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街道歩き。。。東海道。。25回。。27日目

2017/11/15 11:07
。。。。。。。。。。。。2017(平成29)年11月2日(木)。。。。晴れ。。。。。。

。。。。。。吉田宿〜御油宿(五湯)〜赤坂宿=豊橋駅。。。一路帰路の予定。。。。。

。。。。今日が今回の最終日である。昨日寄りそこなった豊川稲荷にまず行くことにした。豊橋発8:36の飯田線で豊川に向かう。8:50に着きすぐに豊川稲荷に進む。早朝のせいかお参りに行く人は見かけない。土産屋が並ぶ商店街から豊川閣総門に向かう。
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。。。。。。。朝の飯田線豊川駅。。。。。。
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。。。。。。。。。。。表参道いなりとおりである。手前の人形はお狐様だと思う。。。。。
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。。。。。。。。豊川閣総門。明暦2(1656)年の改築、最初の門は明暦2年より二百十数年あまり前の開創した年である。今の門は明治十七年に改築竣工したもである。
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。。。。。。。天井は欅一枚板でつくられた如輪目(じょりんもく)と云われるものである。。。。。。
山門を潜り左に折れ御本殿に進む。豊川稲荷のイメージは神社と思われるが,当山は豊川閣妙厳寺と云う曹洞宗の名刹である。
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上は階段下から見た御本殿。下はご参拝するため近ずいて撮ったもの。左にはお稲荷さんがお出迎えである。
。。。初めての訪問者なので通天廊を潜り、千本幟が立ち並ぶ参道を歩き、宝雲殿、大黒天堂、等を横向きで遠くから参拝、一番奥には樹木がうっそうとした境内にある奥の院を参拝する。
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。。。。。。。。。千本幟の参道である。。。。。
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。。。。。。。。。。。。。奥の院。。そばには霊狐塚も控えている。。。。。。。。。。。
ぐるっと一回りして豊川閣の見物&参拝を終わる。帰りに境内で店開きした縁日屋さんで来年の干支(イヌ)と自分の干支(トラ)の根付を購入。結局この寺で1時間超の長居をしてしまった。いなり寿司の弁当を昼飯用に買って上りの飯田線に乗り小坂井駅に移動。いよいよ本題の街道歩きとする。
。。本来は豊橋の本陣跡を通り、西総門を抜け(豊橋)を渡り左折すると旧東海道になる。496号線を通り小坂井駅の踏切を渡り進んでいくのが本道であるが豊川稲荷を加えたので小坂井にある菟足(うたり)神社から本日はスタートを切る。
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。。。。。。菟足神社を鳥居越しに臨む。境内にいた叔父さんに”怖い顔したウサギに会いに来たのだが”と尋ねると”社殿に張りぼてのウサギはあるが怖い顔なんかしていないよ”と云いながら案内してくれた。
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。。。。。。。なるほどそんなに怖くはないが見る位置によってそう見えるようだ。。。。
1号線をを小坂井の信号まで進み、左折して目的の旧東海道にようやくにして足を踏み入れた。あとはこの街道をまっすぐ行くことになる。まず間違わないと思う。左に明光寺を望み,伊那村立場茶屋跡に進み、伊那橋を渡る。12時になったので25分ほどやや長めの休憩を採る。豊川稲荷に寄ったので早3時間も経過している。
佐奈橋から先に行くと五六橋となる。右に山並見が見えるが、一番高い山が一昨日夕方に見た三河富士だと思う。今度は西古瀬橋を渡る。先にある山桃交差点付近は昔は松並木であったようだが、今は全く面影なし、単なるつまらない道である。途中県道31号線で旧道は遮断され雑草生い茂る細い所を左に曲がり、また右に曲がりで元の旧道に出る。何ともめんどくさい場所だ。旧道から1号線に合流、名鉄が下に走っている白鳥跨線橋を歩む。さっき見た三河富士が一段と大きく見えるようになった。
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。。。。。。。白鳥跨線橋から三河富士を望む。。。。。
国道から国府交番のあるところから左道に入り、また旧道となる.半僧坊大権現の祠とか秋葉常夜灯と化を横目に見て御油宿(ごゆ)に向かって一気に進む.大社神社にぶつかり境内で持参の(お稲荷さん弁当)で昼食休憩とする。境内は静寂で気持ちがよい。25分ほどの休憩で先に進む。
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。。。。。。。。。大社神社の入り口。左の道が旧東海道。。。。。。
御油橋を渡り狭い旧道を進み高札場跡を右に曲がり、また左に曲がり鈴木本陣跡に到着。
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。。。。。。。。。。。。。。。御油橋、独特な橋のデザインだ。。。。。。。。
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。。。。。。ここからが赤坂宿へと続く松並木道である。。。。。。
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。。。。。松平丹波守の御関札立掛場とあるが、参勤交代などの時大名がこの宿場に泊る三日前からこの関札が立て掛けられ、村民の注意を促すためにつけられたと云うことだ。松平丹波守一行は寛文元年11月21日に宿泊したようだ。
。。。松並木道を1キロもあるけば赤坂宿だが、今日は帰る日なので、旧道を戻り、途中から新御油橋を渡り、左に折れて名鉄の御油駅へと向かう。国道1号の信号を渡り御油駅に到着。よく見ると無人駅である。
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。。。。。。。。。。御油宿街道。。。。。
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。。。。。。広重描く御油宿での(飯盛り女の客引の絵)である。どうもこの宿は飯盛り女を加えると女性のが多かった宿であったようである。
御油駅を16:12の鈍行に乗り次の国府駅で豊橋までの急行に乗り換え、16:30に豊橋到着。新幹線17:02に乗り小田原経由藤沢に乗り継ぎ、20時頃我が家に到着す。しばし街道歩きはお休み。次回は御油から赤坂,藤川、岡崎の予定。実測で17,1キロの旅となるが、正味は25キロを超えるだろう。街道歩き以外にも種々スケジュールもあり、この分では本年中にゴールの京都三条大橋までは無理かもしれない。でも頑張るぞ!?!?

。。本日の歩行成果。。歩行数..10878歩。。距離..7,61キロ。。歩行時間..2,05h。。正味所要時間..7,15h
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街道歩き。。。東海道。。25回。。26日目

2017/11/12 10:05
。。。。。。。。。。。。。2017(平成29)年11月1日(水)。。。。晴れ〜
。。。。。豊橋駅―二川宿〜吉田宿〜豊川稲荷−豊橋駅、豊橋ホテル東横イン。。。。。。

。。。。昨日二川宿の街道風情は宵闇で見られず、今日は二川宿からの歩きとする。早めの朝食を摂り、豊橋駅8:19の上りの東海道線に乗り二川駅に8:25着。駅前のタクシー乗り場から車で本陣(資料館)まで送ってもらう。8時半に本陣到着。本陣は9時半開門らしいので、近くの風情を楽しむ。
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。。。。。。。。本陣前にある商家、西駒屋。。。。。
8:45頃本陣資料館の女性職員が外門を開け始めた。言葉をかけて、中に入らないから写真を撮らして欲しいと云うと、”せっかく早く来たのだから、資料館は9時半がオープンですが、今なら中に入れるから見て行きなさい”と助言してくれたが街道歩きを優先しているのでと折角の好意だが断念した。しかし着た証拠に本陣玄関前で1枚撮っていただく。
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.。。。。。。。。。資料館(本陣)前で撮っていただく。。。。。。。。
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。。。。。。。。。二川宿、本陣全景。。。
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。。。。。。。。二川宿本陣の東土蔵と西土蔵を控えた主屋である。。。。。。。
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。。。。。。。。街道に面した二川宿本陣の外塀。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。二川宿の街道の風景なり。。早朝のせいか人を見かけない。。。。。

30分ほど昨日見られなかった街道風情に浸る。9時頃から本番の街道歩きを始める。駅前には自転車屋がありレンタルもしている。楽して旅するには自転車に乗った方がよいのだが先で乗り捨てできないので我慢をした。ウナギ屋、うどんやを過ぎ火打ち坂へと進む。此処で道を間違える。この坂入口で左に行けば予定通りだったが坂をまっすぐ上り信州庵と云う蕎麦やを左に行けば、予定の道に合流できたのにまっすぐ行ってしまい、地図に現れない場所ばかりで、とうとう自衛隊の射撃場まで来てしまった。明らかに違う道だ。近くにあった工場に出勤してきた女性に道を聞くことになる。やはり曲がるべきところをまっすぐに来ている。どうやら教えていただいた道と方角が理解できた。したがって岩屋緑地、岩屋観音、復元された松並木路等この周辺のポイントを見逃す羽目になってしまった。でもこの周辺の地理が呑み込めたので負け惜しみであるが自己満足もある。
広い東三河環状線に出て(飯村(いむれ)南2)と云う信号に出てどうやら当初の国道1号線に出た。これから先の吉田城までは間違いなく行けそうだ。交差点を右に曲がり、単調な一国を黙々と歩む。瓦町の交差点の手前に三重塔がある寿泉寺をしばし見学。なにか昔日に戻っているような錯覚を起こしそうな場所だ。
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。。。。。。。。。。。。。。。寿泉寺山門、威厳がある門だ。中国で見かけたような門にも感じる。。。。。。
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。。。。。。。。寿泉寺の三重塔。
寿泉寺から進むと、吉田の東惣門のある交差点にぶつかる。右には東八丁の停留所がある。豊橋鉄道東田本線(いわゆる市電です)この交差点は歩行者用の横断歩道はなく、東西南北に行ける歩道橋が上に設置されている。歩道橋の上から周囲を見渡すと飯田に通じる別所街道など各地に行く交通の要所であることがよくわかった。
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。。。。。。秋葉山の常夜灯。。。
交通の要所であるせいか常夜灯も街道でよく見るものとは違い大きくて威厳もある。。。。

。。。東惣門より吉田城に向かうややこしい旧道を進み豊橋駅から来ている市電の交差点(札木)と云う場所に出て、吉田城のある吉田大橋の方へと足を進める。多少の疲れは感じるが何故か腹が減ったた気が起きない。?13時近いが吉田大橋の右手前から豊川沿いの歩道に降り、吉田城を仰ぎ見る位置まで進む。右に折れて城閣を守る石の階段を上る。戦で攻められた時には容易に素早く登れる状態の石段ではない。とにかく息切れを我慢して城前まで登る。せっかくなので城の上層階にはいかないつもりで、入口まで行きパンフレットなどをいただく。”せっかく来たのだから中も見なさいよ”と受付のお父さんに言われたがこの後豊川稲荷まで寄り道をしたいので入門は勘弁してもらう。此処で驚いたことがあります。受付のお父さん豊橋市役所のOBの方で年の頃は73〜4、顔を見たらビックリWOWOWの前会長で、P社の元副社長のSさんにそっくり、城の内容よりこの方に関心が高まり訳を話して写真を撮らせていただく。よく自分に似た人間が3人はいると云われるが事実であることがよくわかる。
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。。。。。上は小生ZURICHと二人で撮ったもの。。。下はお父さんを一人で撮らさせていただいたもの。。
少し話をすると一人での街道歩きの挑戦に驚き、自分もいつかやりたいと云ったが、小生が80と聞き更に驚き、歩きは車と違いさまざまな発見があり実に面白いとおほめをいただく。
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。。。。。。。。。。。。豊川沿いの歩道から見上げた吉田城。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。。豊川沿いの遊歩道、この道の先から吉田城に這いあがった。。。。
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。。。。。。。。。。。。この石垣の横の石段を這い上がる。この石に武将の刻印がある。
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。。。。城前の庭から撮影。。。小さな城だががっちりと作られている感じがする。。。。

。。。二人の写真を撮ってくれた方は民間の方で勿論高齢者、しかし凄い趣味にしたっている。確か刻印と云ったが、この城の石垣に使われている歴史上の著名な武将の紋が入っている石から半紙と墨で写し取り刻印して収集しているようです。少し見せていただくと、福島正則、池田輝正、蜂須賀義重(息子)、山内一豊の弟忠義等凄い刻印である。やはり温故知新の感覚の持ち主である。ちなみにお歳は72〜3とお見受けした。吉田城を離れ吉田大橋を渡る手前の右に吉田神社がある。此処が有名な手筒花火の発祥の場所である。
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。。。。。。。。。中に入らなかったが此処が吉田神社である。。手筒花火の発祥の神社である。。
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。。。。。上は吉田神社の傍の道にあったマンホール。下は豊橋の街のあちこちにある手筒花火デザインの消火栓。吉田神社の前のものは神社に配慮して大きいものになっているのだろう。

。。。刻印の方に教えていただいた道を進む。大橋を渡ったらすぐ右に進みなさいと云われたが、どうも違うように思え曲がったところまで戻りまっすぐに行く。飯田線に乗る最寄駅は(牛久歩駅)だが目印の大きな建物が見えない。どうも(小坂井駅)に向かっているようだ。いまさら戻るのはしんどいので、今日は豊川稲荷に行くのはやめにして豊橋に帰えるのを優先した。お稲荷さんは明日一番に行くことにした。途中に大寺に出会う。ちょっと寄ってみる。
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。。。。。。。。。かなり歴史がある大寺であるが、後で調べることにする。。。
小坂井大橋を渡り(才の木宮下)と云う所にあったマクドナルドで流石に空腹を覚え遅い軽昼食とする。やはり甘いものが欲しくなった。30分ほどゆっくり休んだ。気持ちはこの後ホテルに帰るだけなので楽だ。店を離れ飯田線の小坂井駅に向かう。国1から左の坂道に進み駅へと向かう。いずれにしろ明日御油宿、赤坂宿、への道は此処の1号線をしばらく歩くのでちょうどよい。今日の行程は間違ったがもっけの幸いである。しばし狭い道を駅に進み、さて電車に乗るかと思い気や、構内放送で三河一宮=豊川館で沿線火災があり15分ほどの遅れのアナウンス。もし豊川稲荷に行っていたら、もっと遅い帰りになったかもしれない。結局今日はお稲荷さんに行かなくてよかったことになる。!?20分超遅れの電車で豊橋に17:50着。今日は想像以上の距離を歩き約10時間近い行動なので、駅内の名店街で寿司折り詰、焼き鳥のおつまみ、ハイボールとビールを購入、ホテル部屋内の夕食とした。18時半チェックイン、風呂に入り、買ってきた食べ物でテレビ観戦をしながら、優雅なディナータイムとする。??日本シリーズ第4戦DeNAが6−0で快勝、後半にもつれ込む。これで2日に帰ってからもテレビ観戦が楽しめそうだ。
。。。。。。。。。。本日の歩行成果。。歩行数..30058歩。。距離..18,25キロ。。歩行時間..4,34h。。正味所要時間..9、54h
。。。。。。。試合が終わり就寝。。。。ではまた明日。。good,night?!




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雪化粧通信

2017/11/09 11:13
。。。。。11月8日(木)。。。。。。。。晴れである

。。。。。富士山が今年初冠雪をしたのは10月23日である。例年より23日遅く、昨年より3日早いと報道された。その後10月26日に本当の雪化粧、おまけに「初雪、雪化粧宣言」と云う報道までされる。しかし10月30日には台風22号の影響で積雪融解、そして街道歩きの31日に新幹線から見た富士山相変わらず黒い山で全く季節感なし。
。。。。。今朝は素晴らしい晴れである。愛犬嬢散歩中に見た富士山ようやくにして本格的な根雪になりそうな雪化粧である。
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。。。。。。。住宅の間から覗き見した雪化粧の今朝の富士です。。。。。。。。。
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。。。。。。。我が家近くのカラオケ店の看板越しに見た富士です。。。
本当は電線などの邪魔がないスポットがあるが其処まで行くのがしんどいので我慢の撮影である。でも今日の積雪を見ると間違いなく本物でありこれで来年の五黄月(五月)までは十分楽しめます。つまらない思いつきのブログになりました。
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街道歩き。。東海道。。25回。。25日目

2017/11/08 15:01
。。。。。2017(平成29)年10月31日(火)。。。晴れ

。。。。。夏の大雨、台風襲来、また自分の行事多しで3カ月超ぶりの街道歩きである。それにしてもこの夏場は酷暑の連続で、体にはかなり堪える状態であったと思う。
。。。前日16時頃愛犬ジュン嬢を2泊3日の予定でホテルに預けに行ったので31日は早めに出発する。藤沢駅8:58に乗車、小田原経由の新幹線に乗り継ぎ、浜松で東海道本線に乗り換え、新居町に11:18に到着。途中新幹線の車窓から見た富士は相変わらず雪なしのつまらない山になっている。新居町の駅そばのコンビニ(ヤマザキ)で昼食と飲み物、予備の靴下などを調達。この先13キロ以上の二川宿まではコンビニはないので貴重な店なのである。でも飲み物の自販機は街道沿いにあるので助かる。

準備OKで12時に出発。4カ月前に来た新居宿関所、芸者置き屋の小松楼等を再見しながら一路前に進む。
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。。。。4カ月前に見た関所の大手門、相変わらず堂々としている。9月の彼岸時期に家族旅行で井伊谷に行った時の氣賀関所とは規模が違う。「入り鉄砲に出女」の御調べが新居の関所はきついので、姫街道にある気賀の関所を通る女性が多かったようである。
新居宿を抜け,棒鼻跡と鯛焼きで有名らしい「平太郎」と云う店前を抜け浜名旧街道に進む。
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。。。棒鼻跡の標柱。。棒鼻とは大名行列が宿場に入る時、此処で先頭が(棒先)を整えたのでそう呼ばれたようである。
旧浜名街道を黙々と歩き、松山団地を左に臨み、街道は風情ある松並木を進む.立場跡を過ぎると、元白須賀の町並みとなりその先の右上の山上から風車が見え始めた。
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..。。。。元白須賀宿の街道と町並み。白須賀宿;宝永4(1707)年の地震と津波で潮見坂上の台地に宿場ごと移転した。この写真は後で建てられた一部だろう。
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。。。。この風車は街道の3か所から見えるが、浜名湖CCと明記されているものを掲載。その昔P社の掛川にある洗濯機事業部のお招きでこの山上にある浜名湖CCに来たことが思い出された。良き時代の思い出である。
。。。。次に内宮神明神社を右に見据え、いよいよ潮見坂入口にたどり着く。手前の公会堂を右に曲がる山道もあるが、舗装された坂を選ぶ。そういえば歩いている街道沿いの神社仏閣などの本院、本堂はすべて山腹にある。街道は海抜5mくらいなので大津波が来たら一発で一巻の終わりである。
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。清正公神社への参道、上に向かって整備されている。道路には「津波避難経路」の標板が設置されている。
坂の入り口で後から年輩(83〜4かな?)の街道歩きの方が来た。ザックの大きさが小さいのでこの地の周辺から来た方だと想像する。お願いして坂の入り口角の古民家を背景に(街道歩き一人旅)の証拠写真を撮ってもらう。
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。。。。上は年輩の街道歩きの同志。。。。。。下は少々お疲れ気味のZURICHです。。。
。。。。一休みして潮見坂を登る。見上げるほどの急坂である。峠の台地に「おんやど白須賀」と云う記念館がある。此処は津波の記録などの宿を襲った災害史を細かく記した展示がされているのだが、時間の都合を考えてパスをした。潮見坂は(おんやど白須賀)まで600mと書いてあったが平地では10分ほどだが今の自分の足では倍かかりそうなので、持参してきた2本ストックをこの坂だけは使うことにした。坂の途中で遠州灘を一望する。
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。。。上はこれから登る潮見坂の風景です。下は坂の途中から見た遠州灘を一望したものです。坂の途中から海が見えるので「潮見坂」と名ずけられたようです。本当は展望台から撮れば(広重)描く絵に近くなりそうな構図が予測されるのだと思う。
。。。。潮見坂上の台地を離れ、右に白須賀小、白須賀中の校舎を望み旧道を進む。ここらあたりから曲尺手【かねんて】が続きこの先は白須賀宿の集落が始まる。
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。。。。。。白須賀宿の集落と旧街道。。宿場の面影を残している。
曲尺手【かねんて】とは軍事的な目的で直角に曲げられた道の事を言います。大名行列などで上下がかちあう時は下位の藩士たちは近くの寺などに緊急避難したと云うことだ。本陣、脇本陣跡等を見ながら、白須賀街道をひたすら歩く。県境の辺りに二川までの距離が長いので白須賀宿の加宿として境宿が作られたようです。
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。。。。。。。県境の近くに作られた境宿の風景です。
県境に近い笹子神社に着いた。時はすでに16時である。この先の信号が静岡と愛知の県境である。県境を過ぎ、一里山(一里塚跡)(江戸から71里地点)から国道1号を歩くことになる。旧街道の雰囲気は全くありません。途中広々としたキャベツ畑などがあり、スピードを上げながら進むも辺りは夕の帳が落ちそうである。
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。。。。。。途中で見た夕焼けに染まった富士山のような山が見えた。この西南に位置するところなので富士山ではない。あとで豊橋の人に聞くと”それが三河富士です”と教えてくれた。
途中で年輩の方に出会う。これから白須賀に向かうようだが後30分もすれば真っ暗である。でも荷物が小さいので近隣の方だろうと思い心配をするのはやめた。ようやくにして二川のガードを潜り筋違橋を渡り、二川宿に入る東海道本線の第二踏切を渡りようやくにして二川宿の東の入り口に到着。すでに狭い二川の街道の両側の民家も明かりがついているところは少なく、真っ暗状態である。商家である西駒屋、二川本陣を過ぎようやくにして二川駅前の信号となり駅に到着。今日は二川駅から一駅先の豊橋まで電車に乗り移動、18:58に豊橋着。駅前大通りの(ホテル東横イン)にチェックイン。二川宿の街歩きは明日午前にやり直す予定。
。。。。。。。。。。。本日の歩行成果。。歩行数..30757歩。。。距離..21,52キロ。。。歩行時間..5,05h。。正味所要時間..6,45h.....街道の実測距離は新居から二川まで12,2キロだが9キロ近く余計に歩いている。


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台風一過、富士山また普通の山になりました

2017/10/30 20:51
。。。。。10月30日(月)。。。晴れ風強し

。。。台風22号が予想より早く太平洋岸を通り過ぎ宮城沖あたりで熱帯高気圧になったようだ。朝愛犬の散歩中に富士を見ると、昨夜の大雨と大風でいつも見る黒い富士山に戻っていました。富士山初雪、初雪雪化粧宣言のあった27日からたった3日後である。今年の富士山の初冠雪は平年より23日遅く、昨年より3日早いそうだが、初冠雪の23日も21号の台風一過で気温が上がりお昼頃には雪は完全に見えなくなったようだ。
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。。。。。。10月26日(木)。。。。快晴。AM8:10.日大藤沢より撮影。。正に新雪の富士である。
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。。。。。。10月30日(月)。。晴れ、風強し。六会日大前駅、PM1:35頃日大側より撮影、いつも見る黒い富士。
どうも今年の秋の天気はおかしいよ。!おまけに今日は木枯らし1号だと発表された。新雪の富士を期待しても無理なようだ。今日からしばらく天候がよさそうなので東海道歩きを明日から再開の予定。静岡のはずれの新居宿から白須賀宿、二川宿、吉田宿、ついでに豊川稲荷に参拝,御油宿、赤坂宿と2泊3日で旅してきます。
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富士山の今年の初冠雪はいつだったの?

2017/10/28 16:07
。。。。。。。初冠雪がいつだったのか、すこし判らなかったのでつまらないブログをあえて作ってみました。

。。。26日は久しぶりの雲ひとつない快晴の朝である。愛犬さんの朝散歩を6時過ぎから始め、我が家近くから見える富士山を遠望すると、なんと頂上から6合目あたりまで、相模、甲州側に新設が下がってきていた。犬の散歩を早めに済ませ午前中の9時頃までが撮影の好機と思いカメラを取り出し、自分の思いのスポットに出かけて見た。
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。。。。。。。。小田急線、六会日大前駅。駅前からの遠望。。。。。
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。。。。。。。。六会駅、二階コンコースの日大側からの遠望。。。。。
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。。。。日大の西側の場所が富士山が一番良く見える場所なので移動。途中獣医生が散歩で連れていた大型犬に出会う。でも犬種は忘れてしまった。
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。。。。。。日大西側の天神町の入り口付近からの遠望。。。。
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。。。。。。日大の横にある六会保育園付近からの遠望。。ヤシの木を前にしたアンマッチの風景。
4枚ほど富士を撮って見たが、いずれも右裾の山梨側の6合目あたりまで雪が下がってきている。実はここで今日が初冠雪なのだろうと自己判断してしまう。現場から知り合いに電話してみると富士の初冠雪は”今日でなく2〜3日前に発表されたよ”と聞いたが、相手も少しあやふやに感じた。
。。。10月27日の朝のワイド番組で今日(富士山初雪、雪化粧宣言)が発表されたと報道があったが、あまり聞きなれない言葉なので、初冠雪は一体いつなのか疑問に思い、お天気相談所にテレし確認をすると、10月23日に甲府支局から午後に発表されたとの返事あり、その前には”調べますのでお待ちください”と云われ少し反応が遅いのに不信を感じました。富士山の初冠雪は気象関係でも秋のトップ、ニュース現象なのに、予報関係の方もそんな程度の感触なのだとがっかりしました。曇りの日が多い週間でしたが、毎日の犬散歩のときに富士を遠望するといつも黒い富士山しか見られず、今年は馬鹿に遅いな〜と感じていたのが実感です。10月22日に横浜で土砂降りの中昔の仲間とオダを上げていたが、翌日の23日も藤沢は10時頃雨が上がり、犬の散歩で見た富士も黒く、まさかこの日が初冠雪の日とは思いませんでした。それにしても今一つあやふやな初冠雪のニュースであったと思いました。
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台風21号間もなく関東襲来の日に!

2017/10/26 13:46
。。。10月22日(土)。。台風まじか外は土砂降り。。。。。。。。

毎年春秋と年二回やっている元会社の仲間9人の集まり(今は一人5年前に旅立ちのため8人)「九心会、またの名を救心会」が横浜長者町の(大田なわのれん)で開催。当日(10月22日【土】)は台風21号の影響もあり、朝から土砂降り。しかし決められた日なので雨天決行である。この店創業150年の歴史があるだけに少々お高い(金子、風体とも)のが玉に傷、現役時代はメーカーさんの接待に同行してでの飲食だったので、高いのか?安いのか?無頓着であったことが思い出された。
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。。。。。。。。土砂降りなので店の顔はイラストでご勘弁を。でも昔からほぼ同じ形のはず。。。。。。
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。。。店の内部、2階の上り口から見た雰囲気。何か江戸末期の文明開化の花街の匂いを感じさせる。。
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。。。。文明開化と大正ロマンの香りのする待合室の一景です。。。。。。。

。。。。本題の救心会に話を戻します。メンバーは数えの傘寿が5人、喜寿が一人、後期高齢2年生と1年生とで二人、老域に入っている8人だが、いたって元気溌剌だが5〜6人がやや飲み過ぎのきらいがあるので要注意である。





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。。。。。。。いよいよ宴席の始まりで〜ある。まずは牛鍋作りから、幹事亭主は眺めるだけである。
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。。。。。。。。牛鍋の出来上がりは美味いのだろうね!。。。。。
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。。。。。。撮影者の仙丈(線上)カメラマンをのぞいて先ずは健康と飲み過ぎを注意して乾杯!!。。

。。宴半ばで半年間の近況報告。順番は別として書道家,絵描き、介護何でも屋、天才にならなかった囲碁の名手、街道歩きを止められない馬鹿者、ハワイアンパーティーの名演出家、ここ数年でグーンと腕を上げた線上のカメラマン、酒とウクレレを手放せない三浦半島人、以上8名から近況報告をサラッと流す。一人お呼びする予定の元WOWOW会長は三枝成彰さんの作品のオペラのバックコーラスの一員のため、また来年のカーネギーホールでの合唱団の出演に備えた練習で今回は欠席、春の浜のランドマークでの懇親会での思い出もあるので、今回は小生のこのブログを孫のご指導で見ていただければ当日の雰囲気はすぐに読めるはずです。
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。。。。。。終宴近くなると9人兄弟の長男と末弟は飲み疲れの雰囲気になりだしている模様だ。
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。。。。。。。長男坊の終宴ご挨拶。何となく酔った顔つきです。。。。でもこの会無事終了。
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。。。。。散会前に集合写真撮影。二枚撮ったが撮影者はこの店の8代目の亭主勇人さんだが我々の雰囲気に圧倒されたか、ややピンボケです。でも今の老人生の雰囲気に合ってるかも?真ん中が今日のハイライトの二人である。兄貴の肩に手をかけて、かなり良い加減の出来上がりです。

。。。最後に今日のハイライトは絵描きさんである。2年ほど前に湯河原での一泊会の時は馬鹿に静かであったが、何と思ったか、今日は突然元気溌剌、酒は本来弱いくせに我々客人に注ぐわ、注ぐわ、”いったいどうなっちゃたの”と一番若いウクレレさんが感激して、ガバ,ガバと飲みだす。正に絵描きとウクレレの協奏曲である。
3時近くに散会して、所要がある方は帰り、二次会の雰囲気を待つ、飲み足りない4人の面々が、伊勢佐木町方面に歩きだす。小生はナレオハワイアンの足取りが気になり、タクシーが拾える大通りまで同行、別れてから二次会大好き人間が集まっている店に向かうが、こちらも方向音痴となりようやくにして目的の店に到着。2時間ほど、つまみ少々、酒は沢山でオダを上げる。飲み、語るうちにあっという間の夕の5時である。相変わらず外は土砂降り、間違いなく台風は今夜には関東襲来、早めの帰宅となる。日乃出町でそれぞれ、バイ、バイ、酔っぱらいは気をつけて帰りましょう。それにしても疲れました。


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大河ドラマに誘われて、zurich井伊谷城に向かう。。3日目(最終日)

2017/10/04 15:26
。。。。9月22日【金】。。。晴れ。。。旅の最終日(3日目)

。。。朝食を7時半ころに摂る。部屋に戻り息子の昨夜の入浴の時の話を聞く。風呂からあがると冷たい水、お茶などが飲める(舘山)と云う休憩所がある。休憩所の砕氷室の窓から見えたあるものの話である。
湯上りの休憩室の山側の窓から(舘山)と云う小さな山があり、聖観世音菩薩があり、よく見ると安倍晋三首相にそっくりの顔で吃驚仰天だったと述懐していたので、野次馬根性で朝食後10階の風呂場の休憩室の窓から腰をかがめて見ると、なるほど裏山の山林から聖観世音菩薩の顔だけが見えた。早速写真に収めた。
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。。。。なるほど似ているようにも見えるが、息子が云うほど似ているとは思えないが、夜はこの像ライトアップされているので陰影がはっきりしているだけに、安部首相の顔に相似していたのだろう思う。ロビーで母娘に写真を見せると”そんなに似てないよ〜”と大笑いの連続でした。
。。9時半にチェックアウトして今日の見学コースに向かう。浜名湖の(はまゆう大橋)を渡る前にグランドゴルフ場の駐車場にダグラスDC−3の飛行機が展示されている。車を止め見学。1946年戦後5ヶ月後の1月14日に上海から東京にいるマッカーサー元帥に表敬訪問するために飛び立ち、悪天候で佐渡島の上空まで流され、高千穂海岸に不時着。地元の人の協力に寄り修理と復元。しばらくは佐渡島に展示されていたが、維持費がかかるため手放し、確か此処浜名湖のグランドゴルフ場のオーナーが取得したようである。実際は映画(飛べ、ダゴダ)と云う映画を作るときにこの飛行機のコピーを作り、撮影に使われたものを再復元してこの浜名湖湖岸の駐車場に展示されたようです。この飛行機は1947年にカリフォ二アで生産され、英国海軍が引き渡しを受け、主に要人専用機に使用され、その時に機長の奥さんの名前を付け,シスター、アンと名前が付けられたようです。本物のシスター、アンはフロリダ州のエイボンバーグ空港の格納庫に保管されているらしいです。
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。。。。展示されている、シスター、アン、の風貌を全体と(上の写真)、シスター、アンと書かれた機体の前部。
。。(飛べ、ダゴダ)の映画は平成24年2月に制作され、翌年25年に公開され、主演は比喜愛未ですがzurichは見ていないので、JCOMの映画で探してみて見ようと思っています。
。。。飛行機の見学を終わり昨日休館であった中村家住宅に向かい、10時過ぎに到着。東側の住宅入口の長屋門から入館、70歳以上のシニアは無料、娘、息子たちは200円の入場料。受付の係の女性背中が少し曲がっているが、背の高い方で80歳くらいとお見受けしたが説明も上手く、今回の旅の最後にふさわしく厚みのあるひと時を過ごしたように思えた。
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。。。。長屋門を入場する我が連れ合い。門の向こうに歩いている方(女性)が今回の説明員です。
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。。。。。。。中村家住宅全景。。。
この家は家康の側室お万の方が於義丸を生んで育てた家である。於義丸{のちの結城秀康}は家康の正室が生んだ2代将軍秀忠の実兄であり、豊臣秀頼の義兄でもある。二人の弟たちは天下人になったが、当人は側室の子供と云う運命にあり、実父家康の計らいもあり、越前北の庄の初代藩主となる。数奇な運命を背負い34歳の若さで没する。またこの家には於義丸の胞衣塚(えなつか)も残されている。塚には家康お手製の梅の木がある。
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。。。。。。。。。居宅の内部の様子。。。
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。。。。。。。。茶室。。。。
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。。。。。中村家住宅裏庭からの全景。。
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。。。。。。。外の駐車場から門塀の雰囲気。。。
11時半ころ中村家を離れ、浜松市内に進む。途中スズキ自動車の歴史館を見学。本当は予約しないと入れないのだが、県外からルールを知らないので来たと話すと、入館を許可してくれた。ちょうど小学生が社会勉強に来ていたので、子供たちの見学終了後から見学をさせていただいた.。1909年に創業、1920年に織機メーカーとして設立、その後二輪車、四輪車、船外機などを生産、のちに自動車生産の会社となり、館内の歴史的なものを見ると、世界中にスズキ自動車の現地会社があるのには驚いた。車にあまり関心がない小生であるが再発見の一駒である。14:50の新幹線に乗るため、先ずはレンタカーを返しに駅前のTIMESEに向かい車を返却。駅内のショップで各自土産物を物色し、購入。構内にある回転ずし(沼津)で最後の昼食。息子は掛川城にも行きたい希望があり、我々と別れ、一足先に掛川へと向かう。したがって家族旅は此処で終了となる。新幹線を一台早めて14:21に乗車小田原経由で藤沢へと帰路を採る。
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。。。。改札を入り構内のウインドに展示されていたヤマハの白熊親子を撮る。まるで気持ちよさそうに寝ている姿は本物のようだ。
16時半に家に着き、ホテルに預けたジュン嬢様を引き取りに行く。4日ぶりのご対面。動物病院に行くとすっ飛んで出てきた。”どこに行ってたんだよ”と云わんばかりの顔であった。
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。。。。。。。。我が家に帰りようやく落ち着きました。”お留守番御苦労であった”。。。。









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大河ドラマに誘われて、zurich井伊谷城に向かう。二日目

2017/10/01 12:19
。。。9月21日(木)。。晴れ
今日は旅のメインである。朝食会場に7時半ころ出かける。特設の朝食会場はすでに7割ほどの混み具合である。そういえば昨夜ホテル前の駐車場には成田番号のバスが3台停車しているのが思い出された。おそらくチャイナ系の方々が大挙して来ているはずだ。ありふれたバイキングスタイルだが食種は多くのメニューをそろえている。

9時半にホテルを出発。まずは氣賀関所の傍にあるNHKの大河ドラマ館に向かう。浜名湖の北東のはずれにある氣賀に30分ほどで到着。此処は姫街道と呼ばれる一角だが関所が存在する。江戸から大名の子女が故郷に戻るため嫌でも此処を通らなければならないが、江戸から逃げ帰る婦女子も当時多かったようである。東海道の関所と同じように、〈入り鉄砲に、出女>のお改めは厳しかったようだ。小さな関所の門を通り抜け、いよいよ大河ドラマ館に入場。ドラマの(女城主、直虎)はこの周辺が主な舞台になるだけに、掛川城内の展示場、浜松城内の展示物とはうって変わって小さいながら歴史の舞台を工夫を凝らして展示されており、一見の価値はあるな〜と思いました。木曜とはいえ、ツアーで来る人、家族で来る人、単独行の人とかなりの賑わいである。
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。。。。。。。。気賀関所に入る現在の出女であるzurich家の母娘。。。。先に見える門は出口の門である。
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。。。。。。。。。。関所の出口の門で出女と色眼鏡とマスクを調整中のzurich。。。。。。。。
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。。。。。。。。気賀関所のお改めの屋敷。。。
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。。。。。ドラマ館内は撮影禁止なので唯一[井伊谷の井戸端セット]のみ撮影可なので一枚だけ撮る。
。。。。。橘の木に寄り添うように立っているのは井伊直親役の俳優三浦春馬さんです。
約一時間ほどの見学だが、いささか疲れを覚える。次は直虎が活躍、生活をしていた井伊谷の集落方面に向かう。途中狭い農道のような坂道を登る。ナビにも建物らしい目印はないので、地元の人がいたので井伊谷城方向を聞き、急な坂を登る。峠状になったところに井伊谷城方向を示す道標が見え、狭い道の神社側の右端にギリギリ駐車をして、母娘は車に残し、名もなき神社と井伊谷城への入り口まで散策。
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。。。。車をギリギリにこの神社の入り口に停めたので、お礼を兼ねて参拝。神社の裏の山中には草に埋もれてはいるが巨石があった。本当は近くに天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせきあと)があるはずだが寄らずじまいとなる。
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。。。。。。。。井伊谷城への道標。290メートル先と書いてあるが城跡見学とその場の状況を観察すると小一時間かかる恐れがあるので断念する。
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。。。。。。。。。。この道が井伊谷城へ続く道である。。。。。。。。。。
車に残している母娘を連れていく場合はおそらく一時間半強となるように感じ残念ながら城入口の場所で我慢をした。
この城付近の探索には軽自動車で来て後は徒歩で探索するしか手がなさそうだ。峠を降り今度は井伊家ご先祖様が祀られている龍潭寺(りょうたんじ)に向かう。寺入り口の狭い駐車場に車を止め寺の見学を始める。こんな片田舎に不釣り合いの素晴らしい大寺院である。でも往時はこの辺りが井伊谷の中心地であったので片田舎どころではなかったはずである。
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。。。。。龍潭寺の宿坊入り口である。建物は左に長く伸びており壮大である。。。。。。
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。。。。。。。。。。。この寺の鐘楼である。。鐘は此処にはなくほかの建物に移されている。。。。。。。
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。。。。。。。。。。女城主、直虎様がお出迎えである。此処もこの場所しかカメラは使えません。
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。。。。。。。。。。お庭側から見た龍潭寺の壮大な建物である。。。。。。。
寺内には歴史保存のものが多くほとんど撮影禁止である。印象に残ったことは、幕末の大老井伊直弼公が鎮座する場所が保存展示されているのにはすこし驚きの感あり。彦根藩、初代の藩主井伊直政公以下歴代のご先祖様への拝礼に立ち寄っている証拠です。寺院内を出て今度は外の様子を散策しながら見学。
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。。。。。。小堀遠州作の本堂の中庭にある国指定名勝の庭園、四季折々に楽しめる庭園らしい。
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。。。。。。。井伊家歴代の城主の墓所。初代から24代井伊直政公(井伊家再興の主】までが祀られている。
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。。。。。。。。縦列左の2番目が井伊直虎が埋葬されている場所也。。。。。。。

一通り人並の見学が終わり、遅い昼食を摂る。次に行く場所を食事をしながら相談。蕎麦やだが印象に残る店名である。。。曰く、雅、楽之助と云う名前であった。ルーツはわからない。次はお万の方が生んだ於義丸が育った中村家住宅へと向かう。姫街道を浜松方面に進み、途中から舞坂方面に向かう。15時半ころ中村家に到着。さて入館するかと入り口を探すが迷う。受付に電話するも”本日は休館日です”と留守電。残念至極である。!!一時間近くの無駄走りであった。調べずに走ったのが罰となる。明日最終日の午前中に再度訪問。舘山寺のホテルへの帰路の途中にある、なんとなく興味のある寺、(宿蘆寺)に寄る。電話を入れると16時半までは自由に入って良しとのこと。寺につき拝観しようと思った時寺番らしい老夫婦が車で出てきて、”4時半までは勝手に入っていいんだよ”と云い自分たちは農作業のかたずけに行くらしく出かけてしまった。
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。。。。。宿蘆寺(しゅくろじ)本堂全景。写真写りは良いが実際はなんか異様な雰囲気である。。。。。
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。。。。。本堂内に入り正面にご本尊が特設の檀に祀られていた。本当は上に上がりもっと確かめたくなったが、なんか異様でその気にならなかった。
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。。。。。。。。。ご本増の後ろの部屋に金色のお位牌が沢山置かれていたので覗き見をするようにズームで撮ってみた。この寺の檀家衆の歴代に渡るご先祖様達だろう。

この寺は家康が(三方ヶ原)の戦で武田軍に敗れ、命からがら浜松城へ逃げる途中に道を間違えて、この寺に逃げ込んだと云う説があるようだ。文献で見ると近くの浜名湖湖岸に生い茂る蘆の中にあった小舟で家康一行が寝ていたのを、この寺の住職が見つけ、寺に案内してそれ相当のおもてなしをしたと云う話である。後に浜松城に戻り、負け戦の自分のしかめ顔を絵に描かせ生涯戒めにして持ち歩いていたようである。
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。。。。。この(しかめ顔)は浜松城に展示されていた蝋人形であるが、描かれた絵ではもっと弱弱しい顔になっている。今回手持ちの絵がないので蝋人形を転写したものでご勘弁!!
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。。。。宿蘆寺山門。山門の左右には首なし地蔵が立っている。やはり異様な古刹の風景である。。。。。。。。
寺を去り17時半ころホテルに到着。ひと風呂浴びて夕食に外へ出かける。今日は浜名湖名物、ウナギ三昧とする。息子は鰻サンド、飯の真ん中にもウナギが乗っている。これこそウナギ三昧である。zurichと娘はひつまぶしを注文、連れ合いは疲れもあるせいかごく少量のうなぎの握り寿司三貫である。これは三昧でなく少々である。でも他の三人は良く食べました。では今宵は早く寝ます。お休みなさい!!
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大河ドラマに誘われて、zurich井伊谷城向かう。!

2017/09/27 11:56
。。。。。。。2017(平成29)年9月20日(水)。。晴れ。。。。。。

7月初めに東海道の新居宿まで歩いたが、8月と9月は大暑&雨連続の予報なので、しばし音を沈めるも、8月に息子より後取りの夏休みに(女城主、直虎)の足跡のあるところに行くのでとお誘いがあり、結果的には我が夫婦、娘と、息子で大人になってからは始めての家族旅行の形となり、2泊3日の大河ドラマ旅となる。出発は20日の朝になるため、かわいそうだが愛犬様を前日の19日の夕方に預けに行く。ワン君は3泊4日のホテル住まいになる。少し後ろ髪をひかれる思いはあるが、人間様の旅となると動物を飼っている宿命でホテルに預けなければならない必要悪となるが仕方がないことである。
。。。。小田原発11:06発の新幹線(こだま)に乗り継ぎ一路浜松を目指す。予想どおり連休明けの車内(自由席)は楽々座れる状態である。新富士あたりで久しぶりに黒い富士山と面会できた。
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。。。。。。。左前方にかすかに黒い富士が望めた。。。。新幹線車窓より

浜松駅12:27着。駅南口のTIMESと云うレンタカ―屋さんによりマツダの車を借用、息子の運転で浜松城に向かう。駅から城までは7月6日に歩いているので自分だけは勝手知ったる道である。浜松城公園の駐車場に車を止め、先ずは腹ごしらえで近くのホテル、コンコルドの和食「堂満」で昼食を包ばる。このホテルの名前場所柄ピンとこない名前である。由来を調べて見たが有力な情報はない。マッハ2のイギリスのコンコルドが現れたのが○○年であるが、このホテルが出来たのは1997(平成9)年であり、結びつく根拠はないので、おそらくコンコルドの飛行体が優美なものであるので、このホテルの外観、内観とも優美なので、詮索するとそのあたりを自画自賛して造られたようである。この場所は遠州鉄道、奥山線の元城駅(廃駅)で奥山線廃線に伴い廃駅となり、1997(平成9)年にこの跡地に(ホテル、コンコルド浜松)という大きなホテルになったのである。今は阪神、阪急グループの加盟ホテルである。余談が長すぎた。

昼食後浜松城見学に向かう。此処は直虎の関連も少しはあるが、むしろ家康の若き日の思いが込められた所である。公園入り口からなだらかな坂を登るが、連れ合いの歩行補助に普段使用中の一本杖から、二本ストックに切り替えて、四本足歩行にさせた。城に登城する天守門に行くにはいきなりキツイ石畳の坂になるからだ。天守門を潜り、広場から天守閣に向かう母娘を見ると二本杖で一生懸命に登る姿に、城から下りてくるお客さん達は連れ合いが登りきるまで待機をしてくれている。チャイナ系の客以外の日本人客はやはり老人に対しての親切心はしっかりしていると改めて思い直した一景であった。城の係の方も”よく頑張りましたね”と褒めてくれたようです。zuricuは7月6日の街道歩き初日に見ているので、城前の広場で家族たちの見学を待つ。”なぜ神さんがいるのに行かないのか?”行くと先を急がさせてしまう恐れがあるからです。
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。。。。。天守門を潜り、説明版をのぞきこむ母娘、これから後ろの城に登るのです。。。。。。
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。。。。。。。。。。これは城側から見た天守門です。。。。。。
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。。。。。。。若き日の家康の像の前のzurichです。武田信玄との戦いの三方ヶ原の敗戦前の姿だと思う。。。。
浜松城の閉館時間は16時半なので約2時間半ほど見学、散策をして今宵の宿、舘山寺温泉のサゴ―ロイヤルホテルに向け車窓の人となる。山坂の間を通りぬける街道を走り、舘山寺に17時過ぎに到着、無事チェックインをする。ひと風呂浴びたいが外で夕食を済ませてからにする。なぜなら酒が飲めなくなるからです。風呂は酒が抜けた23時頃に入浴。Good,Nightである。また明日!!


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東京、日本橋の首都高、地下になるの?

2017/09/11 16:38
ブログを書くのはほぼ一カ月ぶりである。タイトルの記事が先週の7日(金)に朝日の朝刊に出ており、急に10年前の街道歩きの日本橋スタートを思い出した。平成19年10月11日(木)が日本橋から街道歩き(中仙道)の一歩を踏み出した日です。その日は昼前頃に日本橋で近くの小学生が日本橋復活のインタービューをやっていて、自分も小学生に”高速道路を地下に潜らせ、日本橋復活大賛成”と答えてから歩きだしたのを思い出しました。然し、実現の頃は、我が人生の火もともしびとなり、なんかむなしさを感じたのを覚えています。
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。。。。。首都高下の寂しい「お江戸日本橋」。。。
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。。。。。。。。。9月7日【金】に出た朝日の朝刊の記事の一部です。。。。

新聞の記事によると国交省と東京都が7月に首都高の「地下化に取り組む」ことを表明したが、工事の始まるのは東京五輪、パラリンピックが終わってかららしいので、10〜20年とされる工事期間中は今の高速を使いながら工事がされるようだ。この首都高は因縁深い歴史がある。昭和39年の東京五輪開催に向けて、橋の上に高速が作られ、今度は2度目の五輪終了後に地下に潜らせることを15年前から検討されていたが、中央高速の笹子トンネルの崩壊事故で高速の老朽化対策が強く意識されたようだ。しかし周辺は地下鉄が何本も走っており、大変な工事になるようだ。今のままで新しい道路に付け替えても1400億、地下に潜らせば5千億と云う試算がされているようだ。今回の五輪開催が決まったころは、五輪開催に間に合わせるような論議があったことが思い出されたが、冒頭に書いたように工事期間が20年だとすると、空を見上げることが出来るお江戸日本橋を見るには、(人生100年時代)と云われることを実現できないと無理と云うことである。(笑い)
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脅しなのか?!本気なのか!?

2017/08/15 11:04
ここのところブログさぼりがちなので久しぶりに投稿してみたくなった。今日は太平洋戦争終結の日である。また今話題のミサイル発射のXデ―である。ここのところ毎日のように北とアの挑発応酬合戦が続いているのが気になりだした。
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映像は7月5日にテレビに映ったものである。ICBM、火星4号の発射の時に公開された内容によると、飛行距離は6000〜6700キロと云われているが、さらにそれを上回るICBMも開発され,10000キロは行けるようでアメリカ合衆国のほぼ全域に到達可能らしく、照準も殆ど狂わないようだ。
。。。今回の米のグアム島戦略基地近くへ向けての発射計画が毎日公表されており、金正恩親分の命令があればいつでも対応できるらしく今日だけは少し前より違った刺激を感じている。林先生の”いつやるの!””今でしょう!”となったら世界中、いや地球上全体が動揺と危害に脅えるのは間違いないと思う。最近のトランプ氏の北に対するコメントは次第に過激になっているが、相手の北のコメントは凄く具体性があるだけに嫌な予感を感じる。
思いつきの感想であるが、自分自身は日常好き勝手にのんびり過ごしているだけに何ともやるせない気になっている。
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THE,21st。。NA,LEOPARTY,in,GPH新高輪、「飛天」

2017/07/21 12:32
。。。。四日前の17日(海の日)は毎年行われる、稲門会のナレオ、パーティーである。早いものでもう21回を迎えるようになりました。現役時代に同じ営業の仕事をしている、一応3年後輩がこのパーティーの実行委員長であり、何かと触れ合いの多い呑み助の仲間の一人なので、この会には常連として参加している。
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。。今年もボニージャックスを招きまたハイソのOBバンドも加え盛大なパーティーになった感じがします。

。。参加した仲間は元会社のOB4人である。4人とも21回開催のうちほぼ半分は参加しているメンバーである。今年も実行委員長の配慮もありほぼ真ん中の13テーブルである。仲間の一人の友人が私の隣で、ウクレレの某バンドのリーダ―らしくいろいろと教えてくれるのでまた見ごたえが増えたようにも感じました。この方逗子の小坪にお住まいで、小生もあの地区は昔はよく行ったところだけに、話がマッチングして大変にうれしかったです。そういえば参加している我々4人以外の知り合いも結構見かけた。2カ月前に懇談したWOWOWの元会長にもまたお会いでき、前回の宴の参加の御礼はさせていただいた。高齢とはいえ相変わらずの元気さでした。
宴も半ばになりいよいよ今日のゲストボニージャックス&ハイソOBバンドの出番である。
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。。。。。。。。ボニー―ジャックス4人の面々です。。。。相変わらず素晴らしいハーモニーです。。。
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。。。。。。。。ハイソサエティーOBバンドの現在の古(フル)メンバーです。。昭和60年代、70年代の方たちです。
ボニーの歌のバックバンドで(Side、By、Side.)。。(On,The,Sunny,SIde,Of、The,Sreet)など小気味よいジャズのリズムを生で久しぶりで聞くことができました。
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。。。。。どこかの会場で演奏中のハイソサエティーOBバンドの連中です。どうも演奏会はやっているようなので探してみようと思っています。社会人になったころの会社の後輩(大学も)がハイソの演奏会を聞きたがっているので。
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。。。。浅井慎平さんも時間が少なくなり1曲だけボーカルで歌を披露、本当は歌がうまいのでもっと聞きたかったし、本人も歌いたかったと思います。
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そろそろお開きタイムが近づいてきているようだ。W大現役のハワイ民族舞踊研究会の女子メンバーによるフラ。
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。。。。。。。。。総合司会の露木茂氏。毎年ご苦労様です。またどこかで会いましょう。。。。
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。。。実行委員長の最後の御礼挨拶。。実は彼の奥様は昨年8月に逝去され当初は大分堪えていましたが,今日のあいさつもいつもより長く、かなり後遺症も減り、来年も盛大にやりたい意思を皆さんに伝えていました。これからも精一杯頑張ってほしいと思います。
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街道歩き。。。東海道。。24回。。24日目

2017/07/20 12:47
。。。。。。。。。。。。7月8日(土)。。。。。。。晴れ。。。

。。。舞坂宿(西端、弁天島)〜新居宿。。。舞坂宿の西端から3,9キロ。東端から5,9キロ。。

。。いよいよ今回の歩きの最後の日である。二日半のうち一番見ごたえがある新居宿だ。何故かと云うと、関所の建物が解体修理はしたが当時のまま現存しているのは此処だけである。最後の歩きは最初の日より実測では短い3,9キロであるが、こまめに水補給がポイントと思う。舞坂宿の東端からだと5,9キロだが昨日少し先の弁天島まで稼いだので一番短い距離になるのです。
。。昨日チェックインの時、朝食時間の時間を聞かれ7時に予約した。朝食は7時、7時半、8時、8時半と4部に分かれているシステムをとっている。東南アジア系の客が多いのでこのシステムをとっているようだ。もう一つ驚いたのは、経営破たんのホテルを引き継いだとはいえ、部屋に入る扉が昔のカギ式でオートロックでないのにはビックリ仰天であった。
。。朝食を7時半に終えて、すぐアウトできる状態だが昨日と同じ8時半に出発。
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。。。このビルがThe,Ocean,hotlです。見た目には素晴らしいリゾートホテルです。。。。。。。。
。。国道の右側の歩道を歩き先ずは中浜名橋になる。この橋を渡ると湖西市になる。横に長い浜松市とお別れである。
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国道の左側に津波避難塔が見えるがこの場所が日本のど真ん中になるようだ。「日本のど真ん中」の標柱があるが幅広い国道を横断しなければならないのでやめにした。古橋屋と云う釣りの民宿を左に臨み、西浜名橋に到着。歩いてからまだ25分だが暑さに負けて橋のたもとで一休み&水補給。10分ほど休み再出発。この橋は車道と歩行者自転車専用道路と別れて作られている。この歩行者専用の橋が元の西浜名橋で車専用の橋は新しいものである。元の橋は文献では昭和4年建設とあるから今年で88年目になる。
どうも疲れと暑さで写真撮りにさぼりが出て、この橋も撮らずじまいである。橋を渡り右に浜名湖競艇場の看板が見え、右前方に競艇場の建物が見えだした。大橋屋と云う釣り道具屋さん前で又一休み。歩いてからちょうど1時間ちょっとである。その先にブリダ―がやっているドッグホテルがあり関心があるので良く見ると1泊食事付きで1400円だ。おまけにドッグランも奥にあるらしい。つい我が家の傍の動物病院兼ホテルと比較をしてしまった。何となく用足しがしたくなり、新居町駅でトイレに向かうも改札前にはない。ホームに入らなければだめなので駅員に断り許可してもらった。
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。。。。。。。。これがJR東海道線の新居町駅です。さっぱりした感じで、ピンとこない駅です。
トイレ休憩で又一休み。心のうちでは今日は距離が短く午前中には関所見学なども含め早じまいできると踏んでいるので休みが増えていると思います。
。。。。駅から関所に向かう。浜名橋を渡ると橋の欄干沿いに広重の浮世絵が10枚ほど石板に張られてあり、旅人にとっては昔の風情を感じさせてくれる。沿道の建物も江戸時代をイメージしたものが多くなってきた。
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。。。。。広重の新居宿からの渡り船の風景です。。。。。
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.。。。荒井宿に渡りこれから関所に向かう一行の様子だと思う。これも広重の絵です。。。
。。。。。。橋を渡ると目の前に新居宿の関所が現れた。外側の柵もしっかりと整備されている。しかも面番所は当時のまま現存、保存されている。
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。。。。関所を前面から全景を映す。中に入り正面を右に回るとお取調べの役人が待っている。
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。。。。。。此処が面番所であり、手前からお偉いさんが並んでおり、此処で(入り鉄砲)と(出女)を特に御調べになったようだ。
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。。。。。。此処は勝手口であるが出女改めは本当はちゃんとした部屋があったようだが復元できてないので此処に飾られている。この女性が江戸から出てきた女の素性を徹底的に調べたようだ。出女調べの部屋もこれから復元する予定があるようだ。
。。。関所の内外を一回りして関所の大御門を通り宿場の中に向かう。
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。。。。。。。。。。。。関所入口の大御門。。。。。。
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。。。。。。。。。大御門の手前にある高札場。。見事な復元である。。。
。。。関所の内外を一回りして大御門を抜けて宿場の中へと進む。旅籠の「紀伊国屋」の見学チケットは関所に入るときに貰ったが、芸者置屋(小松楼)を先に見学。
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。。。。。。。。芸者置屋全景。。。残念ながら江戸時代のものでなく大正期から戦後の昭和22年ころまで営業していたようである。最盛期にはこの地区に芸者置屋が11軒もあったようだ。
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。。。。。。。小松楼の2階。宴会場に使われていたようだ。。。
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。。。。。。。。。。。。小松楼の2階に上がる階段。やはり大正、昭和の戦前の匂いがするようだ。。。。
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。。。。。この小松楼を管理、運営をしているNPOの方に案内していただいた。目の前の階段で2階に上がり良き時代は大宴会の始まりである。小生の風袋を見て"もしかして街道を歩いている方?"と問われそうだと答えるとその方もたまに電車に乗り東征をして東海道を西下しているらしい。”此処は日本のど真ん中だから、上りも下りも上手く日帰りできるので便利です"と云われていた。やはり同好の志と思われ親近感がわいてきました。お歳は同じかと思ったが昭和16年生まれで自分が13年だと判ると"まいった!!"と最敬礼してくれた.旅の触れ合いの一齣です。置屋見学の後に今度は旅籠の(紀伊国屋)に赴く。
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。。。。。。。現在の紀伊国屋の一風景です。
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。。。。。。。。。。。。これは案内パンフからの転写ですが正に往時はこのような雰囲気だと思います。。
この辺りには20数軒の旅籠が建ち並んでいたようで紀伊国屋は元禄16(1703)年に紀州藩御用宿に指定され、昭和30年まで250年もの間旅館業を営んできたのである。
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。。。。。。。。。。。。。。。宿の雪隠(せっちん)。何もない方が前で後ろの手すり見たいのは座って袴を被せる場所と後で知識を得ました。
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。。。。。。。。風呂桶と風呂場の広さに少しびっくりしました。。。。。。。。
一通り新居関所、新居宿場を見物したので、今日は此処で街道歩きをストップすることにした。浜名橋を渡り、左側の薬屋さんの軒下を見ると子燕がピーチク鳴いている。そばに近づきズームでパチリ!
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。。。。。。。。。まるでチビ燕3羽がご苦労さんと見送ってくれてるような雰囲気である。お返しに次はこの宿場から歩くからと独り言を言い、バイバイをする。
。。。本日の歩行成果。。歩行数...10063歩。。。歩行時間...1,42H。。距離...7,04キロ。。正味所要時間..3,25H
11:55に駅に着いたので早めの電車で浜松経由新幹線で小田原乗り継ぎ藤沢へと帰路を採るる。
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。。。東海道本線快速浜松行。初めて乗った普通車のボックス席。。乗車している女性もやはりチャイニーズでした。

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街道歩き。。東海道。。23回。。23日目

2017/07/18 15:06
。。。。。。。。。。。。。7月7日【金】。。。。七夕。。。。。晴れ。。。。。。。

。。。。。。。。浜松宿〜舞坂宿(弁天島)。。。(11,1キロ)。。。。。。。。。。。

。。。。昨日6日は天竜川駅から午後12時半からの行動だったが、今日は暑さの影響もあり長丁場になる可能性が予測される。朝食を早めに済ませ、ホテルを8時半に出発。予定より30分早める。連尺の交差点を左に曲がり旧東海道(国道257)に進むも全く街道風情なし、淡々と前に進むだけである。あらかじめ調べておいた佐藤本陣跡、梅が屋本陣跡、など6か所ある本陣跡も目印らしきものが少ないせいか、ほとんど目に入らず、東海道本線が走る高架のところまで来てしまった。
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。。。。この高架橋の近くに掘留ポッポ公園があり其処に蒸気機関車などが展示されているようだがよらなかった。
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。。。。これが東海道本線が走る高架橋である。右は浜松方面、左は舞阪方面である。。。。。
この高架を潜り今度は東海新幹線の高架橋を潜り、鎧橋と云うところに到着。ちょうど1時間なので水補給と小休止をする。
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。。。。鎧橋の場所。平安時代末期比叡山の僧兵に攻められこの小さな橋を土地の武士が鎧を着て守ったことからこの橋の名前がある。双方で死者が千人あまりだったようだ。
一里塚跡(65里)を過ぎ、(二つ御堂)前に出る、自分の歩いている左側には明治天皇野立所の碑がある。
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。。。。。。二つ御堂。左奥の大木の下に八幡神社が見える。。。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。自分がいるところが明治天皇野立所の碑。。。。。。。。。。。。。。

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。。。。。。。。。この辺りは東海道の松並木であったようだ。写真では残る一本だけ。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。この町可美の鎮守様、諏訪神社。。。。。。。。。。。

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。。。。。。。。この看板は営業中の喫茶店の入り口にあったものです。。。。。。。。。。。
更に足を進めると熊野神社を過ぎて左のひっ込んだところに喫茶店があり、(営業中)の看板がドアの下にコソッと置いてあったので、コ―ヒーが飲みたくなり、暑いのでこの店に飛び込む。カウンターの右端に呼び鈴があり振って鳴らすと、"は〜い"と云って奥から熟年女性が出てきて、すぐに対応してくれエアコンもオンにして、小気味よく接してくれた。珈琲を頼むと"暑いから冷やしたスイカとか水羊羹もあるからサービスするので食べてよ"と云ってくれ水羊羹を所望する。ありがたきサービス精神である。それと折角寄ってくれたので少し話もしたい気持ちになったような気がする。この女性どうも子供、大人を問わず英会話の教室を開いているようだ。かなりインテリジェンスな方である。カウンターにある小冊子を見ると、東海道五十三次をペン画で書かれたスケッチブックだった。一ページを開くと何と藤沢の遊行寺から始まっている。横浜の戸塚あたりの方のようで、その昔歩く途中でこの店に立ち寄ったらしく,後刻このスケッチブックを送ってくれたようだ。粋な計らいである。脱帽!!個人話を交えているうちに、小生がW大卒と判り、11年生まれの兄が同じ大学で、よく校歌とか応援歌を歌って教えてくれたのが思い出されたようだ。残念ながらこの人のお兄さん4年を卒業して早逝したようで、ついでに”今はあの頃のようなバンカラはいないよね〜”と述懐していました。話しこむうちに長い休憩になってしまった。この高塚の喫茶店の名前は(モンテレゾール)と云って英会話もやっているようなので先程の写真を載せました。
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。。。。。。。。。。。。。喫茶店の英会話の先生です。長時間おつきあいありがとうございました。

喫茶店にお暇して20分ほど歩くと(名物舟そば)の看板が目につき正午すぎたのでこの(遠州庵)と云う蕎麦やに入る。周辺には店が少ないので店内はかなり混んでいる。"舟そばってなんですか?”と聞くと手打ちのざるそばらしいので注文、出てきたのは舟型の器にこぎれいに蕎麦が盛りつけてあるだけ!!食べて見るとこれは手打ちの味ではない。はっきり言ってたいしてうまくない。悪口を言うのは良くないが(名物に美味いものなし)とはよく言ったものである。蕎麦好きであるだけに家で乾麺を上手く茹でてざるそばを食べるほうがよっぽど美味い。自分の前に客が来たが、半分残して早々に店を出る。嫌な客の印象を残してしまったと思う。街道は広い国道から静かな県道(316号)となる。此処が旧東海道になるようだ。篠原の一里塚(66里)を過ぎて黙々と前進あるのみだが、この地区寺社が多いがあまり興味を抱くほどでない。馬群(まごうり)と云う町を通り西本徳寺を過ぎ交差点を渡ると右角に春日神社がある。昭和7年の社殿造営らしいが拝殿は古るそうである。
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。。。。。。。。。春日神社本堂。。。拝殿前には狛犬ならぬ雄と雌の鹿が迎えてくれる。。。
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。。。。。拝殿は古そうだが裏に見えた本殿は鮮やかに真っ赤に塗られており対照的な構図である。。。
この神社の先を右に行くと東海道本線の舞坂駅であるが立ち寄らず。その先の舞坂の壮観な松並木に向かう。ようやくにして街道風情に浸れる場所に来たようだ。単調な道を歩き続けたので一気に歴史が戻ったような感じである。
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。。。。。。。。舞坂の松並木街道。約700m続く。松の木は300本あると云う。。。。。。。。。
進行方向右の緑地帯には十二支の石像が50メートル置き位に飾られていた。。。。。。。。。
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。。。。。。。。。。。辰の石像です。裏には辰の刻が印字されている。。。。。
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。。。。。。。。。。。。街道の常夜灯もマッチしている。。。。。。
。。国道一号と交差するところに小公園があり(浪小僧)と云う少年の像があり何ともユーモラスである。。
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。。。地元の漁師の字引網に真っ黒な小僧が引っかており、殺そうとすると、"海が荒れたときには海の底で太鼓を鳴らして知らせる"と云って命乞いをしたと云う伝説がある。
この像を見ると何ともユーモラスに感じるし、近隣の雰囲気ものんびりしているから不思議である。交差点を渡り旧道を進むと(見付石垣)と云うところに出た。此処が舞坂宿の東端になるらしい。間もなく浜名湖である。
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。。。。。。。。。。。この見附石垣から舞坂宿が始まる。。。見附とは見張り所にあたり、大名が通行の時に人馬の出入りを監視し治安の維持にあたったようです。
細い道の左右には(のり)〈しらす〉の看板がある魚やが目につくようになった。舞坂宿は江戸から30番目の宿、この西には問屋場、本陣などがあったようだが、本陣跡は標柱のみであった。

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。。。。上は脇本陣(茗荷屋)の正門前である.下は内部の座敷である。平成9年に復元され一般公開しているが、16時が閉館なので入り口からさっと覗くだけに留める。
東海道が突き当たったところが船着き場であり、中雁木(なかがんげ)と呼ばれた場所で、雁木は北、中、南と三か所あり北は大名、幕府役人、公家。中は武家用。南は渡荷場(とかば)と云い庶民、および荷物用だったとある。
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。。。。。。舞坂漁港。。上の橋は浜名湖バイバスです。。。此処が南雁木だろうと思います。。。。。。。。
舞坂宿は三方海に面していて津波や高波の被害が多かったため、石垣や土堤を築いて宿囲(シュクかこい)を構築していた。浜名湖は中世までは陸続きであったが明応7年の大地震と津波で今切口が生じて陸が切れて外海とつながり淡水湖でなくなったようです。宝永4年(1707)のの地震で更に広がったようです。
時間も16時になろうとしてきたので足を速める。弁天橋を渡り、弁天神社を散見、そして今宵の宿The,Ocean(ジ、オーシャン)にチェックイン(16時半ころ)
。。。。。本日の歩行成果。。。歩行数。。20950歩..距離。。14,21キロ..歩行時間。。2,86h..正味所要時間。。7,53H。。実測では11,1キロだが暑さと疲れで3キロくらいオーバーしてしまうようだ。
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。。。。。。。。。弁天橋を渡る。。。左奥は弁天島のホテル群の一角。。。。。。。。
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。。。。。。。。弁天島の弁天神社。此処には正岡子規も来ており一句残している。。。。。。。。
チェックインして10階の海側の部屋に入る。少し荷物を整理し、明日も天気良好と判断。荷物を軽くするために宅急便で送る用意をする。17時半ころ4階の大浴場に行く。何人かが来ているが、風貌が少し違う。言葉から判断するとやはりチャイナである。脱衣室から風呂場への扉は開けはなしであり、シャワーの使い方も乱暴であり、全くマナーが悪い。とんでもないホテルを予約してしまい後悔している。風呂から上がり、宅急便の荷物用の空箱を調達に行き、部屋に戻るときにエレベーターが2階で停まりドアが開くと其処は夕食会場、ものすごくうるさい。やはりチャイナの人達が大声でしゃべりながらの夕食をしている。うるさい!!朝食のみの予約でよかった。夕食は外に出かける。
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。。。。。。。。。。。。。部屋から浜名湖を撮影。。。。赤い鳥居が湖を守っているかのようだ。。。。。。
18時過ぎにホテルを出る。1階の入り口に団体の大型バスが2台到着。バスナンバーを見ると成田である。またまたチャイナ50人ほどがチェックイン。
ホテルで近辺の店が出ている地図をもらったが、ホテルの方針だと思うが夕食もホテルで取らせる魂胆があるので居酒屋系の店しか地図には載っていない。当てずッぽに駅の北口に歩きだすと、後ろから地元の叔父さんが夕方の散歩らしいので"どこか美味いもの食べさせる店はないですか?"と尋ねると自分の帰りのルートにウナギで有名な今井亭があるので案内してくれた。実は其処を目的にしていたところなのでもっけの幸いである。5分ほど川沿いを同行すると店の傍に到着。店に入りカウンターに座り、上うな重を注文、着た甲斐あり、予想通りのうまさである。
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。。。。。。。。自分の坐ったカウンターの前のいけすには車エビが100匹ほど注文待で休んでいた。。。。
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。。。。。。。帰りに月夜がきれいなので撮ってみたがピンボケである。。。。。。
。。。翌日宅急便のお願いにフロントに行き中年の従業員と話してみると、7年ほど前までは○○荘だったが経営破たんとなり、中国資本が買い取り現在のホテルになったらしい.方針としてチャイナ、コリアなど東南アジア系のトラベラー、ツアーに関しては基本的に優先して予約を取るのがトップ方針であるようだ。道理で朝食時間のトップの7時から半数以上はチャイナ系の人たちだった気がした。
。。。。さていよいよ明日は今回の最後の街道歩きだ。早めに寝て明日に備えよう。?!?!


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街道歩き。。。東海道。。22回。。22日目

2017/07/14 12:03
。。。。。。。。。。。。。。。。。7月6日(木)。。。。晴れ。。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。天竜川駅 ̄浜松宿。。。。。。。。。。。。

。。。5月6日以降はなかなか街道歩きが出来ずらいスケ―ジュールになってしまった。5/17は旧吉田茂邸見学、5/24は(横浜みなとみらい)、ロイヤルパークホテル四季亭での旧M電器産業の元副社長との懇親懇談会、5/31は米寿、半寿、傘寿の合同お祝い会、6月に入り入梅、6/17高校同期の集い、6/24柳家後ん太郎一門会の"あきない落語会”観賞とまあ過密スケジュールとなり、街道歩きどころではなくなってしまった。いよいよ7月となり暑さはますます上がり始めたとはいえ、あまり歩きの時期をずらすと気持ちが萎えてしまうので、梅雨の合間の天候の恵まれた日をチェックして、6日から8日まで二日半行程で歩くことにした。
。。。7月6日(土)愛犬ジュン様を近くのドッグホテルに午前9時に預け、急いで帰宅、すぐさま行動に移す。藤沢9:56のアクティーに乗るつもりで家を出たが、湘南新宿ラインはまたも新宿、高崎間でアクシデントにより遅れており、幸いにも30分遅れた鈍行が来て小田原乗り継ぎの新幹線(こだま)10:36に間に合った。これで予定通りになった。怪我の功名である。1時間ほどで掛川につき乗り継ぎの普通車に乗り天竜川駅に12:11に無事到着。いよいよ本番の街道歩きである。まずは昼の腹拵らいだが、この駅近くには飲食店はなく、旧東海道の交差点まで10分ほど歩き(かどや)と云う餃子専門店に入るも昼食時なので席は満杯、でも1席あったのですぐさま着席、餃子をやめて焼きそばを注文13時には街道歩きに行動が移せた。この店何とジュビロ磐田の選手たち、また街道見物の有名人などが訪れ結構有名なようです。
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。。。。(かどや)の前が六所神社である。お宮の松と云う樹齢260年、樹高17mの巨木があったが昭和54年の台風で倒木となってしまった。
30分ほどで浜松アリーナが右に現れた。1時間で一休みの計画だったがあまりの暑さなので30分で一休みに計画変更をした。そこですぐに此処で一休みにした。道の右にはシソ巻きで有名な和菓子や六軒京本舗がある。
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。。。。。。。。。。。この建物が浜松アリーナ。。。。。
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。。。。。。。。。。。。シソ巻きで有名な和菓子や(六軒京本舗)。幕末頃からの店らしいです。。。。。
先に進むと子安神社の交差点に出たが此処は複雑な場所で信号のある歩道はないので地下道を通らなければならない。街道歩きで一番いやなパターンである。蒲新明宮鳥居を右に臨み単調な街道を黙々と歩く。天神町を過ぎ鎧橋を渡るとアクトタワーが近くから見えるようになってきた。馬込橋の西側が東番所であり、此処から浜松宿が始まると文献には書かれていた。本陣6軒,旅籠94軒と遠江、駿河の中では最大の宿場であり、本陣が6軒あるのは此処と箱根だけだそうだ。馬込川を渡ると市内の広い道になった。見返りの松のあるところから交差点に進むとアクトタワーが眼前に聳えたっていた。
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。。。アクトタワー。。高さ212,77m、、地上45階建て。オフィス、ホテル、ショッピング、レストランなどが集結している複合施設であり、浜松市のランドマークだろう。音楽都市なのでハーモニカをモチーフにしているようだ。
。。。。先に進むと街道の傍に夢告地蔵が祭られていた。
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。。。。。。この地蔵は安政5(1858)年に大流行したコレラで亡くなった人達を供養するのに建てられたそうです。

先に進むと高架上を走る遠鉄の鉄橋を潜り田町に入る。今宵の宿は(くれたけインセントラル)であるがホテルロビーで大きいザックだけを預け、浜松城見学散策に出かける。時間は15時ころである。
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。。。。。。家康が浜松城から駿府城に移るときにこの松(植え替えた現在の松です)のところで浜松城を見返ったと云うことである。。。

。。。ホテル前の少し坂になった道をまっすぐに向かう。すぐに連尺の交差点である。左に曲がるのが旧東海道、右に曲がるのが浜松城に向かう道。バス停を見つけ、城方面に行くバスに飛び乗る。二つ目の浜松城公園前で下車、すぐに城に向かう。公園内の道にも家康の歴史点描とか、現在のドラマ(女城主、直虎)にまつわる案内板が目につく。天守閣への坂道を登り天守門を潜るがその前に若き日の家康像に拝顔。
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。。。。。石垣の先が天守門である。天守門は復元であるが石垣の石は当時のままだそうだ。。。。。。。。。
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。。。。。。。。天守門に入る前に右下の樹幹から見えた(若き日の家康像)である。29歳から17年間浜松城に在城していたと云うから30代そこそこの若き日だろう。
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。。。。。。天守門を潜ると裏側はこの風景となる。。。。。。。。。
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。。。堂々たる浜松城天守閣である。昭和33年に復元、天守門は平成25〜26年にかけて復元何と140年ぶりのことらしい。
。。櫓にいた係の女性から”天守閣は16時20分が入場締め切りの時間よ"と云われ急ぎ天守に向かう。一人300円と書いてあるので受付に行くと顔を見るなり"60歳以上は無料です"と云われホッとすると同時に、やはり年相応の自分に改めて目覚め、そして自覚する。がっかりそして笑い入場すると中国から来た団体の渦の中に巻き込まれるが、人混みの中を潜りぬけ3階の天守閣へと進む。楼上から外の景色を散見し、家康が命からがら逃げてきたと云う(三方が原)の方を遠望し、往時の敗戦将軍の家康の自画像を思い出した。自画像は家康が本当に描かせ、以後の戦いに臨み発奮の材料にしたようだ。この時の相手の武田信玄は向かうところ敵なしの凄腕であったと思います。
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。。。。。三方が原古戦場は左奥先の山の向こう側あたりらしいです。方角説明書によると。。。。。。。
。。。。17時を過ぎたので城を後にして歩いてホテルに向かう。17時半チェックイン。。
。。。。本日の歩行数。。17697歩....距離。。12,38キロ..歩行時間。。2,54H..正味所要時間。。5,10H
...........今日の東海道の距離としては4,5キロだが、城めぐりを含めると3倍の距離となってしまいます。
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。。泊まった(くれたけイン浜松セントラル)です。。パンフレットより転写。この日も空き部屋なしのようでした。
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。。。夕食に町に出かけました。”浜松に来たからにはやはりウナギだよね〜”と独り言を言ってこの店「八百徳」に入る。この店浜松ではベスト5に入る店のようだ。無理して上と生B―で大枚4500円強でした。
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世相というのかな〜?

2017/07/01 15:49
。。。ここのところ北朝鮮の動きが少し静かなようだが、ひと月前には日米韓に向けて弾道ミサイル発射させては活発な刺激を展開していました。特に今の三代目の労働党委員長金正恩になってから動きが激しくなってきたように感じます。
。。。日本国は敗戦後米国の基地化が進み、日本中に駐在の米軍基地があるだけにもし戦が勃発したら、まず日本国が最初の標的になると思う。
。。。小生の住んでいる藤沢には関連基地はないが、最近の市の広報に「弾道ミサイル落下時の行動について」と云う注意の記事が掲載されていた。だが隣の大和市には有名な厚木航空基地があり、その隣の座間市には米軍の陸上基地が自衛隊と同居して存在し、三浦半島の中央部横須賀には米軍の海軍基地がある。もし、不幸にして基地のない藤沢市の北東部に落下したら、相当なダメージを受けることが予測される。
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。。。。これが市の広報に掲載された「弾道ミサイル落下時の行動について」と云う注意記事である。

。。。高校同期の友人に日本海軍の海軍少将の子息がおり、その遺族として水公会のメンバーであり、その縁から海上自衛隊の体験航海に数回参加、さらに昨年秋には護衛艦(いずも)の体験乗艦をさせていただいたが、今は米国空母の燃料補給と万一の時には集団的自衛活動も行うように朝鮮半島近くの海域に待機航海中であるようだ。
。。。この藤沢市の広報も正に世相を反映したものと理解しているが、緊急情報が発令されたら、1、(屋外にいる場合は頑丈な建物や地下に避難しよう。)。2、(建物がない場合は地面に伏せて頭部を守ろう。)。3、(屋内にいる場合は窓から離れて移動しよう。)と注意事項にあるが、自分の居住地には頑丈な建物や地下はなく、注意事項として広報として伝達した気持ちは判るが、なんとなく戦前の竹ヤリ防衛と同じようなもので何の救いも感じられない。現在ではこれが精一杯の注意事項なのだろうが、内閣府から各自治体に指令されているとしたらあまりにも幼稚っぽいと思った。
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光陰矢のごとし。。今日で水無月も終わりか〜

2017/06/30 15:51
。。。。。今年もあっという間に今日で前半期も終了ですね。マラソンで言うと30キロ地点を過ぎたところかな〜?嫌35キロを過ぎたようなのが実感である。手帳に前半の出来事は記してあるがブログにも納めてておこうと思う。前半を振り返ってみると
。。。。。1月(睦月)。。。1月2日深夜、外戚の義姉(83歳)が急逝。びっくり仰天である。しかもで先の伊豆山中の湯ヶ島の会員制ホテルである。外地のため不審死になるので、当該地域の警察の検死があるためすぐには戻れない。しかも正月のため葬儀はすぐにはできない。
。。。。一週間後の1月9〜10日Z家の葬儀。。1月21日(土)高校同期会、マチネー会、代々木倶楽部
。。。1月22日(日)湘南、あ、うんの会(飲み会)。。家内の圧迫骨折の術後の病院通い同行。リハ&診断、5回。MRI診断1回。

。。。2月(如月)。。。病院同行、リハ&X線、5回。。2月15日(水)YLEC。OB会、準備打ち合わせ、大船ホテルメッツ。。。2月18日(土)。マチネー会(高校同期会)。代々木倶楽部。

。。。3月(弥生)。。。3月1日((水)。YLEC,OB会最終打ち合わせ、20回の節目になるが参加者激減の昨今であるため、思い切って解散することを決定。会員には後日案内を郵送。。。3月4日(土)。家内のデイ、サービス参加の打ち合わせと契約に調印。。。3月8日(水)。いちえ会、ゴルフコンペ。小田原、湯本CC。。。3月10日(金)。家内デイサービス体験訪問、同行。。。3月11日(土)。家内デイサービス本番スタート。。。3月17日(金)。広菱会(三菱)。。新宿、天狗。。。3月23日(木)。彼岸の墓参。横浜保土ヶ谷。。。。同行通院。リハ&診断3回

。。。4月(うつき)。。4月8日(土)。。お釈迦様の日。Z家百箇日法要、納骨式、逗子、妙光寺。。。4月15日(土)
。。。。マチネー会(同期会)、代々木倶楽部。。。4月26日(水)。いちえ会、ゴルフコンペ、富士ヘルスCC、間違って優勝、ハンデのご褒美です。。。4月29日(土)。紅白合唱歌合戦、墨田、トリフォニ―フォール、六男ZIG,ZAG(団長、三枝成彰さん)と神楽坂女声合唱団(団長,コシノジュンコさん)との対戦、いい勝負でした。司会は白組、辰美琢朗さん、紅組、竹下景子さん。

。。。5月(皐月)。。。街道歩き、掛川宿〜袋井宿〜見附宿〜浜松天竜、5月4,5,6の2日半での旅。
。。。。5月14日〜15日、同期会有志旅行会、千石原、箱根甲子園H。。5月24日(水)。九心会、横浜ランドマーク、ロイヤル、パークホテル、四季亭にて、WOWOW、元会長をお招きして。。。5月31(水)。米寿、半寿、傘寿のお祝い会、東新宿,山野愛子邸に手。。病院同行、リハ、1回、整形診察1回

。。。6月(水無月)。。6月14日(水)。いちえ会、ゴルフコンペ、足柄森林CC、右足甲美の魚の目激痛のため12ホールで棄権、初めての体験、当日の幹事に徹する。。6月17日(土)。マチネー会(同期会)代々木倶楽部、10月に合同の(傘寿を祝う会)をやる打ち合わせを兼ねる。。6月24日(土)。広菱会、柳家権太楼一門会、落語鑑賞、水天宮、日本橋劇場、飲み会は錦糸町の(土風炉)今回は連れ合い同行。。6月28日(水)家内、ペインクリニック、ブロック注射の実施日、同行通院。。6月29日(木)4月に藤沢さいか屋に出店したニトリに行き始めての買い物、6F全部、7F半分のスペース、かなり気合が入っているようだ。

。。さて明日から文月(7月)。後半は光陰矢のごとしにならないようにじっくり活動を緻密に進めたいものであ〜る。
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柳家権太楼一門会。。落語鑑賞

2017/06/26 17:58
。。。。。一昨日の24日は年一回ある柳家権太楼一門会の(あきない落語会)に行ってきました。第19回の催ですが、記憶では第16回の2013年からこの一門会に毎年お邪魔しています。
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。。。。。。今回の案内状です。。。。。
今回も毎年3〜4回程度顔を合わせる仲間の会(半世紀前の会社の仲間の会、またの名を広菱会)のメンバーたちとの落語観賞会です。今回は圧迫骨折の術後一年近く経過し、体調もかなり良くなり、長時間の鑑賞にも耐えられそうと判断して(連れ合い)を参加させタ。半世紀前のことも覚えているのでこの会に参加するのを楽しみにしていただけに、同行させて良かったと思った。
。。。。。この一門会に参加できたきっかけは、zurichがS35〜46年まで東京の電気代理店、H無線の三菱専売部にいた頃三菱電機のMさんと電気店の外回り、また丸の内での会議などでお世話になったが、その妹さんの息子さんが権太楼師匠の一番弟子で、H18年真打ちに昇進「三代目柳家甚語楼)を襲名、H25年年末のひびや落語会(二人会)のライブラリーからPC上でのお付き合いとなり、以来一門会に参加、無欠席の客となりました。
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。。。。。甚語楼師匠H4、W大の法卒で何とZURICHの32年後輩であり、S37年卒のバレー部のマネージャーのTU氏(スリーダイヤの会の飲み会幹事)の30年後輩でした。縁は異なもの味なものですね!

。。。さて本題の一門会は12時開演で、七人で七題であり、しっかりと4時間の好演でした。トリは勿論権太楼大師匠であり、演目はご存知"芝浜"でした。いつ聴いてもしんみりとする人情物であり、師匠の語りには引き込まれていきそうで、涙が出そうになりました。昔からの超有名な話だけに聞き惚れました。
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。。。。おとぼけ顔の権太楼師匠。。オン年70の古希。ワイより10歳若い!違いは2013年に紫綬褒章を受章、人間国宝級の芸である。ノンポリの小生とは大違い!何故か自分の孫と同じ明治学院大学卒の大先輩である。孫は今二年生です。白金台通いは来年からです。来年あたりには大先輩の芸を見せてやろうと思っている。これも縁は異なものです。
。。。。あっという間の4時間でした。いよいよ今度は我々が主役の一杯会である。錦糸町まで戻り、江東楽天地のビルの三階にある居酒屋、(土風炉)に出向く。
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。。。。。。。。。日本橋劇場の場所です。日本橋公会堂の3階が劇場です。
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。。。。お開きの後に劇場前で記念写真、二人いる女性の右の女性がこの会を発足させる気にさせた故Y賀さんの奥様、しっかりとカバーしてくれています.故人先輩よ安心してください。
。。。。唯小生の連れ合いがストック付きの足なので上下のエレベーターがある場所から地下鉄に乗るので皆と別れ現地で落ち合うようにしたが、錦糸町の地下のエレベーター入口の傍で仲間は待っていてくれた。"ありがたや"です。16時半から19時まで和気あいあいと飲み、喰らいながら楽しませてくれました。最後に連れ合いが"次会も参加させてください"とのたまう。全員OKです。"ありがとうございます"と夫が御礼。”ではこれにて今ブログの終了なり。”





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歴史の料亭「田中家」

2017/06/08 12:45
。。。。昨年5月に機会があって、神奈川宿の料亭「田中家」で会食をすることが出来た。前回もブログに投稿したが、その時のブログのブロバイダーが本年1月31日でサービスが終了となり、現在のブログのbiglobeにデータ―を移せなかったので当時を思い出して書き直してみました。この料亭江戸時代から続く横浜で唯一の料亭で今も(ハマの料亭の灯り)を守り続けている。
。。創業は1863(文永3)年と云うから今年で154年となる。広重の「東海道五十三次」に描かれている腰かけ茶屋(さくらや)が前身であるようです。のちに旅籠料理屋「田中家」になったと文献に記されていました。宿場も最盛期には1300件ほどの料理屋があったようで、ものすごく賑わっていたことが想像できる。幕末横浜港の開港により諸外国の領事館が置かれ特に田中家の近くにある本覚寺には米国領事館が置かれ、ハリス領事をはじめとする多くの外国人が、この田中家を迎賓館として接待に利用したことが繁盛の始まりであるようだ。その頃田中家には竜馬亡き後、竜馬の妻お竜さんが仲居として働き、英語が話せるので外国人客に好まれたようです。
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。。安藤広重が描いた神奈川宿。一番上の赤い着物の女性が立っているところが田中家の前身(さくらや)
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。。。。。。現在の田中家の門前の様子。
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竜馬の妻おりょうさん。なかなかの美人なり、おまけに英語が話せるので外人に人気があったのはよくわかる。

。。。。会食会で仲間8人が11時半に集合。早速に部屋に上がり食事をご馳走になる。
。。勝海舟、西郷隆盛による会談で、江戸無血開城となり、江戸時代は終了となり、明治時代には時の初代総理、伊藤博文、高杉晋作、また夏目漱石、菊池寛等文壇の名士たちも利用したようだ。この日の我々庶民も横浜を中心に神奈川県全域を家電の営業で守備していたお陰でこの店の存在も知り、また今回のような体験を出来る訳である。
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。。。。この急な階段の頂上の右が田中家である。明治の頃は階段下はまだ海であったようだ。
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。。。。。階段上から見た風景なり。下は海であった。。此処から500メートル先が今の横浜駅
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。。。。。。。会食会の一風景。。。
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。。。。。。此処の店の五代目女将、平塚あけみさんが料亭の歴史物語を語ってくれた。。
。。女将さんはこの店の由来、また料亭を続ける決心をした想いなどを熱心に語ってくれたが、本来は夜席では各部屋を回り、料亭の由来などを語っているようだが、今回は昼席にも現れ、我々に熱ポック語ってくれた。
ハマッ子の女将なので、語りはかなり荒っぽいが、ポンポンと威勢が良いので聞いていても気持ちがよい。曰く"これだけ横浜の歴史を料亭と云う見地から世にPRしても今の知事の黒岩も市長の林も知らんぷりんである"とかなり憤慨していたことが脳裏に残っている。
。。田中家創業の晝間家の子孫として生まれてきたわけだが,キップの良さは何となくお竜さんに似てるような錯覚を起こした。店の後継者の兄が事故で急逝したため、結果自分が継ぐことになったが、今では”この店を可愛がっててくれた歴史上の人達とか、現在を理解してくれる人達に守られているような気がする。"と語っていた。
。。PRの記事によると、地元の小中高大生を招いて料亭体験や懐石料理の体験で「食育」の場として展開しているようで頭が下がります。
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。。。。。。。。。。。女将さんを囲んでの記念写真です。
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