を偲ばせる。
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。。。。。。。。。かすかに残る松並木の残存である。。。かすか過ぎる。
天竜川駅入り口の交差点に出て、今回は天候がこれから変わるようなので、浜松宿まで足を延ばさず、交差点を曲がり駅へと進む。11:20に駅に到着。11:29発の下りに乗り浜松に11:40到着。
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。。。。天竜川駅舎はただ今改築、新築中であり工事現場と同じ状況である。来年は素晴らしい駅になりそうだ。
。。。。。。本日の歩行記録。。歩行数..15819歩。。歩行時間..2、32h。。距離..11,07キロ。。正味所要時間..3,50h。。。。。二日間合計。。歩行数..57185歩。。距離..35,89キロ。。(歩行時間、正味所要時間は省く)
。。。。。。。。。良く歩いたものである。
浜松駅周辺を軽く散策。土曜日なので人出は多い。(おんな城主、直虎)のお陰で此処は浜松も大変な賑わいを見せてるようだ。駅そばのうなぎの名店に行くと何と30人ほど並んでいるのですぐにあきらめ、ワンランク下げてウナギ専門店(丸浜)に入れたので、久しぶりに美味いうな重にありつけた。ほぼ満席だがラッキーなことに一席だけ空いていた。13:10発のこだまに乗れ小田原経由の家路に就く。新幹線もまだ午後の早い時間なので左側の2列席の窓側に座れた。タイミングよく動くとゴールデンウイークでも楽できるもんである。おそらく16時以降は鈍行(こだま)でも満杯が予想されるはずである。


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街道歩き。。。。東海道。(20回、20日目)

2017/05/12 21:08
。。。。。。。平成29年5月5日(金)。。。。。。。。。晴れ

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。掛川宿〜袋井宿〜見付宿。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。。ゴールデンウイークも今日を含めて残り3日である。今日は長道中になると思うが、もう1泊するので多少遅くなっても仕方ないと納得している。
。。。。。。。。ホテル(くれたけイン掛川)を9時に出発。旧東海道の道に出て、先ずは十九首塚に向かう。道は右の斜め方向に進み、成田山、東光寺入り口に出たが、近くに案内板があるはずだが、よくわからず、まっすぐに進み逆川橋を渡るが、どうもかなり先に来てしまったようだ。カムバックして公園に入り地元の方(ボランティアの説明員だと思う)がいたので路を尋ねる。川沿いに戻りようやくにして十九首塚跡公園にたどり着く。何ともややこしい道である。
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旧東海道を歩き始めると最初に目に入ったのがこの清水銀行である。和風建築でいろいろとデザインされており看板がなければ銀行とは思えない。
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。。。。。。。。。。成田山、東光寺入り口の山門、山門を素直に入っていけば十九首塚に行けたはずであった。。

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。。。。。。。。。。。。。。。。此処が十九首塚跡公園である。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
此処が京の朝廷に対する新皇と称して新政権を打ち立てたが朝廷軍により鎮圧された、いわゆる(将門の乱)であり、この地で平将門以下19人が殺され、首実験が行われ此処に埋葬されたと云うことだが、今話題の(おんな城主直虎)の許嫁の直親が今川家臣に殺害された場所がここ十九首と云われており、どちらが歴史としての主役か判断が難しい。やはり将門の十九首が優先されるのが自分は常道だと思う。NHK攻撃の感想で関係者の方に陳謝します。!!地元はこの地が話題を呼んでくれるだけに(おんな城主)に傾注している気概はよく理解できる。この場所を見学中に先程のボランティアのおじさんが来て、さらにもろもろの説明をしたいようだが、今日は自分は見附宿まで行くので、まだ序の口なのでと丁重に都合を語り、その場を離れることが出来た。30分ほど長居をしたので先を急ぐ。
。。。。逆川橋を渡り、1号国道と合流、大池橋を渡り天竜浜名湖鉄道の無人駅(西掛川駅)方向に進み、右折して民家が左右にある狭い旧道を進む。右上部に高い煙突が見えるところに来た。(曽我鶴酒造)と云う酒の醸造所である。
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。。。。。。。。。。。ガードレールの一番左に見える小屋が西掛川駅舎である。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。高い煙突の下が曽我鶴酒造の醸造所である。かなり古い歴史がありそうである。
。。。。前に進み澤田ICの下を潜り、此処で方向音痴に陥る。掛川バイパスと一般道が複雑にイり込み、右が袋井方向と自己判断したが、どうも方向が違うようだ。道沿いの田畑で作業中の老夫婦に出会い、道を聞くとやはり逆戻りだ。ようやくにして袋井方向へと進むことが出来旧東海道に出た。ホッとしたひと時である.善光寺橋を渡り松並木の道の左の家で布団干しをしている地元の方がいたので路を再確認すると間違いなく旧東海道であった。この辺りは間の宿の原川と云う場所で風情ある松並木が残る道だ。(椎の木茶屋)が右にあり、昼食に来る観光客の車が駐車場に沢山あった。芋汁の店なので入りたいが時間との競争もあり断念した。
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。。。。。。。。。。。。。風情ある松並木の街道である。。。。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。現代版の道標である。大分袋井に近づいてきた証拠である。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。1国の下の地下道を潜り花茣蓙公園に出たので此処で一息する。此処までの歩行記録。。歩行数..14788歩。。距離...8,95キロ。。。歩行時間..2,8H。。正味所要時間..3,5H
12時半から20分ほどパンを包ばる軽昼食である。
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。。。。。。。。。。。。。いよいよ袋井市の交通標識が出てきた。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。小さな花茣蓙公園である。日陰もありちょうど小休憩にはもってこいである。。。。。。。
。。。。。。。。。。その昔にはここらで絵柄を編んだ花茣蓙売りが名物だったようだ。。。。。。。。。。。。。。。
松並木がある長い街道を進む。右側は大和ハウス工業の工場である。富士浅間宮の赤い鳥居が見えてきた。今度は右は日本紙業の袋井工場である。左にある袋井東小学校校門の左の門柱には【どまんなか小学校】の看板がぶら下がっている。袋井宿は東海道五十三次の宿場数のちょうど真ん中の27宿となるからだ。
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。。。。。。。。袋井のどまんん中小学校の校門。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。。。。富士浅間宮の赤い鳥居。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。大きな秋葉常夜灯を右に見て、今度は隷書東海道の(袋井)の看板が出てきた。いよいよ袋井宿が近づいたことになる。七ッ森神社で一休み。いよいよ袋井の街に入りだし、国道と合流するところが新屋の交差点であり、まっすぐに進むと袋井市役所の先で【どまん中茶屋】に突き当たる。係の方が手招きをしたので中へ入る。お茶を出してくれて、今日ここを通過する方に奉書に記帳をしてもらっているようで、小生にも要請があり、書きながら見ると今日は今現在で上り、下りで6名ほどが通過しており、下りで横浜市の人が2名いたと記憶している。帰りがけに東海道五十三次ど真ん中袋井宿400周年記念に巻物の今昔マップをプレゼントしてくれた。旅人にとっては素晴らしいプレゼントだ。!!ありがとうございます。
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。。。。。。。。。。。。。。。。。。少し疲れてきた我が旅人である。どまん中茶屋にて。。。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。広重描く。。隷書東海道、袋井。。。。。。。。。。。。。。
。。。。茶屋を後にして今日のゴール見附宿へと向かう。袋井の東本陣跡、中本陣、西本陣を過ぎ丸凧保存会の前を通り、寺沢家長屋門を過ぎ、松橋を渡り木原綴古戦場跡にある許巫(コネ)神社に立ち寄り金海寺を過ぎ三ヶ野橋を渡る。奥上に見えるのは磐田グランドホテルであるようだ。日本橋から248キロ地点を過ぎ鎌倉古道へ入り大正の道と書かれた暗い急坂を登る。民家が現れホッとする。角の民家で旧東海道の道を聞き、確認して先に進む。
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。。。。。。。。。。。。。旧道にあったこれより先見附宿の道標。。。。。。。。。。。。。。。。
坂を下り磐田学園前を進み1国と合流すると右上土手に鈴ヶ森の刑場が見えた。この地の刑場も江戸と同じ名前なのが気にかかる。?ここは遠州鈴ヶ森と呼ばれた刑場で、日本左衛門の首を晒した場所であると書かれていた。
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。。。。。。。。。。。。。。。。遠州鈴ヶ森刑場跡。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
国道を右に横断して旧道を進むと見附宿入り口に出た。東木戸より見附宿の街道を進み、旧見附学校へと向かったが、日没も近くなり、本陣跡を左に曲がり、磐田駅に向かう道を急ぐ。本当は本来の旧東海道を進み駅に向かうのだが、日没のスピードが増してくるので早くホテルに行ける道を優先したつもりだが、歩いている道は手前から曲がった割には逆に遠回りしたようだ。右にサークルKが見え右折すると磐田駅に出て、目的の(IWATAステーションホテル)に到着。すでにとっくに日没は過ぎている。時間は19:10であった。
。。。。。。今日の街道歩きの歩行記録。。。。歩行数..41366歩。。歩行時間..5,52H。。距離..24,82キロ。。正味所要時間..10,10h
勿論道の間違えもあり、実測より多く歩いているので、本当に疲れました。ホテルでシャワーを浴び、明日の荷物を軽くするため一部宅急便で送る準備をする。そしてようやく外に出かけ夕食をとる。ホテル近くのすし屋に飛び込みカウンターでの食事と常温の日本酒を飲む。店側も一元の旅人と判断してくれ、親切な対応をしてくれた。客は6人いたが全部地元の人だ。上寿司と常温の酒、最後にデザートのメロンで大枚3600円で済んでしまった。疲れの影響でそんなには沢山食えないのである。明日はいよいよ今回のラストランだ。PM10時半ころさっさと寝ることにした。
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。。。。。。。。。。。見附宿入り口の看板也。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。。。。見附宿東木戸の道標。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。そうだ!!ここは名門ジュビロ磐田のホームである。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




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街道歩き前泊

2017/05/08 17:39
。。。。。5月4日(木)。。。晴れ

。。。。。ゴールデンウイークの中日だが、逆に電車は空いているような予感がし、思い切って飛び出す。今回は掛川宿から袋井宿、見附宿、浜松宿へと歩く予定だが、いつもの通り愛犬をホテルに預け、今日は前回行きそびれた名所を見学する算段である。失敗はゴールデンウイーク中は(大人の休日倶楽部)の利用でも繁忙期なので乗車券の三割引きが利かないことが判ったが、たまには当たり前の料金で行くのも良いかと強がりで出かけたが、ケチくさく本音で言うと交通費だけで約3500円ほど高くつき、街道ウォ―カーとしては安いビジネスホテルに泊まれる額なのである。!!”トホトホ”

。。。。藤沢を10:18に乗車、小田原より新幹線に乗り継ぎ静岡経由島田に予定通り12時半に到着。駅中の売店で昼食用のパン等を購入、スタコラと出かける。実は前回の歩きで旧東海道から少し横道にそれ、目的の蓬莱橋まで行くつもりだったが、往復で90分ほどかかるようなので街道歩きを優先してあきらめたので、今日は長距離歩きはしないので、その橋までゆっくり見物してこようと足を延ばしたのである。荷物はロッカーに預け身軽とはいえ、後でチェックすると駅からだと正味1時間、6366歩、4,4キロ予想どおりの時間がかかった。13時過ぎに到着。なるほど(世界一長い木造歩道橋)としてギネスに認定されただけに見る価値のある橋だ。
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。。。明治12年1月に完成、以後何回か手直しがあったとはいえ、136年経過している。長さは897,4m、幅は2,4mの賃料橋である。明治12年の当初は一般人は賃料5厘、開拓関係者は無料、現在は中学生以上は100円で人と自転車しか渡れない。今日は近隣近在の人達が大勢来ており、橋の往復の体験をしていた。小生はパンの昼食を摂りながら、往時を思い浮かべながら、30分ほど滞在、橋の往復体験はしなかった。
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。。。。橋脚の下からの撮影です。昔は橋脚も木造だったようだが現在はコンクリート製になっているようだ。
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。。。。文献からの転写であるが136年前の頃の木造の橋はこのような雰囲気なのだろう。。。。。。。。。。。

。。。。駅に戻り電車で3駅先の掛川に移動。駅そばの予約をしといた(くれたけイン掛川)と云うホテルに荷物を預け、今NHKで話題の大河ドラマ{おんな城主、直虎}に若干関連ある掛川城に出かける。掛川城そのものは井伊直虎より関ヶ原の戦でも手柄をあげている山内一豊がこの城の城主になり10年間ほどでこの掛川の地を隆盛にしたことの方が有名である。おんな城主の許嫁の井伊直親がこの地で若くして今川勢たちにより殺されたのが今のブームになっているだけである。NHKさん、掛川市民さんごめんなさい!

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。。。。。。。。。。。掛川城大手門。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。。。夕方近くの掛川城天守閣。。風格のある城である。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。二宮金次郎創設の大日本報徳社。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。掛川城御殿。。。。。。。。。。。

。。。。。。。天守閣には登らずに掛川城御殿場屋敷、二宮金次郎創設の大日本報徳社、などを外から眺め約3時間ほどの街歩きを楽しんだ。ホテルへの帰り道にひと癖ありそうな格式あるウナギ屋が2〜3棟あり、そのうちの一軒の店の裏口で大将が仕込みを終わって一休みしているところを見たので、近づき"今晩一人だけどいいかな〜"と問うと案の定"今晩は予約でいっぱいなので勘弁してくれ"と簡単に断られてしまった。あとで夕食に出かけた飲み屋の親父さんに話すと"どうも一元さん、一人旅の人は断られることが多いようだ"と云っていた。代わりにこの店も(うな重)はあったので食してみたが、どうも自分の期待の味ではなかった気がした。店のカウンターにあと二人がいたので雑談に交じり、今の皇后の話などをしていたので興味がわき話題に加わり、楽しい食事が出来た。また”地元の方ではないようだが今日はなにしにきたの”と聞かれ”街道歩きで江の島の方から来た”と云うとビックリ、ついでに年を聞かれ数えの80だと云うと連れの女性が"嘘っそ"とビックリしていた。でも帽子をとらなかったので良かったです。でも10歳くらい若く見られうれしいものである。小一時間で店を出てホテルに戻る。明日からが本番の街道歩きである。お休みなさい。
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予防注射

2017/04/19 12:35
**昨日18日は愛犬たちの予防注射の日である。でも18日の深夜から関東地方は大荒れ、まさに”夜来風雨の声”のひと夜である。朝9時半ころまで相変わらずの風と雨、今日は予防注射は近くの公園でやるので延期だろうと勝手な解釈をする。10時過ぎに雨、風もオサマリ外を見ると犬を連れている人が公園の方から帰ってくるので、散歩と排泄を兼ねて予防注射の場所え赴く。
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。。。。。。。"さあ〜行くぞ"と声をかけるとノコノコとハウスから出てきました。素直です。
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。。。。。。。。。。。公園の一角で保健所の医師と係が待ち受けていました。生まれて5回目の予防注射です。お尻にチクリで3秒で終わり。本人もなんか唖然とした顔をしていました。
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。。。。。。。。。。次にお待ちのお犬様をズームでパチリ。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。どうやら無事に5かいめのしごとをおわらせていただきました。

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。。。。。。。。。いただいてきた予防注射の証明です。これで一年は狂犬にはならないはず!?!?

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toshi27への報告

2017/04/16 09:32
昨日4月15日は恒例の高校同期の集まりである。場所も常設会場新日鉄の代々木倶楽部である。zurich所要があり若干遅れて12時半に登場。ようやく春らしい気温に恵まれて、会場の食堂は満杯である。
。。。さてさて我がグループの集まりは”どうかいな”と中に入るとしっかりと集まってました。
。。。男性陣。。Ta...,Ma...Sa...Ya..Mi..そしてzurichの6人。。。。女性陣。。Ta..Nu..Ha..Na..Yam..Yaの6人。。12人の集まりでした。昼食時間が終わり二時頃東大に9対5でようやく勝ったので松戸の御大将が現れました。
自分は第二部が横浜であるので一足早く退散しました。写真添付します。当日の雰囲気を感じてください。そういえば”この間の花見来なくてよかったよ”と酒屋のおかみに言われました。のん米のYa,Ta.Saにほんろうされたようです。
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。。。。。。。相変わらず呑み助の様子です。。。。。
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街道歩き。。東海道。(19回、19日目)

2017/04/12 21:56
。。。。。。。。。。。2017(平成29)年4月3日(月)。。。。。晴れ時々曇り。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。金谷宿〜日坂(にっ坂)宿〜掛川宿。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。今朝は昨夜就寝前にフロントに5時に起こすように頼んだので、5時半ころに朝の散歩と蓬莱橋に行くつもりでホテルを出た。
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。。。。。。。。。。。朝起きて外を見ると藤枝方面の山裾に薄い雨雲らしきものがたたずんでいたが、晴れの予測なので心配はしていない。でも朝の景色はなかなか良いもんである。。。。。。。。。。

。。。。昨日見損なった蓬莱橋へと向かったつもりだが、やや方向音痴となり、ホテル前の34号線を藤枝方面に歩いてしまい、途中で気がつき、またホテル近くまで戻り蓬莱橋への道が判明したが、時すでに7時近くなり、橋までは往復一時間はかかるので、今日の本番の街道歩きがチョッときつくなる予感がして、ホテルに戻り朝食をパクつき、島田発8:05に間に合うように行動する。今日は朝からドジの始まりである。電車に間に合い大井川鉄橋を渡る頃島田駅のホームのベンチにピッケル型のストックを置き忘れたのに気がつき、金谷駅に到着して上りの電車がすぐ来たので島田駅にとんぼ帰り、駅に着くとホームのベンチにストックはちゃんとあった。ラッキーである。今度はまた下りの電車が5分後に来るのが判り再度金谷駅に戻る。たまたま朝のラッシュ時間で上り下りともタイミングよく乗れたので、しかも一駅5分の距離であるからこの芸当ができたわけだ。しかし今日2回目のドジであり、反省、また反省である。蓬莱橋に向かうことからケチがつき今日はより慎重に行動しないと”やばい”と気を取り直す。8時半ころから30分ほど気を落ち着かせる思いで休み、隣接の大井川鉄道線の駅の売店でおにぎりと水と温かいお茶を調達。ようやく街道歩きの姿勢に戻ってきた。

。。。。さていよいよ本番である。9:20にスタートする。旧街道を少し戻りJRと大井川鉄道の線路の下を潜り、金谷宿の石畳みに向かう。集落の中を登り自動車通りを横断するといよいよ石畳みである。
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。。。。。。。この石畳みは430m、平成3年(平成の道普請、町民一人一石運動)が起こり町民約600人で復元されたそうだ。
月曜日のせいか(石畳み茶屋)は休みである。この石畳みの道往時は此処から日坂(にっ坂)宿まで敷かれていたと云うから相当の長さである。やはり肺癌の後遺症であろうと思うが登りでは息切れが来るのが早く、20m登っては一休みの連続である。しかしなんとか踏ん張って坂を登りきる。
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。。。。。。。石畳みの道の真ん中くらいにある(すべらず神社)がある。名前の縁起を担いで受験生のお参りが時期になると沢山来るそうだ。しかし石畳みそのものは日陰が多いのでこの神社の辺りは特に滑りやすいそうだ。
皮肉なもんである。
上がりきると其処は牧ノ原の大茶畑である。
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。。。。。。。。上の写真は牧ノ原の茶畑の一部。お茶が湿らないように扇風機が常に動いる。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。下の写真は粟ヶ岳の山頂に植木で作られた茶の文字である。。望遠で撮った。。。。。。。。。。。
狭い車道を進むと珈琲の店アルムがあり、そこの主人がいたので少しおしゃべりをする。"コーヒー大好き男だが休むと先に進むのが嫌になるので寄るのを勘弁して"と云うと"勿論"と云って旅の無事を願う言葉で見送ってくれた。ホッとしたひと時である。県道を跨ぐと菊川の下りの石畳みの坂である。この坂も復元されたもので610mの長さがある。この復元には案内板を読むと東は三島宿から、西は浜松の先の各村から人が応援し、なんと1000人ぐらいの人達が携わっているようだ。
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。。。。。。。。。。。菊川の下りの石畳み。下の菊川の宿まで続いている。。。先人の苦労がよくわかる。。。。。。
石畳みを降りると菊川宿(間の宿)の高麗橋を渡り菊川の里会館を過ぎて四郡橋に到着。11時半ころ此処から箭置坂(やおきさか。青木坂)の旧坂を登り(小夜の中山)に行くのが常道である。。。。。此処で地元のおじいさんが小生のほうに来て"何処まで行くの?"と聞かれ"日坂宿から掛川まで"と答えると、自分のザックを見て"これから中山峠を越して行くのは厳しいよ!!"まして新幹線の16時台に乗るのはまず無理!上に上がっても茶店で飴(子育て飴)をしゃぶらされるだけで大して面白くはないよ"この下の東海道で一気に日坂に向けて歩いたほうがよいよ"と諭され、実は登るか、やめるか迷っていた最中だったのでおじいさんの助言通り国道1号線に沿った東海道を歩きズルをしました。今の自分の体調を考えると時間は11時半だが中山峠越えで掛川に3時半くらいにゴールするのは無理と判断。若い時は夏、冬問わずの登山、冬、早春にはスキーに熱中していただけに忍耐力、持久力には自信があったがやはり肺癌の後遺症による息切れの影響は大きなブレーキになっているのがよくわかる。11時半頃出発。単調な道を黙々と歩く。途中江戸から220キロの標識があったところで軽い昼食、パンをかじる。
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。。。。。。。。。。。。。。此処が中山峠に進む青木坂への入り口です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。。。江戸から220キロ地点です。パンをかじったところはもう少し綺麗でした。。。。。。。
遠くに集落が見えてきたので日坂宿はまじかだ。日坂宿13:20頃到着。あらかじめ自主運行バスの時刻表を調べておいたのでこの地にあるバス停から14時頃に乗る予定でしばし日坂の街道を散策。往時を語れるような古街道、古民家がしっかりと保存されている。この町の歴史への意識の高さがうかがえる。
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。。。。。。旅籠(川坂屋)。。よく保存されている。昭和3年までは営業されていたようだ。脇本陣格の宿であったようです
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。。。。。。。。。。。。。。街道の坂の頂上が旅籠.川坂屋。。。なんか往時にタイムスリップした感じになった。。。
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。。。。。。街道入り口の高札場。。。。復元されたものだが街道風情がよいので当時のものと勘違いしそうだ。
旧街道と国道が合流するところに事任(ことのまま)八幡宮があり、そこのバス停から14:02発のバスに乗車。この地に来ても交通系カード(SUICA)が使えるので楽である。
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。。。。。。。。。。。。。。。事任八幡宮の正面の様子。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
全てバスでは芸がないので成滝と云うバス停で途中下車。そこから街道を歩き掛川に向かう。日坂から成滝までの間はあまり歴史観を感じさせるものがないように車窓からは感じた。15時半に掛川駅に到着。駅前の喫茶店で一休みして、16:05の新幹線で小田原経由東海道線で家路に就く。次回は日程は未定だが掛川城から袋井、浜松へと行く予定です。次の袋井が東海道27番目の宿で街道のど真ん中になります。
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街道歩き。。東海道(18回、18日目)

2017/04/10 15:39
。。。。。2017年4月1日〜3日。。。。。晴れ時々曇り。。。
。。。。。。。藤枝前泊、そして翌日は藤枝宿〜島田宿〜金谷宿。。。。。。。。。

。。。。。昨年12月17日に丸子宿から藤枝宿まであるいて以来3カ月ぶりの街道歩きの再開である。1〜3月の間は厳しい寒さの連続と、親戚の不幸なども重なり,いまいち腰を上げる気にならなかった。本当は寒くても1〜3月に歩けば等に三重県内に行っていたはずです。然し年々腰が重くなるのはやはり年齢からくる弱さなのだろう。3月末近くに満79歳を通過し、いよいよ歩く気を起さないとズルズルとなってしまいそうな気がしてきた。
。。。。本当は30日〜4月1日までが予定だったが、案の定週間天気予報では31日大雨の予測、意を決して4月1日から3日に変更した。。。持参準備物のチェックもなんかスムースに行かず、かなり余分なものまでザックに投げ入れたのでいきなり重い荷物となってしまった。家内がストックをついての歩行には心配はないが、留守中野愛犬の世話の散歩などはチビ犬(シーズー)だが力が強く、下手をすると家内不安全となり転倒の恐れ大、したがって浪費となるが2泊犬ホテルに預けることになってしう。

。。。。藤枝に16時くらいに行きたいので、藤沢を14:24に乗車、小田原経由新幹線で、静岡で在来線に乗り換え、藤枝に16:24着、駅前のホテルに入館、ひと風呂浴びて夕食に街に繰り出す。3カ月前に行った地元の居酒屋に行き泡盛と料理を食事代わりに小一時間過ごし、早めにホテルに戻り、明日に備えることにした。
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。。。。。。夕方薄暮の藤枝駅の様子。。。。。
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。。。。。前泊した駅前のホテル、数年前何かと話題になったホテルです。前に奥州街道を歩いた時に宇都宮でメンバー登録した。でもなかなか快適に過ごせるホテルです。。。。。

。。。。。4月2日(土)。。。。。晴れ時々曇り
。。。。。。。。。。。。。。。。。藤枝宿〜島田宿〜金谷宿。。。。。。。。。。。。。

。。。。。早めに朝食を摂り、駅前より8:38発のバスで青木まで乗車。青木から駅前までは前回歩いているため5分間のバス乗車とする。いよいよ2日カンのスタートを切る。交差点から旧東海道に入り、ひたすら歩く。前回岡部宿から藤枝まで歩いた時感じたことは物凄く距離感を感じた。あとで調べると藤枝宿の東木戸から西木戸までは2キロ以上あり、昨夜食事した居酒屋の若主人も歩いた人はみんな”そう感じたようです"と云っていました。
藤枝宿鈀往時田中藩の領地であり、街道には藩の傍示石を2か所ほど見掛けた。街道に点在する松並木が街道の風情を上げている。東海道と古東海道を分ける追分に到着。
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。。。。。。。。旧東海道の残されて点在する松並木、昔は連続していて街道風情はたっぷりであっただろう。。。。
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。。。。。。。。田中藩の傍示石。。。。。。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。追分近くの路傍にあった六地蔵。。。。。。。。。。。。。。。。。
しばらく歩き1時間ほど経過したので、昼食の調達のため杏林堂と云う薬のスーパーで小休憩。玄関前のベンチで地元の同年代の80歳のおばあちゃんとしばし談笑。"歳をとるといろんなことがおっくうになるね〜"と漏らしていたが、自分も若ぶっているがチョクチョク感じることなので、口には出さないが同感である。雑談談義だが小休憩にあらず30分のお休みになってしまった。
瀬戸橋を渡り天皇小休所跡を散見し、ようやく国道1号線に合流。島田信金を左に曲がると六合駅。次に昭和天皇巡察碑を望み、いよいよ島田宿に入る。商店街の島田信金本店を左に曲がると江戸時代から続く木製の蓬莱橋に行けるが往復で2キロ,休憩(写真撮りなど)を含めると45分はかかる計算。今日は金谷宿まで行く予定なので、明朝5時起きで朝散歩を兼ねてその橋まで行ってみようと思う。
。。。。街道筋に今日泊まるホテルルートインが右に見え荷物を少し軽くするためホテルに立ち寄り一部荷物を預ける。島田本陣跡がある公園にあった蕎麦処(岩井屋)で昼食なかなか美味い店である。此処までの記録歩行数。12821歩。。距離、8,97キロ。。歩行時間、2,07H。。正味所要時間、3,45H
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。。。。。。そば処、岩井屋の店の中、なかなか粋な飾り付けがしてあったのが印象に残る。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。日本三大奇祭で有名な大井神社の鳥居。。。。。。。。。。。
30分ほどの昼食を終わり再出発。大井川絵と向かう。途中日本三大奇祭で有名な大井神社を右に見て大善寺の交差点を過ぎ国道に別れ川会所へと進み大井川越遺跡に到着。復元された古い家の町並みが公開されており往時を偲ばせる。
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。。。。。。。。。。古い家の町並みが復元されなかなか味わいがある。。。。。。。。。。。。。。。
古い町並みを味わい大井川沿いの道に出て大井川橋へと進む。橋に到着14時半ころ。一時間強歩いていよいよ"箱根八里は馬で、、、、、越すに越されぬ大井川"を渡る。この橋昭和3年に架設,1026mあり車道と歩道は別れている。渡るのには15分かかる。
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。。。。。。。。。。。。。。始めて見る大井川橋です。往時は川人足が肩車で股通し(48文、1440円)で男女を問わず川越をしたのである。これが一番安いが乳通しになると(78文、2340円と倍になる】またこの橋は土木学会の土木遺産に登録されている。また川留の時は最長29日川を渡れなかった記録があるそうだ。
大河大井川を渡り金谷宿に入る。橋を渡り左に曲がり大井川鉄道の新金谷駅へと足を運ぶ。駅舎と千頭から戻ってきたSL列車を見学。道に戻りJR金谷駅へと川を渡り進む。緩い坂の商店街だがなんかものすごく寂しい。一応この日は此処を終点とした。JR金谷駅到着16:45.。。歩行数、25256歩。。距離、17,67キロ。。歩行時間、4,8H。。正味所要時間、8,05H
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.............大井川鉄道の新金谷駅。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。SL列車のご帰還です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

16:48の上りで金谷駅を去り一駅先の島田駅に戻る。5分で島田だ。ホテルは近いが少々お疲れタクシーでホテルに向かう。ホテルルートイン17:10頃チェックインたばこは吸わないが最上階(9F)の喫煙室のシングル、セミダブルのベットで部屋は広い。快適である。まずは1階の大浴場へ、何故か一番風呂である。このホテル部屋外は浴衣、スリッパでOKなので有難い。このホテルは前に甲州街道を歩いた時に韮崎、上野原で泊ったことがあるので何となく楽に過ごせるので小生好みである。雨が降り出したが夕食を取りに近場の居酒屋に出向く。明日も早いので早めのベッドインとした。
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春のお彼岸つい忘れる?

2017/03/27 20:36
みなさんのブログを見ているとお彼岸の時期はご先祖様のご供養にちゃんと行く方が多く反省しています。やはり墓参に行こうとお彼岸明けの23日横浜南太田まで出掛けました。菩提寺には寄らず、墓へ直行です。何とか人並なことが出来てホッとしました。帰りはみなとみらい散歩、平日の割には結構人が出てるもんです。
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